奥山玲子 北海道。 奥山玲子の作品は銅版画も!どんな絵?宮崎駿やジブリとの関係とは?|6tag.sixdegrees.org

奥山玲子(アニメーター)とは!出身高校・大学は仙台で北海道育ち?|6tag.sixdegrees.org

奥山玲子 北海道

奥山玲子さんは故人です。 2019年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』のヒロインなつのモデル?とされています。 先にドラマとの関係を見ると、 両親を亡くし北海道の酪農家で暮らすことになった物語の「なつ」と、仙台で生まれ育ち、父が教員だったという奥山玲子さんとでは、設定がかなり違います。 したがって「なつのモデル」にはあまり拘らないほうがいいのかもしれません。 両者の接点となっているのは、『なつぞら』の「アニメーション時代考証」を担当している 小田部羊一さんで、小田部氏と結婚したのが、奥山玲子さんでした。 奥山さんは仙台で生まれ、地元の私立高校、宮城学院高等学校から東北大学に進学しています。 東北大学では教育学部でした。 宮城学院高校はミッション系の高校で、奥山さんが在籍した当時は現在の高校名に変わっていたはずです。 また東北大学は、奥山玲子さんが入学したと思われる1955年当時は、名称は東北大学。 奥山さんが入学した教育学部は1949年に設置されていました。 なお、東北大学について、奥山さんが卒業したか否か不明という記載もネット上にはあります。 しかし夫である小田部羊一さんが、奥山さんは東北大は2年で辞めたと語っているので、卒業はしていないと思われます。 奥山玲子(おくやまれいこ) 生まれ:1936年10月26日 出身:宮城県仙台市 1952年:(推定)宮城学院高校入学 1955年:(推定)東北大学入学 1957年:東映動画に入社 1963年:小田部洋一氏と結婚 1976年:『母をたずねて三千里』で作画監督補佐 1985年:東京デザイナー学院アニメーション科講師 2003年:銅版画による『連句アニメーション 冬の日 松尾芭蕉七部集より』 2007年:5月6日肺炎により死去 2019年:奥山玲子画集『アニメーションと銅版画』 他にも作品多数 小田部:子供の頃は病弱だったらしいです。 学校もよく休んだりして、「日本文学全集」や「世界文学全集」とかを読んでいたそうです。 その後、父親が教員だった影響で東北大学の教育学部に行ってたんだけど2年で辞めて、家出同然で東京に出てきちゃうんです。 ーー絵の勉強は我流でやられてたんですか? 小田部:そのようです。 でも高校では友達のマンガ的な似顔絵やスタイル画を描いているし、東北大学では油絵を描いていました。 とにかく「仙台から出て東京で自立するんだ!」って。 そんなとき、たまたま映画撮影所と関係のあった叔父から東映動画の募集を教えてもらって。 それを本人は「動画」を「童画」と間違えたそうで、絵本とかの仕事が出来ると思ったみたいです。 後で聞いたら、本当は東京でファッションとか語学とか、そういう関係に行きたかったようですが。 kodansha. 所在地は仙台市青葉区桜ケ丘九丁目1番1号 押川方義氏が創設した日本基督教団系のミッションスクールで、宮城学院女子大学と隣接しています。 1886年に設置された頃の校名は「宮城女学校」でした。 宮城学院高校の出身者には、あの、 新宿の中村屋で荻原守衛や中村彝等と関わった 相馬黒光さんがいます。 ただし、よほど初期のことで、相馬黒光さんはある事件を契機に、自主退学して横浜のフェリス英和女学校に移っています。 奥山玲子さんがの教育学部に進んだのは、上記のように、教員だった父親の影響が大きいそうです。 そして、東北大学を辞めた後にさらに外国語大学を受験しようとしていたとかーー。 しかし、上記のように「童画」と間違えた「動画」の仕事に、次第に没入するようになります。 東北大学の出身者では一般に やが著名ですが、多数の学者、財界人、政治家等を輩出しています。 現職の政治家では公明党幹事長の井上義久さんや、日本共産党の小池晃さん、自民党のらがいます。 東北大学のキャンパスは現在、片平キャンパス、川内北キャンパス、川内南キャンパス、北青葉山キャンパス、東青葉山キャンパス、青葉山新キャンパス等、多数のキャンパスを使用しています。 歴史を遡ると、18世紀に仙台藩が明倫養賢堂を藩校として開校したことに始まります。 北海道大学は もともと東北大学の農科大学が分離独立して北海道帝国大学となったもの。 1907年に 東北帝国大学となり、東北大学へと改称されたのは戦後の1947年のことでした。 最も古くからある片平キャンパスは、学部として使用しているところはありませんが、昔から本部としての役割を果たしてきました。 かつては路面電車が走っていた仙台市内。 現在は地下鉄で移動が楽になりました。 東北大学をやめて東京に移った奥山さんはその後、労働争議の絶えなかった東映動画で、経営陣としっかり対立したこともありました。 逝去後になりますが、2010年に、奥山さんは夫の小田部さんとともに、 東京アニメアワード第6回功労賞を受賞しています。 『ひみつのアッコちゃん』を覚えている方は現在、熟年世代の方になりそうですが、『ひみつのアッコちゃん』で作画監督を務めていた女性が、朝ドラヒロインのモデルにもなっているというのは、感慨深いことのようです。

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『なつぞら』原点 奥山玲子・小田部羊一夫妻は漫画映画を開拓した

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奥山玲子さんは故人です。 2019年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』のヒロインなつのモデル?とされています。 先にドラマとの関係を見ると、 両親を亡くし北海道の酪農家で暮らすことになった物語の「なつ」と、仙台で生まれ育ち、父が教員だったという奥山玲子さんとでは、設定がかなり違います。 したがって「なつのモデル」にはあまり拘らないほうがいいのかもしれません。 両者の接点となっているのは、『なつぞら』の「アニメーション時代考証」を担当している 小田部羊一さんで、小田部氏と結婚したのが、奥山玲子さんでした。 奥山さんは仙台で生まれ、地元の私立高校、宮城学院高等学校から東北大学に進学しています。 東北大学では教育学部でした。 宮城学院高校はミッション系の高校で、奥山さんが在籍した当時は現在の高校名に変わっていたはずです。 また東北大学は、奥山玲子さんが入学したと思われる1955年当時は、名称は東北大学。 奥山さんが入学した教育学部は1949年に設置されていました。 なお、東北大学について、奥山さんが卒業したか否か不明という記載もネット上にはあります。 しかし夫である小田部羊一さんが、奥山さんは東北大は2年で辞めたと語っているので、卒業はしていないと思われます。 奥山玲子(おくやまれいこ) 生まれ:1936年10月26日 出身:宮城県仙台市 1952年:(推定)宮城学院高校入学 1955年:(推定)東北大学入学 1957年:東映動画に入社 1963年:小田部洋一氏と結婚 1976年:『母をたずねて三千里』で作画監督補佐 1985年:東京デザイナー学院アニメーション科講師 2003年:銅版画による『連句アニメーション 冬の日 松尾芭蕉七部集より』 2007年:5月6日肺炎により死去 2019年:奥山玲子画集『アニメーションと銅版画』 他にも作品多数 小田部:子供の頃は病弱だったらしいです。 学校もよく休んだりして、「日本文学全集」や「世界文学全集」とかを読んでいたそうです。 その後、父親が教員だった影響で東北大学の教育学部に行ってたんだけど2年で辞めて、家出同然で東京に出てきちゃうんです。 ーー絵の勉強は我流でやられてたんですか? 小田部:そのようです。 でも高校では友達のマンガ的な似顔絵やスタイル画を描いているし、東北大学では油絵を描いていました。 とにかく「仙台から出て東京で自立するんだ!」って。 そんなとき、たまたま映画撮影所と関係のあった叔父から東映動画の募集を教えてもらって。 それを本人は「動画」を「童画」と間違えたそうで、絵本とかの仕事が出来ると思ったみたいです。 後で聞いたら、本当は東京でファッションとか語学とか、そういう関係に行きたかったようですが。 kodansha. 所在地は仙台市青葉区桜ケ丘九丁目1番1号 押川方義氏が創設した日本基督教団系のミッションスクールで、宮城学院女子大学と隣接しています。 1886年に設置された頃の校名は「宮城女学校」でした。 宮城学院高校の出身者には、あの、 新宿の中村屋で荻原守衛や中村彝等と関わった 相馬黒光さんがいます。 ただし、よほど初期のことで、相馬黒光さんはある事件を契機に、自主退学して横浜のフェリス英和女学校に移っています。 奥山玲子さんがの教育学部に進んだのは、上記のように、教員だった父親の影響が大きいそうです。 そして、東北大学を辞めた後にさらに外国語大学を受験しようとしていたとかーー。 しかし、上記のように「童画」と間違えた「動画」の仕事に、次第に没入するようになります。 東北大学の出身者では一般に やが著名ですが、多数の学者、財界人、政治家等を輩出しています。 現職の政治家では公明党幹事長の井上義久さんや、日本共産党の小池晃さん、自民党のらがいます。 東北大学のキャンパスは現在、片平キャンパス、川内北キャンパス、川内南キャンパス、北青葉山キャンパス、東青葉山キャンパス、青葉山新キャンパス等、多数のキャンパスを使用しています。 歴史を遡ると、18世紀に仙台藩が明倫養賢堂を藩校として開校したことに始まります。 北海道大学は もともと東北大学の農科大学が分離独立して北海道帝国大学となったもの。 1907年に 東北帝国大学となり、東北大学へと改称されたのは戦後の1947年のことでした。 最も古くからある片平キャンパスは、学部として使用しているところはありませんが、昔から本部としての役割を果たしてきました。 かつては路面電車が走っていた仙台市内。 現在は地下鉄で移動が楽になりました。 東北大学をやめて東京に移った奥山さんはその後、労働争議の絶えなかった東映動画で、経営陣としっかり対立したこともありました。 逝去後になりますが、2010年に、奥山さんは夫の小田部さんとともに、 東京アニメアワード第6回功労賞を受賞しています。 『ひみつのアッコちゃん』を覚えている方は現在、熟年世代の方になりそうですが、『ひみつのアッコちゃん』で作画監督を務めていた女性が、朝ドラヒロインのモデルにもなっているというのは、感慨深いことのようです。

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朝ドラ『なつぞら』広瀬すずヒロインのヒント・奥山玲子さんの全て

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奥原なつのモデルは、アニメーター奥山玲子さん?5つで検証! 朝ドラヒロイン「奥原なつ」と実在した女性イラストレーター「奥山玲子」さんを5つの視点から比べてみました。 「奥原」は苗字ランキング1531位。 また、アニメーターとして働いていた会社名も酷似しています。 奥村なつは、 東洋動画。 奥原なつは 1937年生まれ。 奥山玲子さんは 1936年生まれ。 ということは、女性アニメーターとして働いた時代背景も似ているということです。 一方、奥山玲子さんも 宮城県から上京し東京のデザイン会社に入社しています。 どちらも、この時代の女性には珍しくアニメーターになるための第一歩として上京しています。 「奥村なつ」は、 山田天陽(演・吉沢亮)という男性から、絵心を教えられ絵を描く楽しさを知ります。 また「奥山玲子」さんは、東映動画という会社に入社し、 小田部羊一という同僚から大きな影響をうけます。 小田部洋一さんは、アニメーターの中ではかなり有名な方で、東映動画では、 高畑勲さんは同期、 宮崎駿さんの先輩にあたる方なのです! しかも、この小田部羊一さんは後の奥山玲子さんの夫ともなった人物です。 戦争アニメで超有名な「火垂るの墓」で、母親が見守る中、海で清太が泳ぐシーンは、 原画を奥山玲子さん。 波を作画したのが小田部羊一さんが担当したそうです。 回想で清太がブイまで泳ぐシーンの原画を担当したのは奥山玲子さん。 で、このシーンの波を作画したのは奥山さんの夫である小田部羊一さんです。 ノンクレジットでの参加でした。 奥山玲子さんは、幼少期を宮城県仙台市で過ごし、父親の意向で東北大学教育学部に進学します。 この時代に女性が、大学に進学するのは珍しいことでした。 しかし教師になるなる気にはなれず、在学中に家出同然で突然上京します。 デザイン会社に入社するも、うまくいかず叔父の紹介で東映動画に入社します。 そこは女性差別が当たり前の世界。 奥山玲子さんも、お給料や仕事量などで男性と差をつけられます。 しかし、男勝りな奥山さんはそれに屈せず、会社と戦います。 4月1日からのNHKの朝の連続テレビ小説「なつぞら」は女性アニメーターの活躍を描くドラマ。 モデルは奥山玲子さん 1936-2007 です。 奥山さんは東映動画の初期に「白蛇伝」をはじめ多くの長編アニメーションを手掛けられました。 小田部羊一さんと結婚され小田部さんがドラマの監修をされています。 — masatoki. rail MasatokiRail また、結婚すれば退職するのが普通でしたが、小田羊一さんと結婚した後も、 仕事を続け、下の一覧のあるように多くのアニメーションに携わりました。 1958. 公開(映画)『白蛇伝』 動画 1959. 完成(映画)『たぬきさん大当たり』動画 1959. 公開(映画)『少年猿飛佐助』 セカンド原画 1960. 公開(映画)『西遊記』セカンド原画 1962. 公開(映画)『アラビアンナイト シンドバッドの冒険』原画 1963. 公開(映画)『わんぱく王子の大蛇退治』原画 1963. ~65. 放映(TV)『狼少年ケン』 原画・作画監督(話数不明) 1966. ~68. 放映(TV)『魔法使いサリー』作画監督(77話ほか) 1969. ~70. 放映(TV)『ひみつのアッコちゃん』作画監督(44・61話) 1969. 公開(映画)『長靴をはいた猫』原画 1969. 公開(映画)『空飛ぶゆうれい船』原画 1971. 公開(映画)『どうぶつ宝島』原画 1971. 公開(映画)『アリババと40匹の盗賊』原画 1971. ~72. 放映(TV)『さるとびエッちゃん』原画(6話) 1972. 公開(映画)『ながぐつ三銃士』原画 1972. ~72. 放映(TV)『デビルマン』原画 1972. ~74. 放映 (TV)『マジンガーZ』作画監督(69話) 1973. 公開(映画)『哀しみのベラドンナ』原画(北川玲子 名義) 1973. 公開(映画)『マジンガーZ対デビルマン』原画 1974. 公開(映画)『きかんしゃやえもん D51の大冒険』原画 1974. 公開(映画)『マジンガーZ対暗黒大将軍』原画 1975. 公開(映画)『アンデルセン童話 にんぎょ姫』作画監督 1975. 公開(映画)『宇宙円盤大戦争』原画 1976. 公開(映画)『長靴をはいた猫 80日間世界一周』原画 1976. 4~76. 放映(TV)『母をたずねて三千里』キャラクターデザイン・作画監督補(22話~52話) 1977. ~77. (TV)『シートン動物記 くまの子ジャッキー』原画(5話) 1976. ~79. 放映(TV)『キャンディ・キャンディ』原画(話数不明) 1979. 公開(映画)『龍の子太郎』キャラクターデザイン・作画監督補 1981. 公開(映画)『じゃりン子チエ』原画 1981. ~82. 放映(TV)『名犬ジョリイ』原画(話数不明) 1983. ~85. 放映(TV)『子鹿物語』原画(話数不明) 1984. 公開(映画)『パパママバイバイ』原画 1985. 公開(映画)『ペンギンズメモリー幸福物語』原画 1988. 公開(映画)『火垂るの墓』原画 1991. 公開(映画)『注文の多い料理店』原画 2003.

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