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ボートレースのスタートは、決められた時間内にスタートラインを通過する「フライングスタート方式」が採用されています。 スタートラインを他艇より早く通過すれば有利になりますが、大時計が0秒を示す前に通過すると「フライング(F 」、1秒以上遅れて通過すると「出遅れ(L 」となり欠場となります。 フライングや出遅れを行うと自粛欠場の厳しいペナルティーが科せられます。 フライング1本で、30日、2本目は60日、3本目は90日の自粛欠場になります。 出遅れは本数になく30日の自粛欠場になります。 SG(読み:えすじー、スペシャルグレードの略)は年間8回の強豪が揃うボートレース界最高峰のレース。 レースのグレードは全部で5つ。 レーサーのランクに応じて参加資格も異なります。 SGレースの最高優勝賞金は1億円とまさに桁違い。 朝8時半頃から始まるモーニングレースや夜8時過ぎまで開催されるナイターレースもあるから、ボートレースは朝から晩まで一日中楽しめます。 グレード 年間回数 優勝賞金 主なレース SG 8回 2,500万円~•

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【ボートレース】競艇一家の長兄「後藤翔之」の実力やプロフィールまとめ

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後藤翔之(ごとうしょうし)ってどんな人? デビュー時からイケメンレーサーとしても話題ともなっていた後藤翔之さんはどの様な人物なのでしょうか? 簡易プロフィール 後藤翔之(ごとうしょうし)さんは、1986年3月9日生まれで東京都稲城市出身、東京支部所属のボートレーサーです。 身長169㎝、体重54キロで血液型はO型、2020年現在は33歳です。 第101期生として登録、競艇選手としての登録番号は4460で、現在の級別はA1級です。 ボートレーサーになったきっかけ 生まれと育ちが東京都の稲城市ということでボートレース多摩川から近い事もあり、小学生の頃から父や祖父に競艇場に連れていかれていたことで、ボートレースに興味を持ったそうです。 最終的に祖父から競艇選手への道を勧められたことが一番のきっかけになりました。 趣味や休日の過ごし方 後藤翔之さんは、中学と高校時代はフェンシングやサッカーをしており、フェンシングでは全国3位、サッカーでは全国大会に出場するなど、運動神経の良さはその当時からずば抜けていたようです。 現在もサッカーやフェンシングを趣味としており、子供の頃から毎年行ってるスノーボードも欠かさないなど、とにかく体を動かすことが好きな方のようです。 休日はショッピングに行ったり旅行にったり、お酒を飲みに行ったり、書類に目を通したり、英会話のレッスンを受けたりしているようですね。 妻は元グラビアアイドルの秋山莉奈さん 2015年の6月に後藤翔之さんと秋山莉奈さんは結婚をしています。 2人が出会うきっかけとなったのは、同じく競艇選手で先輩の中野次郎選手に食事会に誘われたことであるといい、その時はお互いにパートナーがいたのですが、その後共通の友人の結婚式で再会し、連絡を取るようになり、愛を育んだようです。 また2016年2月19日には元気な男の子が生まれています。 やまと競艇学校を6回受験 高校3年生の時に初めて、競艇選手養成所であるやまご学校を受験するも失敗し、その後関東学院大学に入学しつつ、やまと学校の受験は続けていましたが4度の受験失敗を機に大学を中退し、その後6度目の受験でようやく合格となりました。 親族もボートレーサー 後藤翔之さんの実弟である後藤隼之さん、そして妹の後藤美翼さん、そして従兄弟の永井彪也さんはいずれもボートレーサーです。 後藤隼之さんの登録番号は4676、後藤美翼さんの登録番号は4680で二人とも登録109期として卒業し、兄妹レーサーになった事は当時話題にもなりました。 それぞれが競艇選手になったきっかけはわかりませんが、恐らく後藤翔之さんと同様にボートレース多摩川に行き、祖父に勧められたり、兄の影響があったのだと推測されます。 尊敬するボートレーサー 後藤翔之さんは尊敬する競艇選手として師匠である柾田敏行さんを挙げています。 柾田敏行さんは、高齢にもかかわらず今なお努力を続けている競艇選手で、結果を出している姿勢に改めて師匠のレーサーとしてのプライドに胸を打たれ、自身も努力をしようと心に誓ったそうです。 成績 6度のやまと学校の受験を経て、ようやく合格へとたどり着いた後藤翔之さんは今まで競艇選手としてどの様な成績をおさめているのでしょうか? やまと学校時代の成績 プロ後の成績が見通せ、実際ににも影響があるとも言われる卒業記念競走では優出を果たし2着、リーグ勝率7. 79 準優出7 優出4 優勝1の好成績をおさめてやまと学校を卒業しています。 ちなみに修了記念レースを優勝したのが101期を牽引している篠崎仁志選手でした。 デビュー戦で堂々の3着 2007年11月22日からボートレース多摩川で開催された 第30回関東日刊紙競艇記者クラブ杯の初日、3Rでプロデビューします。 後藤翔之さんは、6号艇出場ながら初戦で3着と堂々の成績を残しています。 初勝利 2007年12月6日からボートレース戸田で開催された 第2回隼杯の初日、6Rでデビュー初勝利を飾ります。 デビューから11走目とかなり早い段階での初勝利となりました。 また、3日目、8Rでも嬉しい2勝目を手にしました。 同期を圧倒する堂々の勝率 後藤翔之さんはデビューした2007年11月から2008年4月30日までの成績は101期の中では断トツで、最終週の成績となりました。 勝率3. 93、二連対率15. これに食らいつくように居たのが修了記念優勝者の篠崎仁志選手で、同期ではこの二人のみが2008年7月からB1昇格を果たすこととなります。 初優出で初優勝 後藤翔之さんは、2008年9月12日からボートレース下関で開催された一般競争で初めての優出を果たすと、そのまま最終日12R優勝戦では3号艇から出場、決まり手はまくり差しで圧巻の初優勝を果たしました。 暗雲期 順風満帆の成績を重ね、2009年初頭には早くもA2へと昇格した後藤翔之さんでしたが、突如として急ブレーキを踏むことになってしまいます。 実はデビューした2007年にはFはありませんでしたが、S1を3度行ってしまっていました。 2008年にはS0を3回、S1を3回、そしてFをつけてしまっています。 そして2009年は29回の1着をおさめるも、優出は一度のみと結果を出すことができず、S0が3回、S1が2回、S2が3回、Fが2回と勝ち星は上げていくもののB2級へ降格し、トラブルが足を引っ張るようになっていきます。 2010年になり、出走数が増え、1着2着の回数も格段に増えてきましたが、優出は2回のみで、さらにトラブルは続き、S0が3回、S1が3回、S2が1回、Fが2回に加えK0を2回と恵まれない展開が多くなっています。 2011年は成績が右肩上がりとなり、1着2着が更に増えてきて、優出回数は11回と非常に優秀な数字を出しましたが、その後に迎えた2012年に最大のトラブルに見舞われます。 2012年 念願のA1昇格の叶った後藤翔之さんが直面した不幸、それはF3による90日の休みでした。 1度目は2012年3月15日からボートレース鳴門で開催された、 G3スポニチ賞中道善博杯争奪G3新鋭リーグ戦の第4戦競走の3日目10Rでのフライングです。 2度目は2012年6月14日からボートレース多摩川競艇場で開催された、 G3新鋭リーグ第12戦是政王子決定戦の初日12Rでのフライングです。 そして、3度目は2012年10月6日からボートレース鳴門で開催された、 G3新鋭リーグ第1戦中道善博杯争奪スポニチ賞競走4日目9Rでのフライングとなります。 さらに極めつけは2012年10月16日からボートレースびわこで開催された、 G3新鋭リーグ第2戦 第47回新鋭戦4日目12Rでのフライングとなります。 A1レーサーとして大きく羽ばたくだろうと思われた後藤翔之さんでしたが、B1に必要となる50走を走ることが出来ず、B2落ちが決定してしまうという都合4度のフライングを犯してしまい、その代償はあまりにも大きなものとなりました。 再起 初優出での初優勝という華麗なデビューを飾った後藤翔之さんは、暗黒期のフライングのことを以下のように語っています。 「最初はよく分からなかった。 やってしまった~って感じで…。 出走回数は減るしB2スタート。 FしようものならA級に復帰できない。 転覆すればすぐに事故点が加算され勝率も稼げない。 A1に戻ることを考えて事故を抑え、6点ちょっと取ることだけを考えた」 「休みの日も減量を続けた。 体重は50キロをキープしないといけないと思っていたが、そうすると体力が落ちているのを感じた。 今は52~53キロくらいで毎日ランニングして体力をつくるようにしている」 F休みの間に、同期の篠崎仁志さん、片岡雅裕さんが活躍した事にも刺激されたといいます。 これが結実したのか、復帰した2013年7月、B2へ降格した初めてのレースである 第13回さわやか杯で優出し実に5年ぶりの見事な優勝を果たすことができました。 また、全日を通して1着3回、2着5回、3着1回と全てにおいて舟券に絡む活躍を見せてくれました。 2014年は優勝戦のFでヒヤリ 2014年には早々にA1復帰を果たしましたが、1月には優勝戦でFを喫したことで、まさか再び悪夢が訪れるのかとも思われましたが、5度の優出、1度の優勝と危なげない成績で年間通してA1級に居座り、迎えた2015年にこれまでのうっ憤を晴らすような活躍を魅せつけます。 大爆発の2015年 後藤翔之さんは結婚を発表した年である2015年はなんと、17回の優出で6回の優勝を果たしています。 ちなみに年間成績の1着率は3割を超え、2連対率は6割近く、3連対率は7割以上と、すさまじい勢いで大活躍と一年となりました。 貴重なSG初勝利の2016年 2016年3月16日から、ボートレース平和島で開催された 第51回ボートレースクラシックで2度目のSG出場を果たすと、2日目8Rに自身初のSG勝利を手にします。 5号艇からの出場で、決まり手はまくり差しでした。 ただ、この2016年は2015年に見られた勢いが影を潜め、優勝をする事は無く、勝率を大きく落としてしまいます。 この背景にあったのは…F2でしょう。 1月と5月にフライングをしてしまった事で、3度目のフライングを阻止したいという気持ちがどこかにあり、そのせいで果敢なスタートをきれなかったのではないかとも思います。 まとめ 華々しいデビューを飾り、一時はフライングなどのスタート事故に泣かされたものの、それを乗り越えて復活した後藤翔之さんが次に目指すステップは何と言ってもG1、SGの初制覇でしょう。 近いうちにタイトル制覇、期待したいですね。 今後もボートレーサー後藤翔之さんから目が離せませんね。

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後藤翔之(ごとうしょうし)ってどんな人? デビュー時からイケメンレーサーとしても話題ともなっていた後藤翔之さんはどの様な人物なのでしょうか? 簡易プロフィール 後藤翔之(ごとうしょうし)さんは、1986年3月9日生まれで東京都稲城市出身、東京支部所属のボートレーサーです。 身長169㎝、体重54キロで血液型はO型、2020年現在は33歳です。 第101期生として登録、競艇選手としての登録番号は4460で、現在の級別はA1級です。 ボートレーサーになったきっかけ 生まれと育ちが東京都の稲城市ということでボートレース多摩川から近い事もあり、小学生の頃から父や祖父に競艇場に連れていかれていたことで、ボートレースに興味を持ったそうです。 最終的に祖父から競艇選手への道を勧められたことが一番のきっかけになりました。 趣味や休日の過ごし方 後藤翔之さんは、中学と高校時代はフェンシングやサッカーをしており、フェンシングでは全国3位、サッカーでは全国大会に出場するなど、運動神経の良さはその当時からずば抜けていたようです。 現在もサッカーやフェンシングを趣味としており、子供の頃から毎年行ってるスノーボードも欠かさないなど、とにかく体を動かすことが好きな方のようです。 休日はショッピングに行ったり旅行にったり、お酒を飲みに行ったり、書類に目を通したり、英会話のレッスンを受けたりしているようですね。 妻は元グラビアアイドルの秋山莉奈さん 2015年の6月に後藤翔之さんと秋山莉奈さんは結婚をしています。 2人が出会うきっかけとなったのは、同じく競艇選手で先輩の中野次郎選手に食事会に誘われたことであるといい、その時はお互いにパートナーがいたのですが、その後共通の友人の結婚式で再会し、連絡を取るようになり、愛を育んだようです。 また2016年2月19日には元気な男の子が生まれています。 やまと競艇学校を6回受験 高校3年生の時に初めて、競艇選手養成所であるやまご学校を受験するも失敗し、その後関東学院大学に入学しつつ、やまと学校の受験は続けていましたが4度の受験失敗を機に大学を中退し、その後6度目の受験でようやく合格となりました。 親族もボートレーサー 後藤翔之さんの実弟である後藤隼之さん、そして妹の後藤美翼さん、そして従兄弟の永井彪也さんはいずれもボートレーサーです。 後藤隼之さんの登録番号は4676、後藤美翼さんの登録番号は4680で二人とも登録109期として卒業し、兄妹レーサーになった事は当時話題にもなりました。 それぞれが競艇選手になったきっかけはわかりませんが、恐らく後藤翔之さんと同様にボートレース多摩川に行き、祖父に勧められたり、兄の影響があったのだと推測されます。 尊敬するボートレーサー 後藤翔之さんは尊敬する競艇選手として師匠である柾田敏行さんを挙げています。 柾田敏行さんは、高齢にもかかわらず今なお努力を続けている競艇選手で、結果を出している姿勢に改めて師匠のレーサーとしてのプライドに胸を打たれ、自身も努力をしようと心に誓ったそうです。 成績 6度のやまと学校の受験を経て、ようやく合格へとたどり着いた後藤翔之さんは今まで競艇選手としてどの様な成績をおさめているのでしょうか? やまと学校時代の成績 プロ後の成績が見通せ、実際ににも影響があるとも言われる卒業記念競走では優出を果たし2着、リーグ勝率7. 79 準優出7 優出4 優勝1の好成績をおさめてやまと学校を卒業しています。 ちなみに修了記念レースを優勝したのが101期を牽引している篠崎仁志選手でした。 デビュー戦で堂々の3着 2007年11月22日からボートレース多摩川で開催された 第30回関東日刊紙競艇記者クラブ杯の初日、3Rでプロデビューします。 後藤翔之さんは、6号艇出場ながら初戦で3着と堂々の成績を残しています。 初勝利 2007年12月6日からボートレース戸田で開催された 第2回隼杯の初日、6Rでデビュー初勝利を飾ります。 デビューから11走目とかなり早い段階での初勝利となりました。 また、3日目、8Rでも嬉しい2勝目を手にしました。 同期を圧倒する堂々の勝率 後藤翔之さんはデビューした2007年11月から2008年4月30日までの成績は101期の中では断トツで、最終週の成績となりました。 勝率3. 93、二連対率15. これに食らいつくように居たのが修了記念優勝者の篠崎仁志選手で、同期ではこの二人のみが2008年7月からB1昇格を果たすこととなります。 初優出で初優勝 後藤翔之さんは、2008年9月12日からボートレース下関で開催された一般競争で初めての優出を果たすと、そのまま最終日12R優勝戦では3号艇から出場、決まり手はまくり差しで圧巻の初優勝を果たしました。 暗雲期 順風満帆の成績を重ね、2009年初頭には早くもA2へと昇格した後藤翔之さんでしたが、突如として急ブレーキを踏むことになってしまいます。 実はデビューした2007年にはFはありませんでしたが、S1を3度行ってしまっていました。 2008年にはS0を3回、S1を3回、そしてFをつけてしまっています。 そして2009年は29回の1着をおさめるも、優出は一度のみと結果を出すことができず、S0が3回、S1が2回、S2が3回、Fが2回と勝ち星は上げていくもののB2級へ降格し、トラブルが足を引っ張るようになっていきます。 2010年になり、出走数が増え、1着2着の回数も格段に増えてきましたが、優出は2回のみで、さらにトラブルは続き、S0が3回、S1が3回、S2が1回、Fが2回に加えK0を2回と恵まれない展開が多くなっています。 2011年は成績が右肩上がりとなり、1着2着が更に増えてきて、優出回数は11回と非常に優秀な数字を出しましたが、その後に迎えた2012年に最大のトラブルに見舞われます。 2012年 念願のA1昇格の叶った後藤翔之さんが直面した不幸、それはF3による90日の休みでした。 1度目は2012年3月15日からボートレース鳴門で開催された、 G3スポニチ賞中道善博杯争奪G3新鋭リーグ戦の第4戦競走の3日目10Rでのフライングです。 2度目は2012年6月14日からボートレース多摩川競艇場で開催された、 G3新鋭リーグ第12戦是政王子決定戦の初日12Rでのフライングです。 そして、3度目は2012年10月6日からボートレース鳴門で開催された、 G3新鋭リーグ第1戦中道善博杯争奪スポニチ賞競走4日目9Rでのフライングとなります。 さらに極めつけは2012年10月16日からボートレースびわこで開催された、 G3新鋭リーグ第2戦 第47回新鋭戦4日目12Rでのフライングとなります。 A1レーサーとして大きく羽ばたくだろうと思われた後藤翔之さんでしたが、B1に必要となる50走を走ることが出来ず、B2落ちが決定してしまうという都合4度のフライングを犯してしまい、その代償はあまりにも大きなものとなりました。 再起 初優出での初優勝という華麗なデビューを飾った後藤翔之さんは、暗黒期のフライングのことを以下のように語っています。 「最初はよく分からなかった。 やってしまった~って感じで…。 出走回数は減るしB2スタート。 FしようものならA級に復帰できない。 転覆すればすぐに事故点が加算され勝率も稼げない。 A1に戻ることを考えて事故を抑え、6点ちょっと取ることだけを考えた」 「休みの日も減量を続けた。 体重は50キロをキープしないといけないと思っていたが、そうすると体力が落ちているのを感じた。 今は52~53キロくらいで毎日ランニングして体力をつくるようにしている」 F休みの間に、同期の篠崎仁志さん、片岡雅裕さんが活躍した事にも刺激されたといいます。 これが結実したのか、復帰した2013年7月、B2へ降格した初めてのレースである 第13回さわやか杯で優出し実に5年ぶりの見事な優勝を果たすことができました。 また、全日を通して1着3回、2着5回、3着1回と全てにおいて舟券に絡む活躍を見せてくれました。 2014年は優勝戦のFでヒヤリ 2014年には早々にA1復帰を果たしましたが、1月には優勝戦でFを喫したことで、まさか再び悪夢が訪れるのかとも思われましたが、5度の優出、1度の優勝と危なげない成績で年間通してA1級に居座り、迎えた2015年にこれまでのうっ憤を晴らすような活躍を魅せつけます。 大爆発の2015年 後藤翔之さんは結婚を発表した年である2015年はなんと、17回の優出で6回の優勝を果たしています。 ちなみに年間成績の1着率は3割を超え、2連対率は6割近く、3連対率は7割以上と、すさまじい勢いで大活躍と一年となりました。 貴重なSG初勝利の2016年 2016年3月16日から、ボートレース平和島で開催された 第51回ボートレースクラシックで2度目のSG出場を果たすと、2日目8Rに自身初のSG勝利を手にします。 5号艇からの出場で、決まり手はまくり差しでした。 ただ、この2016年は2015年に見られた勢いが影を潜め、優勝をする事は無く、勝率を大きく落としてしまいます。 この背景にあったのは…F2でしょう。 1月と5月にフライングをしてしまった事で、3度目のフライングを阻止したいという気持ちがどこかにあり、そのせいで果敢なスタートをきれなかったのではないかとも思います。 まとめ 華々しいデビューを飾り、一時はフライングなどのスタート事故に泣かされたものの、それを乗り越えて復活した後藤翔之さんが次に目指すステップは何と言ってもG1、SGの初制覇でしょう。 近いうちにタイトル制覇、期待したいですね。 今後もボートレーサー後藤翔之さんから目が離せませんね。

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