僕ら の この 両手 が もっと もっと 救い の 手 に。 第23話 父、手を使う

Yes I am 歌詞 ONE OK ROCK ※ 6tag.sixdegrees.org

僕ら の この 両手 が もっと もっと 救い の 手 に

すると、対抗して脱ぎ出していたレミアナの手が止まり、やるせない表情を浮かべたのだ。 一番簡素なもの……盗聴や強制服従の恐れは無い、か 白磁の肌に刻まれた、痛々しい焼印。 これを露出させる事は気が咎めたが、ラディオはどうしても直に見なければならなかった。 愛する娘を護る為に。 「……有難う。 辛い事をさせてしまって、本当にすまなかった。 もう大丈夫だよ」 小さく頷くと、カリシャはボタンを閉める。 やはり、私と同じ……『生前奴隷』だったんだね 憂いを帯びた瞳で、カリシャを見つめるラディオ。 同時に、師匠に拾われる前の過去の記憶が、心の中で渦巻き始める。 生まれて初めて見た物は、両手足を拘束する、錆びた大きな鎖。 生まれて初めて感じた事は、それが食い込む、爛れた皮膚の痛み。 裸同然の格好に、カビだらけで冷め切った2〜3日置きの食事。 狭い石造りの牢屋に押し込められ、鉄格子の外から罵声を浴びせられる毎日。 折られた事の無い骨など無い。 剥がされた事の無い爪など無い。 殴られ、切られ、焼かれ、沈められ、吊るされて。 そうして虫の息になると、碌な治療もせずに牢屋に放置される。 昼夜を問わず、それが日常と化した毎日。 死ねればどんなに楽だろうか……しかし、それだけは許さない。 管理者達もそうだが、一番は自分自身によって。 例えようの無い激情と、全てを塗り潰す憎悪を糧に、ラディオは毎日を生き抜いて来たのだ。 この子は、未だに……堪える必要の無いものを…… ギュッと眉根を寄せたラディオ。 固く握り締めたその手に、有らん限りの力を込めて。 「あぁ……すまない。 何だったかな?」 「ラディオ様……手を、貸して下さい」 言葉の意味が分からず手を見ると、握り締めた拳から血が滴っていた。 余りに力を込めた為、指が掌に食い込み、皮膚を突き破ってしまったらしい。 哀しげな瞳のまま、治癒魔法を掛けるレミアナ。 「……ちち」 「……ごめんよ、レナン」 娘に呼ばれ、申し訳無く微笑みを浮かべたラディオは、もう片方の手で頭を撫でてやる。 小さな両手でお腹の辺りをギュッと掴み、涙を一杯に溜めていたグレナダ。 今まで見た事の無いラディオの空気に、言い様のない不安に駆られてしまったのだ。 「本当にごめんよ。 でも……父は大丈夫。 心配してくれて有難う」 「……あい」 眉毛を八の字に曲げて頷いたグレナダは、両手を大きく広げた。 謝罪と愛を込めて、娘を力一杯抱き締めるラディオ。 分厚い胸板に顔を埋め、グレナダは徐々に落ち着きを取り戻していく。 「レミアナも有難う。 私はもう大丈夫だから、座って」 「……はい……分かりました」 レミアナは、出逢う以前のラディオの過去を知らない。 それに、ここまで怒りを露わにした所も見た事が無い。 でも、だからこそ……深く追求する事が出来なかった。 本当は、ラディオの抱えているものを共に背負いたいのに。 言葉が出ない。 「あの、僕……その、僕、が……ごめ、なさい……」 俯いて、小さくなってしまったカリシャ。 場に流れる空気が、小刻みに震える肩に更にのし掛かる。 「カリシャ、君のせいではないよ。 私が弱かっただけだ。 だから……そんな顔をしないでくれ」 恐る恐る見上げると、ラディオが穏やかに微笑んでいた。 この時、カリシャはふと気付く。 『この人も同じ……全てを知っている人の目をしている』と。 不思議と、安心感に満たされていったカリシャは、コクリと小さく頷いた。 この世界の奴隷は2種類。 1つは、様々な理由によって、元いた地位から転落した者を指す『転落奴隷』。 彼等は、見せしめの為に、首の後ろに焼印が押される。 加えて、反抗出来なくなる様、その印には、様々な効果を持つ魔術式が組み込まれるのだ。 もう1つが、奴隷から生まれた子供の事を指す『生前奴隷』。 生後半年で胸に押される焼印は、『生まれる前から奴隷が決まっている』という意味の只の識別標であり、何の効果も持たない。 彼等にとっては、奴隷である事が当たり前。 故に、元々反抗する意思が希薄だからだ。 ……この歳まで、さぞ辛かったろうに カリシャは『生前奴隷』である、とラディオが判断した理由は幾つかある。 1つは、迷宮で救出した際、首に添えた腕に焼印の感触が無かった事。 1つは、カリシャの推定年齢に対して、明らかにたどたどしい言葉遣い。 生前奴隷は教育を受ける事が無い為、ぎこちない文法になってしまう事が殆ど。 カリシャの見た目から察するに、年齢は20歳前後の筈。 それなのに、3歳に満たないグレナダの方が、流暢に喋れている事が良い例だろう。 最後の1つは、何よりも顕著だったカリシャの瞳。 コルティスが、何時からの主人なのかは分からない。 だが、横に居た時のカリシャの瞳は、恐怖に怯えきっていた。 これは、日常的に凄惨な暴力が振るわれている証拠。 嘗て、ラディオがそうされて来た様に。 下手に動けば、この子の命は…… コルティスが単純な守銭奴であるならば、解決手段は容易だ。 金を払えば良い。 しかし、イトの話と30階層での出来事が気に掛かる……もっと情報が欲しい。 そう思いながら、ラディオは最後の質問を投げ掛けた。 「もう1つだけ聞きたい事がある。 良いかな?」 「は、い……?」 「そう……私とギルドで会った後、君は一度この近辺に来ているね。 あれには……どういった理由があったのかな?」 「あ、あの! 僕、お、れい……言う、と……し、ます」 すると、深々と頭を下げたカリシャ。 そうだったのか。 只お礼をしたかっただけなのに、牽制で怯えさせてしまったらしい。 ラディオは申し訳無く眉根を寄せながら、ポリポリと頬を掻く。 「……そうか。 この前も言ったが、私がしたくてした事だ。 気にする必要は無いよ。 さて、食事にしよう」 ラディオがキッチンへ向かうと、レミアナも即座に立ち上がった。 しかし、残されたカリシャは、どうして良いか分からない。 立とうとしては下を向き、また立とうとしては……という行為を繰り返してしまう。 すると、グレナダが嬉しそうに声を掛けた。 程無くして、ラディオ達が山盛りの料理を運んで来た。 「私の気が回らず、好みを聞くのを忘れてしまった。 肉と魚、両方用意をしたが……何か食べたい物があれば言ってくれ。 直ぐに作り直すから」 ブンブンと首を横に振るカリシャ。 どれも美味しそうで、良い匂いで、湯気が立っている。 目の前の大皿に盛られているのは、骨付きステーキに白身魚のムニエル。 こんなに豪勢な 食 ( ・ ) べ ( ・ ) 物 ( ・ )を見るのは、久し振りだった。 すると、カリシャは顔を真っ赤にして、再び俯いてしまう。 コルティス……まともに食事すらさせていないのか 分かってはいた事だが、それでも怒りが滾る。 しかし、ならば今日は満足して欲しい。 そう思い、グッと怒りを飲み込んで、料理を取り分けるラディオ。 「冷めない内に。 ちょっと待っててね」 娘の為に魚の小骨を取り除き、小さく切り分ける。 そして、よく冷ましてから、大きく開けて待つ口へ魚を入れてやる。 そうなったら、グレナダはもうご機嫌だ。 尻尾をフリフリさせ、とびきりの笑顔を見せてくれる。 そんな2人を眺め、本当に嬉しそうに微笑むラディオ。 すると、チラチラとレミアナの手元を確認しながら、どうにかナイフを使おうとするカリシャが目に入った。 しかし、持ち方も間違っているし、身も上手く切れていない。 生まれて初めての経験なので、食器の使い方が分からなかったのだ。 漸く、どうにか歪に魚を切ると、フォークで刺して口へ運ぶ。 しかし、刺し方が悪く、途中でテーブルの上に落ちてしまった。 瞬間、カリシャの瞳が恐怖に染まる。 急いでラディオを見ると、大きな手が此方に向かって来るではないか。 「あ、あの……僕、ごめ……な、さい! ごめ……な、さい!」 ビクッと体を震わせ、目を瞑るカリシャ。 悪いのは自分だ、汚してしまったのだから。 でも……殴られるのはやはり怖い。 頻りに謝罪を口にしながら、ギュッと手を握り締める。 「ごめ……な、さい! ごめ……な、さい! ごめ……な、さい……?」 しかし、この前と同じく痛みは来ない。 恐る恐る目を開けると、ラディオが申し訳無さそうに微笑んでいた。 「配慮が足りず、すまなかった。 これで食べ易くなったかな?」 ラディオがもう一度渡してくれた皿の上には、均等に切り分けられた魚と肉が盛られていた。 加えて、テーブルも既に綺麗になっている。 口に入る前に、肉がフォークから落ちてしまったのだ。 落ちた物を自分の口へ入れ、グレナダの口元を拭いてやってから、新しい肉を切り分けたラディオ。 「これで良し。 娘の突拍子もない行動に、ラディオ達は思わず笑ってしまう。 キョトンとするカリシャに、ラディオはゆっくりと語り掛ける。 「私は、沢山食べてくれて、沢山笑ってくれる事が幸せだ。 そんな娘の笑顔が大好きなんだ。 食べ方なんて、どうでも良い……そんなものは、後から幾らでも変えられる。 君も好きに食べれば良いんだよ」 カリシャは小さく頷くと、グレナダの真似をして指で魚を摘む。 それをフォークにブスッと突き刺して、口へ運んだ。 「はむ……うっ……ぐすっ……!」 「……お口に合わなかったかな」 ラディオが心配そうに問い掛けると、カリシャはゆっくりと首を横に振る。 そして、今度は肉を同じ様にして食べた。 すると、噛み締める度に、大粒の涙が零れ落ちていく。 「うぅ……おい、し……です……ぐすっ……あった、かい……です……ひぐっ……うえ〜ん……! うぇぇぇぇぇぇん!!」 普段、コルティスの気分で食事は出され、2〜3日に一度あれば良い方だ。 カビの生えた石の様な硬さのパンや、腐りかけの生魚が殆ど。 それでも、『生前奴隷』は文句を言わない。 生きる為には、食べるしかないから。 「うぇぇぇぇぇぇん! おい、し……うぇぇぇぇぇぇん!!」 しかし、今食べた物は違う。 しっかりと味付けをされた『料理』だ。 こんなに美味しくて、優しくて、温かいなんて。 カリシャにはもう、溢れる涙を止める術が分からなかった。 すると、徐に立ち上がったレミアナが、ギュッとカリシャを抱き締めたのだ。 教会には逃亡奴隷が来る事もある。 10年という歳月の中で、沢山の知識も付けた。 どれだけ悲惨な日常を送らされ、どれだけ理不尽な暴力に晒されているのかを。 「大丈夫、もう大丈夫よ。 いつ何時でも、教会は貴女を待っていますからね」 「うぇぇぇぇぇぇん! うぇぇぇぇぇぇん!」 レミアナにしがみつき、子供の様に泣き噦るカリシャ。 今まで溜めて来た何かを涙に変えて、ここで全て消し去る様に。 眉間には皺が寄り、小刻みに床を踏む仕草からは、普段の落ち着きが削がれていた。 怒り……それよりも、焦りが色濃く滲んでいる。 玉には黒い人影が浮かび上がり、並々ならぬ威圧感を醸し出している。 「ひっ!? あぁ! これはこれは! 計画は順調に進んでおります。 な、何も心配は御座いません!」 鞭で打たれた様に玉に振り向き、媚びへつらい始めたコルティス。 引き攣った笑顔を貼り付け、会話に応じている。 だが、玉から聞こえる声は、より一層濁りを増した。 「……二度言わすな」 「あ、あぁ! そうでした! 想定より多少の減算はありました! で、あ、し、しかしですね、あれは、その、邪魔が入りまして……そう、邪魔が入ったのです! ですが、私は何もミスを犯していません! 道具が……道具がしくじったのです!」 しどろもどろになりながら、必死に取り繕うコルティスに対し、人影は何も答え無い。 流れる沈黙が、コルティスの体を震わせ、滝の様な汗を噴き出させる。 床を転がり、立ち上がる事さえ出来ない。 身体中の血管が浮き出し、バキバキと骨が軋み、口から血溜まりを吐き出すのだ。 「……次は必ずやり遂げろ。 でなければ……」 「はぁ……はぁ……か、必ずや……御期待に……添えて、ぐはぁ! み、みせます……」 玉の光が収まると、コルティスは何とか立ち上がり、深々と頭を下げる。 すると、黒い影は徐々に薄くなっていき、やがて完全に気配が消えた。 水晶玉をしまったコルティスは、両拳を握り締める。 「はぁ……はぁ……クソッ! クソッ!! クソォォォォォ!!!」 デスクの上を薙ぎ払い、壁を殴り、照明を投げ飛ばす。 金色の髪を振り乱し、ありとあらゆる物に怒りをぶち撒けながら。 「はぁ……覚えていろ……! この屈辱、必ず晴らしてやる……!!」 乱れた髪を整え、襟元を正し、ゆっくりと深呼吸をするコルティス。 そして、杖を手に取ると、さっさと部屋を出て行った。 その瞳に、燃え上がる憎悪を宿しながら。 静寂が訪れた室内。 床に散乱する書類の中で、先程わざと踏み付けて行った物がある。 それは、一枚の人相書き。 描かれていたのは、ボサボサの黒髪と伸びた髭を持つ、中年の男だった。

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僕ら の この 両手 が もっと もっと 救い の 手 に

たとえば俺のなかで競技としてのバレーが終わったとき。 そのとき、この両手はなんのためのものになるのだろうか。 いつか、いや、近い将来、来年には確実に、もしかしたらもっとはやく。 あのひとにトスを上げるのは自分の役目じゃなくなる。 それはわざわざひとつずつ確かめなくてもわかっていることだ。 とっくに知っていて、受け入れて、理解しているはずのことを、急に認めたくなくなるときがある。 それは試合中にあのひとが、俺では想像もつかないプレーをしてしまうときだったり、相手チームのセッターを見て目をかがやかせているときだったり、こうして、自分の力が及ばなくなるときだったり。 じわっと左手に押し寄せる痛みには、やらかした、と、ため息が出た。 雀田さんがすぐに持ってきてくれたアイシングを左手の薬指に当てながら、せめて折れていなければいいと考えるほどには痛かった。 結果折れてはいなかったけれど、数日はトスが上げられないことになって、たぶんすこし、ゆううつだった。 でも、木兎さんがいないから。 だれかがあのひとに上げるのを近くで見なくていい。 そのことだけが、おそらくそのとき救いだった。 「木葉さんって、なんのためにバレーやってますか?」 向かいに座って器用に手を動かしていた木葉さんは、俺の質問に怪訝そうな顔で眉を寄せた。 細い目をもっと細くして、首をかしげて、なにかを言いかけて、やめて。 めいっぱい悩むようにしてから、ゆっくりと口を開いた。 「……おまえでもそんな意味のない質問すんの?」 悩んでいた内容が質問の答えじゃないだろうことくらいはわかったが、あまりにもの返事にすこし笑う。 まあ、このひとに聞いたらそうだ。 木兎さんに聞く次に意味がなくて、自分で考えるのとさして変わらない。 ただ、動揺はしたのか、テーピングを巻いていた手がすこし乱暴に動いた。 ピリっと走った痛みに眉をひそめると、わり、と謝られる。 「……まあ、意味はないんですけど」 なんで聞いてしまったんだろうと、なんとなくはずかしくなって早急に取り消すと、木葉さんは浅く笑ってから、俺の手を放して切ってあるテープをめくる。 普段ならマネージャーに巻いてもらうのだけれど、自主練中のこの時間、雀田さんも白福さんも帰ってしまっていて、めくれたテーピングを巻きなおすのに、木葉さんが手を挙げてくれた。 自分でもできるのだが、木葉さんは手先が器用だから、あまえることにして任せている。 ぜんぶアンダーハンドでやるんで練習参加させてください。 そう言ってレシーブ練習を中心に参加していたこの数日間で、レセプションやディグがうまくなったような気がしていたところだが、今朝病院に寄って、オーバーハンドをつかう許可が出た。 まだテーピングをしっかり巻かないとすこし痛いが、はやく感覚を取り戻したい。 テーピングを巻いた状態と、しっかり治ってそれを外してからじゃ、また違ってくるのだけれど、いまの状態でマックスが出せなければ意味がない。 ちょうどおおきな大会はない時期だったが、でも、はやくしないと、木兎さんが戻ってきてしまう。 「木兎のため?」 「……俺ですか? ちがいますよ。 わかってること、わざわざ聞かないでください」 「ちがうって聞いときたかったの」 どんな顔でそう言ったのか、たしかめようと木葉さんを見たら、うつむいた顔は伸びてきた髪の陰になってよく見えなかった。 「……前髪伸びましたね」 「は? ああ、そうね。 切んなきゃな」 木葉さんはおどろいたように顔を上げて、いやそうな顔で俺を見たあと、はっ、と息といっしょに乾いた笑い声を吐き出した。 自分でも、よくわからない話題転換だったなと思う。 気になったから、ただ口に出しただけではあったけれど。 木葉さんがよし、と言って、テーピングを巻き終わった。 ありがとうございました、と礼を言うと、木葉さんは、間に合ってよかったな、と言う。 そのためじゃないと言ったのに。 そのためだけじゃない。 でも俺はたぶん、いまこの両手が、木兎さんのためにあればいいと思っている。 トスを上げられるようになってから二日後、木兎さんが戻ってきた部活は、なんだか、いつも以上にさわがしい。 「赤葦! けがしたって」 おはようございます、に応えるまえに、木兎さんはそう言って近づいてきた。 だれが言ったのだろうか、と思ったが、まあ、言っておいてもらった方が気は楽かもしれない。 「もう治りましたけど」 完治したわけではないが、それを説明する必要はない。 両手を見せて、軽く動かすと、木兎さんはなんで言ってくんなかったのと、かなしそうな顔で俺の左手にさわる。 この十日間、木兎さんからはときどき連絡が来ていて、それに返事はしていたが、けがをしたことは言わなかった。 わざわざ言うことではないと思ったから。 それに、戻ってくるころにはもっと完璧に治っている予定だった。 きゅっとにぎって、痛い? と聞く。 すこし、と言うと、しかられた犬のようにしょんぼりとする。 「そりゃおまえがにぎったら痛いだろ」 「ちゃんと大事にしろよ」 小見さんと木葉さんが近づいてきて、木兎さんを挟むと、両側から小突くようにした。 あ、そっか、と言って、木兎さんはぱっと手を放す。 ごめん、と謝るから、大丈夫です、と返した。 まだ部活もはじまっていないのに、もうしょぼくれモードみたいになっていて、思わず先輩たちをにらんでしまった。 小見さんと木葉さんは、こわいこわい、と言って逃げていく。 はあ、とひとつため息をついた。 赤葦、怒った? と、木兎さんが聞く。 そんなことでは怒らない。 ちかくにあったボールかごから、ひとつ、ボールをとった。 「ちゃんとトス、上げられますよ」 だから打ってください。 言うと、木兎さんはとびきりすきな食べものを与えられたときみたいに、うれしそうに笑った。 実際にはストレッチから、基礎練までしっかりこなして、スパイク練習の時間になってようやくトスを上げた。 順番に並んだレギュラー陣にトスを上げる。 いつもはいちばん先頭にいる木兎さんは、なぜかいちばんうしろに追いやられていた。 ドゴッと音がして、ボールは相手コートに落ちていく。 手の感覚は、万全のときとはちがうけれど、おなじボールが上げられなければいけない。 猿杙さんがボールを打って、それから俺に向けてぐっと親指を立てた。 昨日よりはだいぶいいようだ。 ふう、とひとつ息を吐く。 木兎さんが、ギラギラした目で俺を見ている。 ぞわっと背筋に走ったのは、緊張と興奮と、きっとその両方だ。 全日本のレベルで練習や試合をしてきたあとの木兎さんにトスを上げるのは、そもそも、いつも肩にすこし力が入る。 何球かは、木兎さんが不思議そうな顔で打つのを見届けなければいけない。 木兎さんに悪気があるわけではないし、単純に、俺の技術が及ばないというのもすこし違うと思う。 全日本ユースのセッターと比べられているというわけでもない。 ただ、木兎さんには木兎さんのためのトスが上がるはずだ。 どこにいても、どんなチームにいても。 だから俺のトスも、せめてそのひとつであればいい。 結局その日、部活の時間のあいだに、木兎さんが俺のトスに満足することはなかった。 とくに文句を言うわけじゃない。 顔にも、意外と出ない。 でも、おたがい、満足できていないことだけはたしかで、だから、練習後も何本もトスを上げた。 気づいたときには、体育館に木兎さんとふたりだった。 時計を見ればそろそろ最終下校の時間で、教師が見まわりに来てしまう。 つきあわせてしまっているなと思っていた。 いつもは、木兎さんにつきあって居残っているようなものだったけれど、今日は俺がつきあわせていた。 両手はすこしだけ重くて、きもちも、すこしだけ重い。 「次、ラストにしましょう」 「ん」 木兎さんは、両腕をぐるぐるまわしながらうなずいた。 山なりに投げられたボールの下に入って、トスを上げる。 木兎さんが、きれいなフォームで跳んだ。 ドンピシャだ。 力づよいスパイクが、だれもいないコートに落ちる。 だれもいないけれど、だれかがいるようだった。 ブロックも、レシーバーも、いる。 でも、だれの手にも当たらない。 一直線に、床に当たって、跳ねた。 おおきな音がする。 ピーッと、笛の音がする。 したような気がする。 この瞬間のために、バレーをしている。 いつもは木兎さんがぐずぐず着替えるのを待って、そうして部室のカギを閉めるのに、今日の木兎さんは着替えも帰り支度もはやかった。 いや、俺がもたついていただけかもしれない。 なんとなくぼーっとしてしまって、タオルで汗を拭くところからゆっくりだった。 木兎さんはなにも言わずに、座って待っていた。 部誌はまだ書いていないけれど、明日でもいいだろう。 俺が支度を終えると立ち上がって、帰るぞー、と部室を出た。 はい、とあとについていく。 部室のカギを返しそこねたけれど、職員室はおそらくもう閉まっている。 校門の横の、カギの壊れたフェンスのとびらを抜ける。 セキュリティーがどうなっているのかはわからないが、これまで何度最終下校を過ぎて帰っても、警報が鳴ったのは一度しかないから、きっと大丈夫なのだろう。 帰り道を、ふたりとも、ゆっくり歩いていた。 帰りたくないわけじゃないが、はやく帰りたいわけでもなかった。 信号待ちで、木兎さんに左手をさらわれた。 テーピングの残った手を、木兎さんはたしかめるように、ぎゅっぎゅっとにぎる。 不思議と、もう痛くはない。 「最後、すげーきもちよかった」 木兎さんが振り向いて、うれしそうに言う。 そうでしたね、と応えるくらいには、俺にとってもきもちがよかった。 十日ぶりにドンピシャのトスだったからだろうか。 でも、それだけではなかったような気もする。 「……今日、つきあわせてすみませんでした」 木兎さんが戻ってくるときには、全日本のセッターと俺のあいだにあるそもそもの力量の差以外には、違和感を残さない予定だった。 でもうまくいかなかった。 だから、時間がたくさんかかった。 きもちよかったという最後のあれを、明日またやれるかもわからない。 木兎さんは手をにぎったまま、道中にある公園へと入っていった。 街灯のすくないその公園を、こわいとは思わないけれど、夜にあまり近づきたいところではないから、ほとんど足を踏み入れたことはない。 ただ今日は月が明るくて、だから、公園は思ったほど暗くはなかった。 野球がやれそうな広場があって、その隅にベンチが並んでいる。 木兎さんがそのひとつに座って、俺も倣ってとなりに座った。 左手はまだ、木兎さんがにぎったままだ。 身体をすこし俺のほうにひねって、木兎さんは俺の右手もさらっていった。 横並びに座ったまま、向かい合うようにして、木兎さんは俺の両手を、両手の指を、いとおしそうにさわる。 「俺、おまえの手すきだよ」 おおきな目がきゅっと細められる。 本当に、ふくろうみたいだなとたまに思う。 おおきな翼を持っているひと。 その翼で、いちばん高いところに飛ぶとき、きっとそれをささえるのは俺の両手じゃない。 「……トスが上げられなくても?」 「なんで。 いつでも上げてくれるじゃん」 木兎さんが、そっと俺の手を撫ぜるようにした。 テーピングのところを、とくにていねいに。 自分の感情が動いているのはわかったけれど、どう動いているのか、よくわからなくて、うつむいてしまう。 もう痛くないから、大丈夫です。 言おうとして、言えなかった。 なんでもいいんだよ。 赤葦が俺にくれるもの、なんでもうれしい。 木兎さんの声はいつになくやさしい。 たいしたけがじゃなかった。 けがをしたのはよくなかったけれど、もう完治も近いし、さいわい大会の時期でもなかった。 スポーツにけがはつきもので、これくらいならだれにでもある。 「でも、今日は、ほとんどだめでした」 でも、チームのメンバーに迷惑をかけたし、木兎さんにも迷惑をかけた。 「……けがしたとき、俺がいなかったのがよくなかったなぁ」 痛いの痛いのとんでけー、ってできなかった。 木兎さんはおだやかに笑う。 それで治るわけじゃないことくらいはさすがにわかっているだろうに、木兎さんは俺の両手をつつみこむようにして、痛いの痛いのとんでけー、とおまじないをかけた。 もう痛くないです、とは言えなかった。 たぶん、手だけじゃなかった。 いまやっと、どこかにあった痛みがすべてなくなったような気さえした。 だから、きっと効果はあったのだろう。 「赤葦の手、すきだし、俺も大事だよ」 俺は、赤葦の両手があれば、きっとどこでもいけるよ。 「トスじゃなくてもいい。 こうやってつなぐのでもいいし、赤葦がたまに、俺にさわってくれるのも、頭なでてくれるのもすき」 だから俺と赤葦で、いっしょに大事にしようね。 木兎さんは、ほんとうにたいせつなものみたいに、俺の両手を重ね合わせて、指先にくちびるを寄せた。 「……、はい」 木兎さんが、うれしそうに笑う。 帰ろ、と言って立ち上がって、自分の左手と俺の右手だけをつないだままにした。 俺から放すのはなんとなく惜しくて、そのまま歩いた。 もう遅いし暗いから、だれに見られることもないだろう。 「赤葦、明日いちばん?」 「まあ、カギ持ってますからね」 「そっか~、俺もいちばん乗りしよっかな」 子どもみたいに、つないだ手をゆらす。 なんだかすごく、楽しそうだった。 木兎さんがだれよりも高く飛ぶとき、まだここにいられるだろうか。 そのとき、トスを上げるのは俺じゃない。 でも、それは悲観することじゃないのだと、本当はずっと知っていた。 赤葦、これからも、俺のためにあってね。 やさしい束縛は、甘美の響きそのものだった。

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Yes I am 歌詞 ONE OK ROCK( ワンオクロック ) ※ 6tag.sixdegrees.org

僕ら の この 両手 が もっと もっと 救い の 手 に

もう、どうしたらいいのかわからなくなっていた。 雨に濡れるのもかまわず、新宿を歩いた。 今はただ、考え事をしたかった。 自分の娘への愛は誰しもが持っている感情。 罪のない、愛する娘が無残にも殺され、法でさえ救いの手を差し伸べなかった。 そんな事実に向かい合うために母親が出した決断は、僕には幸せを導くものとは思えなかった。 いつの間にか、僕は桜塚動物病院の前までたどり着いていた。 雨が容赦なく頬を打つ。 目に入って沁みるのも構わず、僕は灯りのついた星史郎さんの部屋を眺めた。 どんな、顔をして星史郎さんに会えばいいのかわからない。 今の自分は、何事もなかったように、接することはできないだろう。 取り繕う術も、自分には無い。 このまま自宅に帰り、星史郎さんへは電話で断りを入れたらいいのはわかっていた。 でも、自分の足は自然とここへ向かっていた。 ただ、星史郎さんの顔が見たかった。 星史郎さんの顔を見たら、すぐに帰ろう。 僕はそう決めて、桜塚動物病院 兼 星史郎さんの自宅のチャイムを鳴らした。 「やっぱりお迎えに行けばよかったですね 雨が降ったんで心配したんですよ」 星史郎さんの、穏やかな笑顔と声。 「すみません せっかくお夕飯用意していただいたのに……でも今日は考えたいことがあって……このまま家に帰ります」 「昴流くん 何かあったんですか?」 星史郎さんに名前を呼ばれて、胸がぎゅっとした。 自分でも、考えがまとまらないからうまく説明できないな…… そう思った瞬間、身体がふわりと宙に浮き、星史郎さんに抱き上げられた。 「せ……星史郎さん……!」 このまま帰したら、風邪をひかせてしまうからと、僕のショートブーツを落とすとそのままお風呂場へ連れて行かれてしまった。 星史郎さんの顔が間近にあって、僕の頭のなかはごちゃごちゃだ。 濡れた僕の服のせいで、星史郎さんの服まで濡らしてしまう…… 星史郎さんは脱衣所に僕を下ろすと、お風呂場に入って湯沸しのスイッチを入れた。 「お風呂、すぐに沸きますから。 温まらないと、風邪を引いてしまいます」 そういわれてみれば、身体が冷え切っている。 星史郎さんは手早くバスタオルや着替えを用意すると、これ、使ってくださいね、と言い残してお風呂場から出て行った。 雨の音のように、バスタブにお湯がたまっていく音がする。 僕はのろのろと濡れたコートを脱ごうとした。 手袋まで、雨水に侵食されて、手がかじかんでいる。 雨でずっしりと重みを増したコートは、インナーとくっついて中々脱ぐことができない。 もたもたしていると、星史郎さんの声がドアの向こうから聞こえた。 「昴流くん、濡れた服はこちらに入れてください」 「あっ、はっはい!」 「もう脱いでしまわれましたか?お風呂場に入られたら、濡れた服を引き払いましょうか」 脱いだどころか、コートさえもまだ着たままだ。 「あ……まだ、何も脱いでいません」 星史郎さんは、入りますよ、と断りを入れて脱衣所へ入ってきた。 「大丈夫ですか? 昴流くん 早くお風呂に……」 途方に暮れている僕をみて、星史郎さんは僕の両手首を掴むと、そのまま手首から自分の手を差し込んで呟いた。 「かわいそうに、手袋をしていてもこんなに冷たくなってるんですね」 「せ、星史郎さん!」 「早く脱いでお風呂に入らないと、風邪を引きますよ……手がかじかんで、脱げないんですね。 僕が脱がせてあげましょうか?」 「だ、大丈夫です!」 「……でも、動かない手では服が脱げないでしょう? お手伝いしてあげますよ」 星史郎さんが、僕のコートのあわせ部分を両手で持った。 「せ、せせせ星史郎さん!!」 両手で、星史郎さんの胸を押す。 僕の目をじっと見て星史郎さんは言う。 「昴流くん、同性の人間に服を脱がされるのがそんなに恥ずかしいですか?」 そう言われてみればそうなのかも知れない、そう思うと、観念して両手を下ろした。 「そう……ですね、自分でも、よくわからないのですが……どうして僕、そんなに恥ずかしがってるんでしょうか……」 髪から、しずくがぽたりと落ちた。 星史郎さんは、濡れて重たくなったコートを両手で持つと、ゆっくりと肩からはいで、どさりと床に落とした。 星史郎さんを見上げると、僕の目を見つめ、静かな声で言う。 「昴流くん……両手、挙げてください」 両手を挙げると、やはり湿っているタートルのトップスを、ウエストのところからゆっくりと捲り上げられる。 星史郎さんにされるがまま、脱がせてもらい、上半身があらわになった。 星史郎さんの視線が、僕の身体に落とされる。 何故だか、心臓がどくんと跳ねた。 ズボンの金具に、星史郎さんの手がかかる。 胸の鼓動が激しさを増す。 どうしよう。 脱がせてもらわなければお風呂には入れない。 でも……! 思わず、ぎゅっと目をつぶると、星史郎さんのおどけた声が振ってきた。 「昴流くん……手袋をはずして、手をお湯で温めたら自分で脱げるようになるんじゃないですか? 誰も見ていないところでなら脱いでもいいんでしょう?」 「は……そういえばっ」 目を開けると、星史郎さんがにっこり笑顔を見せて、僕に背中を向けて言う。 「手袋、はずしたら置いておいて下さい。 すぐに洗って乾かしますから」 床に落としたコートを拾い、かごに入れると音をたててドアを閉め、星史郎さんは行ってしまった。 大きく、ため息をついて鏡で自分の顔を見る。 青ざめているのか、赤らんでいるのか、よくわからない顔色をしていた。 最初から、手袋をはずして温めたらよかったのか。 それにしても、星史郎さんは時々、僕をからかうのが楽しいのか意地悪だ。 歯で、手袋の指先を噛んでひっぱると、なんとか手袋が脱げた。 星史郎さんが用意してくれたかごへそれを置くと、僕はお風呂で身体を温めた。 [newpage] *** 星史郎さんが用意してくれた着替えは、彼のパジャマだった。 もともと、パジャマは大きめを着るけれど、星史郎さんのそれはもっと大きくて、改めて自分の子供さ加減を知らしめられたようで、少し情けない。 特にウエスト部分が大きくて、押さえていないと落ちてしまいそうだ。 「おやおや、昴流くんには少し大きすぎましたかねぇ……脱げちゃうならいっそ、脱いじゃいましょうか……? なんならお手伝いしましょうか」 先ほどの調子でそういって、星史郎さんは僕の背後へと回った。 「えっっ!? あ、あの、大丈夫です!せっかく貸していただきましたし、もう眠るだけですから……」 「そうですか……じゃあ、ベッドまでご案内しますよ。 ほら、押さえててあげますから」 星史郎さんはそう言って、後ろから僕の両腰を押さえ、寝室へと連れて行ってくれた。 ……あ、ありがとうございます。 あの、自分で押さえられますから……」 振り返りながらそういうと、星史郎さんの顔がすぐそばにあるのに気づき、また、胸が鼓動を打つのを押さえられない。 星史郎さんの煙草の香りが鼻腔をくすぐり、彼の体の熱が伝わってくるのをパジャマの布越しに感じた。 [pixivimage:35933497] 「すみません、もう大丈夫ですから……その……もう離してくださって大丈夫ですよ?」かろうじて言葉を搾り出すと、星史郎さんはにこりとして手を離す。 「すみませんでした。 昴流くん、押さえながら歩くと転んでしまいそうでしたので」 「いえそんな! 僕の方こそ! ありがとうございました……っ、お、おやすみなさいっ!!」 そういうと僕は、パタパタと寝室へ逃げ込んだ。 バタンとドアを閉めると、ドアに背を持たせかけ、ずるずるとずり落ちるとそのまま床に座り込む。 胸に手をやると、まだどきどきと心臓が波打っている。 「びっくりした……。 まだ、ドキドキしてる。 どうしちゃったんだろう、僕……」 大きく息を吐き、膝を抱えて組んだ両腕に顔を埋めると、パジャマから洗い立ての香りと、ほのかに煙草の匂いがした。 星史郎さんの匂い…… 「昴流くん?」 パジャマに顔をうずめていると、ドアがノックされ、星史郎さんが静かな声で呼びかけてきた。 「すみません……ちょっと寝室に置き忘れた物があるので……入ってもいいですか?」 「っっっ! あ、はいっ! ど、どうぞ! 」 そう返事をして僕はあわててベッドにもぐりこみ、頭から毛布をかぶった。 ドアノブが金属音を立てるのを控えるように、静かにドアを開けて星史郎さんが入ってくる。 「……もうお休みになってるんですか……」 僅かに笑みを含んだ声で呟きが落ちてきた。 「は、はい……あの、忘れ物って……」 毛布から、目だけを出して言った僕に星史郎さんは笑いかけ、ベッドへと近づいてきた。 「眼鏡、置き忘れていましたので」 ベッドに膝をつくと、僕の頭上を通り越し、ベッドヘッドにあった眼鏡に手を伸ばす。 ギシッとベッドが軋む音がする。 「わっ!! 」 眼鏡に手を伸ばす星史郎さんの身体が顔の前に近づいて、僕は思わず毛布を頭の上まで引っ張り上げた。 さっきからずっと胸の鼓動が収まらない。 顔も熱があるかのように火照っているのがわかる。 「昴流くん、どうしたんですか?」 今顔を出したら赤くなっているのがわかってしまいそうで。 「……仕方ないですねぇ」 あきれたような声だったけど、どこか暖かい声で星史郎さんは呟く。 また、ギシッとベッドがきしむ音がして、星史郎さんがベッドに膝をついたのがわかった。 僕の頭が枕ごと沈む。 一瞬、何が起こったのかを考える。 星史郎さんが僕の顔の横で両手をついたのだとわかった瞬間、毛布越しのおでこに柔らかい物を感じた。 「おやすみなさいの挨拶を、僕からはしていませんでしたから。 おやすみなさい」 足音が遠のき、ドアの閉まる音が聞こえた。 心臓が口から飛びでそうで、僕は口を両手で押さえる。 (いっ、いっ、今のは……) これまで、抱きしめられたことはあっても、口付けを受けたのは初めてだった。 星史郎さん、星史郎さん、星史郎さん……嬉しいような、恥ずかしいような、たとえようもない感情が、僕の体をかけめぐる。 僕はどうしてこんなにも、星史郎さんのことで胸が騒いでしまうのだろう。 星史郎さんの落ち着いた声、優しいまなざし、僕を抱きかかえてくれたときの逞しい腕……星史郎さんといると安心する、星史郎さんが笑いかけてくれると嬉しくなる。 僕は…… 身体が温まったためか、急激に眠気が僕を包み込む。 僕は星史郎さんのベッドの中で、素直に眠りに身を任せた。 2013.

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