吉田晴乃 死去。 経団連初の女性役員吉田晴乃社長ってこんな人: Wach auf !

経団連初の女性役員 ド派手メイク美魔女社長の破天荒な経歴

吉田晴乃 死去

W20共同代表として、女性のエンパワーメントが世界経済の成長に寄与すると世界に発信してきた(写真右/撮影は日経ARIA編集部) 1つめにまず、労働力の強化というものがございます。 少子高齢化という社会の中で、女性の労働力がどういうふうに経済的な効果を生んだかについて、日本でも具体的な数字が出てきております。 200万人の労働力が、女性の労働力が、市場に参画することができた。 これは非常に明らかな経済成長だと思います。 これを賃金で直してみると、8兆円という数字も出ております。 これはGDPに直すと3%。 日本は非常に分かりやすく、まったくゼロのところから5年間の取り組みでここまでできるという、これだけの大きな成長ができるというのが、皆さんもお分かりになるかと思います。 あともうひとつ、これは充分に語られてないのですが、消費者マーケットの伸び、ということです。 世界の消費者マーケットはGDPの6~7割を占めるといわれ18兆ドルといわれています。 このうちの 12兆ドルというのが、女性が決めているという説もございます。 こういった女性たちが経済的にエンパワーされたとき、どういう消費者マーケットが加速されるか。 成長していくか。 我々も今回、20カ国の提言書をまとめるにあたってビジョンとしましたのは、「女性のエンパワーメントと、新しい世界の成長」です。 まさにここにポイントがあると思っています。

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吉田晴乃とは

吉田晴乃 死去

W20共同代表として、女性のエンパワーメントが世界経済の成長に寄与すると世界に発信してきた(写真右/撮影は日経ARIA編集部) 1つめにまず、労働力の強化というものがございます。 少子高齢化という社会の中で、女性の労働力がどういうふうに経済的な効果を生んだかについて、日本でも具体的な数字が出てきております。 200万人の労働力が、女性の労働力が、市場に参画することができた。 これは非常に明らかな経済成長だと思います。 これを賃金で直してみると、8兆円という数字も出ております。 これはGDPに直すと3%。 日本は非常に分かりやすく、まったくゼロのところから5年間の取り組みでここまでできるという、これだけの大きな成長ができるというのが、皆さんもお分かりになるかと思います。 あともうひとつ、これは充分に語られてないのですが、消費者マーケットの伸び、ということです。 世界の消費者マーケットはGDPの6~7割を占めるといわれ18兆ドルといわれています。 このうちの 12兆ドルというのが、女性が決めているという説もございます。 こういった女性たちが経済的にエンパワーされたとき、どういう消費者マーケットが加速されるか。 成長していくか。 我々も今回、20カ国の提言書をまとめるにあたってビジョンとしましたのは、「女性のエンパワーメントと、新しい世界の成長」です。 まさにここにポイントがあると思っています。

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経団連初の女性役員吉田晴乃社長ってこんな人: Wach auf !

吉田晴乃 死去

吉田氏は1990年代にカナダの通信会社に勤務して以来、北米と日本を行き来しながら、ダイナミックに変化し続ける通信業界で活躍してきた。 そして、一人の娘を持つ母でもある。 ワーキングマザーとしてこれまでのキャリアをどう築いてきたのか。 日本の経済界をリードする立場に就き、働く女性たちにどのようなメッセ-ジを発信していくのか。 吉田氏は、BTジャパンのショールームに並んだ同社製品について一通りの説明をした後、さっそうと席に着いた。 こちらがインタビューの趣旨を伝えると、開口一番に飛び出したのは愛娘の話だった。 「この20年は本当に長かった」 昨年11月で娘が20歳になったんですよ。 今はカナダの大学に通っているので、夏休みに帰国したときに振袖を着せて、家族で食事をしました。 真夏に振袖を着て汗をダラダラかいている娘の横で、私は一人で涙ボロボロ。 「この20年、本当に長かったな」って感慨に浸って思わず号泣してしまったんです。 海外で暮らしていたこともあって、彼女には七五三もしてあげられなかった。 だから成人式はきちんとしたかったんです。 その後、シングルマザーとして母娘でニューヨークに渡る。 子育てをしながら今のキャリアを積んでこられるにあたっては、相当な苦労があったのでは? 20歳を迎えて「ようやくここまで来たか」って思えました。 本当に大変だった。 でもね、彼女は企業でインターンシップも経験して、今、私から仕事の話を聞くことにとても興味を持ち始めている。 2人で大人の女性の会話ができるようになったんです。 ワインを片手にね。 なんて楽しい時代が来たことでしょう! もちろんあの頃は、こんな日が来るなんて想像もしていませんでした。 負い目を感じながら、悲しい経験もたくさんして、もうボロキレのようでした。 仕事に忙しい私を見ていた娘は「ママは大変なんだから、文句を言ってはいけない」と言いたいことを溜め込んでいたのかもしれません。 精神のバランスを崩してしまった時期もありました。 反抗期には「母の日なんて大嫌い」なんて言われたこともありましたね。

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