プラハ 窓 外 投擲 事件。 プラハ窓外投擲事件 を ポーランド語

プラハ窓外放擲事件とは (プラハソウガイホウテキジケンとは) [単語記事]

プラハ 窓 外 投擲 事件

チェコの 「第一次プラハ窓外投擲事件600周年記念行事」(7月30日) が迫って参りました。 どういった事件なのか?以下の記事から引用します。 1415年、宗教改革の先駆者である ヤン・フス(Jan Hus)が火刑に処せられ、 ボヘミア人達が猛烈に抗議しました。 どういう事かというと、 カトリック教会による俗人の拝領は聖体であるパンで充分 という考えと対立するからとの事。 それに対し、カトリック教会が『聖務停止』(Interdictum)で応じました。 下では武器を持った民衆が待ち構えており、 逃れる術は無かったようです。 これが、『第一次プラハ窓外投擲事件』です。 この話を聞いたヴァーツラフ4世は、ショック死してしまったという。 数年前、この記念祭に合わせて チェコ旅行でもしようかなと思っていましたが、 あっと言う間にその日が迫って参りまして、 最近も色々とやる事があり、結局は行かれなくなりました。 せめて、ブログで紹介するくらいはいたします。 同事件についても先程のリンク先の記事を引用します。 1617年、ハプスブルク家出身の、 熱烈なカトリック教徒で対プロテスタント強硬派の フェルディナント(Ferdinand)(後の神聖ローマ皇帝フェルディナント2世)が ボヘミア王に即位し、プロテスタントを迫害する政策を実行しようとした事に プロテスタントのボヘミア貴族たちが猛反発。 彼を王として認めず、対立が深まっている最中の1618年、 憤った民衆によって国王顧問官2名と書記の3名が 窓から突き落とされる事件が発生。 これが、『第二次プラハ窓外投擲事件』です。 実は、突き落とされた5人の内3名は命を取りとめ、 フェルディナントのいるウィーンへ逃れ、プラハでの反乱を報告。 カトリック対プロテスタントの30年戦争(1618-1648年) の切っ掛けとなりました。 プロテスタント側は、1620年のビーラー・ホラ(白山)の戦いで破れ、 処刑、財産没収、国外追放等の重い処分を受け、 それに対する反発によって 1648年まで度々戦争が頻発、国土が荒廃してしまいました。 ハプスブルク家のチェコ支配が更に強まり、 18-19世紀の民族主義運動勃興まで、 チェコの暗黒時代が続く事になりました。 実は、1483年にも窓外投擲事件が発生しているそうなのですが、 余り知られていない、というか、 日本語版Wikipediaには出ていないため、 日本では1618年発生の事件を「第二次」とし、 1948年発生の事件を「第三次」としているのに対し、 チェコでは1483年発生の事件を「第二次」とし、 1618年発生の事件を「第三次」とする見方と、 1483年発生の事件を飛ばして 1618年発生の事件を「第二次」とする見方とある様です。 1483年発生の事件について詳細を翻訳して紹介したい所ですが、 今気力が全くありませんのでいつか調べられれば、と思います。 1948年発生の事件についても引用いたします。 1948年に、チェコスロヴァキアの外相、 ヤン・マサリク(Jan Masaryk)が、 外務省の中庭で転落死体で発見されました。 彼は、共産主義政権成立後も外務大臣を留任していましたが、 その政権との関係に苦慮していたと言われています。 マサリクが殺害されたと見る人は、 この事件を『第三次プラハ窓外投擲事件』 と呼んでいるそうです。 1483年のも含めて「第四次」と見る向きもあるそうです。 ちなみに、私は日本語の呼び名について気になる所がありました。 私は最初、「投擲事件」と呼ぶのはまるで爆弾を投げるみたいだと思って、 分かりやすく「放り落とし事件」と呼んでいましたが、 後に周知化している「投擲事件」を受け入れました。 しかし、Wikipediaでは最近、 「放出事件」「放擲事件」という表記に代わっていました。 Wikipediaの編集者も、私と同じ様な疑問を抱いたのかも知れません。 0 16 1 2 4 5 7 1 3 2 1 8 4 10 4 3 5 1 1 11 18 6 2 19 6 2 8 14 6 5 8 4 7 9 3 3 2 1 8 8 12 5 2 4 9 6 1 1 1 2 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 3 3 1 4 2 2 1 1 1 1 2 4 7 2 4 0 4 2 15 2 2 1 1 4 9 30 2.

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プラハ窓外投擲事件 auf Deutsch

プラハ 窓 外 投擲 事件

近所の中村さんは犬の散歩仲間で、彼女が定年退職してからというもの、散歩の時間に会うことが多くなった。 最初は互いの愛犬の話などを交わしていたが、何度か会ううちに、他の話題も持ち出すようになっていた。 独り身で暇を持て余している中村さんは、勉強好きで、よくその内容を聞かせてくれる。 この間は特殊相対性理論だった。 その前はカンブリア紀の古生物。 そのまた前はメソポタミアの占星術について。 あれこれ構わず手当たり次第。 気分の赴くままに突っ込んでゆくのが中村さんのスタイルらしい。 大学受験を控えた私は、決められたことを勉強しなくてはならないのだが、中村さんの姿勢には見習うところが多いと思う。 今日のテーマは世界史だった。 聞くと、チェコ史について調べたらしい。 「また珍しいところに手を出しましたね」 私は言って、トイプードルのココアのリードを手繰り寄せた。 「私も去年少しだけ習いました。 世界史選択なので」 「あら、そうだったの。 ……私はね、大変なことに気が付いたんだ」 「何でしょうか」 「よく聞くんだよ。 「……はっはぁ。 確かにねえ。 相川さんは面白いねえ」 「はは……。 すいません」 私は恥じ入って俯いた。 目線の先には小さくて黒いモフモフがいて、嬉しそうにぴょこぴょこ私の後をついてくる。 普通、お年寄りの自慢話なんかは適当に聞き流して、相槌を打ちながら感心したふうを装っておけば、障りがない。 それは分かっている。 だが、私は性格上、相手の話はちゃんと聞くべきだと思っているし、思ったことはちゃんと口に出すべきだと思っている。 そんな歯に絹着せない私のことを、中村さんはかえって気に入ってくれているようだった。 お世辞を言われてあしらわれるよりよっぽど楽しいという。 私もそんな中村さんの、意外とてらいのない所が、嫌いではない。 中村さんは、誰かに自慢をして感心されたいのではなくて、当たり前に話せる相手が欲しいそうだ。 「それで、それはどういう意味なんですか」 「有名な話らしいよ。 プラハ窓外投擲事件という」 「はあ、面白い名前ですね」 「プラハというのはチェコの首都だけど」 「知ってます」 「当時チェコは、ベーメンとかボヘミアとか呼ばれていたらしいねえ」 「神聖ローマ帝国の中の、ボヘミア王国ですね」 「そうそう。 そこで宗教改革が起こったんだよ」 「……あ。 フスですか」 チェコの宗教改革家、ヤン=フス。 ルターの宗教改革に先駆けてローマ=カトリック教会に逆らった、重要な人物。 現地では多大な支持を得たという。 しかし、1400年代だったかな? フスは、異端者として火刑に処された。 これに怒ったフス派の新教徒たちが、フス戦争を起こしたのだ。 私がそのことを話すと、中村さんは笑った。 「よく覚えてるね。 相川さんは頭が良いなあ」 「えっ」 私は焦った。 別に知識をひけらかしたつもりではなかった。 「いや別に……高校で習っただけですし。 中村さんの方が頭良いですから」 「あら、お世辞が聞けるとは珍しい」 「私がお世辞を言うように見えます?」 その時、中村さんのチワワ、レオンくんがフンをしたので、私は立ち止まって中村さんがそれを拾うのを待った。 「……なんの話だったかな」 「フス戦争です」 「そうそう。 フスの処刑の後、人々は怒ってねえ。 しかもその後、ボヘミアの王様は、フス派の市議会を解散させて、ローマ教会派の人々で新しい議会を作ってしまったんだよ」 「あらら」 「これでフス派の人々はもっと怒った。 それでなんやかんやあって、みんなで市庁舎に向けて行進をしていたんだ。 そこへ、反フス派の人が石を投げつけたりしたものだから……」 「ああ、それはまずい」 「そう。 怒った人々は大勢でプラハ市庁舎を襲撃して……新しい議員たちを、窓から投げ落としてしまった!」 中村さんの言い方がおかしかったので、私はつい笑ってしまった。 笑い事じゃないけど。 「……すごい発想ですね。 投げ落とすって」 「しかも、下には槍で武装した集団が待ち構えていてね。 その上に落とされた七人の議員はみんな死んでしまったの」 「ありゃあ、グロテスクな」 「このことがフス戦争のきっかけになったんだよ」 「……そこまでは知りませんでした。 フスが処刑されたから反乱を起こしたものだとばかり」 「ふーむ。 それは間違いとは言えないけどね。 厳密には少し違うのかなぁ」 「ですねえ」 受験のための詰め込み勉強なんてそんなものだ、という気がした。 本当の勉強というのは、こうして興味のあることを自分の力で調べ上げ、何が本当に正しい事なのかを、見極めることなのではないか。 今度はココアが草むらを嗅ぎまわってグルグル回り出したので、私たちは再び立ち止まった。 私はココアの小便を水で流して処理してから、「行くよ」と言ってリードを引っ張った。 「ところでプラハ窓外投擲事件は他にもあってね」 「は?」 「最初のは1419年、二度目は1618年に起きたんだ」 「に、二度」 今度は一体何があった。 何があってそんな突拍子もないことを、二回も。 ……人を窓から放り出すと、戦争になる。 「あ」 ふと思い当たる節があって、私は言ってみた。 「それ、三十年戦争あたりですね?」 「さすが。 正解」 「確か三十年戦争は、ボヘミアでの反乱がきっかけだったはず……じゃあ、まさかしてそれが……」 「そう、それが第二次プラハ窓外投擲事件を発端にして起きたんだよ」 「第二次」 何だそりゃ。 一度ならず二度までも! 二百年の時を経て、人を窓から放り出すという行動が、発想が、受け継がれてきたのか。 それがプラハの人々にとって誇りだったのだろうか? お……可笑しい。 何かが可笑しい。 「その第二次の事件の前にだね、まず、ハプスブルク家の反プロテスタントの人が、ボヘミアの王様になったんだ。 それでフス派の人々を迫害しようとしたんだね」 「あ、そうか。 フス派もプロテスタントか」 周知の事実だが、ローマ=カトリック教会の影響力が及んだ範囲のキリスト教において、カトリックに対抗する宗派は、みんなまとめてプロテスタントと呼ばれる。 フスは宗教改革の先駆者だから、当然、フス派もまたプロテスタントだ。 それにしても、フス戦争でボロ負けしたのに、フス派の信仰の根強いこと。 余程みんなに気に入られていたんだな。 戦争で人は殺せても、人の心は変えられないという証左か。 「プロテスタントの人々はその新しい王を、王とは認めなかった。 そして、彼がフス派を弾圧することは、信教の自由に反すると言い立てたんだ」 信教の自由? 当時そんな概念が認められていたっけ? ああ、そうだ、16世紀のルターの宗教改革の結果だ。 講和として、ええと……、アウブスブルク宗教和議が開かれた。 そこで諸侯と自由都市は、カトリックかプロテスタントか、どちらかを自由に選んでいいことになったんだ。 もちろんプラハという都市は、プロテスタントを選択したに違いない。 だから王様によるプロテスタント弾圧は自由の侵害だ、と。 うん、いいぞ。 今日の散歩はいい復習になっている。 「そういうことで騒ぎが大きくなったので、王様の使者がプラハ城に来た。 ところが大勢の人々が激怒して待ち構えていてね。 だから三人は助かったんだ」 「あ、死ななかったんですね」 落ちても死なないことがあると。 さっき変なツッコミ入れちゃったよ。 「それでごちゃごちゃあって、三十年戦争が始まったんだ」 「プラハで人が窓から投げ出されると、戦争になる……ははは……」 「まあ、直接的な戦争にならなかった事例もあるんだけどね」 ハァイ!? 他にも事例が!? 「まだ落とされるんですか!?」 「第三次プラハ窓外投擲事件だ」 「大惨事じゃないですか」 「はっはっは」 「何ですか、その、プラハの人たちは、人を投げ捨てるのが趣味なんですか?」 「もはや伝統行事だね」 「怖っ……ふふっ……」 今度はちょっと笑いをこらえるのが難しかった。 ココアが不思議そうにこちらを見上げながら、フンをした。 私はゴミ袋を広げて屈み込んだ。 「して、その第三次とは……また市民が何か?」 「これは前とはちょっと違ってね。 1948年に起きた暗殺事件だよ」 「暗殺」 それは、剣呑な。 1948年なら戦後か。 ……戦後なら。 「今度は宗教じゃなくて、冷戦が何か?」 「おやあ、鋭いねえ、相川さん」 「……どうも」 「そう、チェコスロヴァキアの政権内で、共産系と非共産系の対立が深まっていた時期だよ」 「それはまた……これまでとは随分と違う感じですね」 ちょっとヒヤリとするものを感じる。 時代が近いからだろうか、それとも、背景が全く異なるせいだろうか。 「そこでまたなんやかんやあって、非共産系の閣僚たちが、内閣から去ることになったんだ。 で、ただ一人だけ閣内に残っていた非共産系の人間が、ある日、外務省の中庭にて、転落死体で発見された」 うわあ……。 邪魔者を、殺して排除した、と。 「怖っ」 「そんな感じで閣内に非共産系がいなくなってしまってね。 結局、チェコスロヴァキアに、共産党独裁政権ができたんだよ」 「それで、東側についたんですね」 プラハで人が落ちると戦争になる。 今度の場合は、チェコスロヴァキアが、冷戦の東側陣営に入ることが明確になった訳だ。 これは、戦争になった……のか? うん? まあいいか。 「はあー」 私は歩きながら天を仰いだ。 中村さんの話は面白い。 ……今日のはちょっとばかし物騒だったけど、でも、興味深い。 私もこういうふうに、好きなことを勉強をしてみたいな。 大学に受かったら、自分だけのテーマをみつけて、一直線に調べたり、考えたり、できるようになるのかな。 きっと難しい。 今日話した歴史だって、本当は単なる暗記科目じゃないもんね。 ちゃんと科学的な証拠を示して、解釈して……。 大学にはそういう、教科書にはない勉強の仕方がいっぱい溢れているはず。 楽しみだけど、本当にやっていけるかな。 「中村さんは、よくそんなに勉強できますね。 私にもできるでしょうか」 「はっはっは。 簡単だよ。 いやあ、ウィキペディアというのは便利だねえ」 「Wikipedia!!! 」 私は驚愕のあまり、ココアのリードを取り落とすところだった。 急に信憑性が薄れたんだけど!? 「中村さん、それ、Wikipediaの情報なんですか!」 「いやまあ、他のサイトも見てみたよ」 「そこもネット情報なんですね!?」 「そんなにびっくりすることかな?」 「いや、あの、何か」 私は頭を抱えた。 勉強って……勉強って……。 「こう、図書館とかで本を積み上げて勉強してらっしゃるわけではなく?」 「んー、必用な時はそうするけどね。 でも、もともと私は、インターネットをフラフラするのが好きなだけだから」 中村さんは笑って、レオンくんをちょちょいと引っ張った。 「ではこの辺で、さようなら」 「あっ。 さよなら」 私は慌ててぺこりとお辞儀をした。 中村さんのイメージが、ガラガラと崩れていく音がする。 私は腹の中で叫んでいた。 今までの全部ネットサーフィンかよ!? 終.

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プラハ窓外投擲事件 in English

プラハ 窓 外 投擲 事件

プラハ窓外放出事件の窓は、ヴラディスラフホールの入り口右側から行けます。 気付かずにスルーしていた観光客もいたようなので、気を付けてくださいね! 例の「窓」はあまり高い場所にはない ハイ。 こちらが三十年戦争の発端となったプラハ窓外放出事件の窓でございます! 窓から外をのぞいてみると、それほど高くありません。 実は窓から放り投げられた人たちは、命はとりとめて、近くのロブコヴィツ宮殿に助けを求めたらしいです。 新国事録の間の本棚がかわいかった! さて、旧王宮最大の見どころ「窓」を見たら、ヴラディスラフホールを順路通りまっすぐ進んで、他の部屋も見学しましょう。 こちらは旧議会の間。 玉座が置かれていますね。 歴代のボヘミア王が座ったのかなあ。 新国事録の間。 このかわいらしい本は、古いボヘミア地方の公文書だそうです。 いかにもおとぎの国プラハっぽくてカワイイ!.

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