きま た しょう や。 魚醤

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きま た しょう や

四国最北端の竹居観音から見る小豆島 小豆島(しょうどしま)は、・にある。 行政区分は香川県に属し 、、の2町からなり、人口は28,764人(2016年度推計)。 近年、人口が減少の一途をたどっており、2013年6月24日に隣接するとあわせて、より「」の指定を受けた。 古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれた。 、、、、などの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地となっている。 特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知られる。 また、小説『』の作者の故郷としても知られ 、小豆島を地として、同小説はこれまで2回映画化された。 オリーブ林と内海湾 小豆島は、香川県の県庁所在地の約20km北東沖に位置し、同県最大の島である。 ではに次いで2番目の面積で、日本の島においては19番目の大きさである。 横に向いたが西を見ているような特徴的な形で海岸線は変化に富み、多数のとがある。 南側には池田湾、内海湾がある。 温暖なを活かし、や、などの栽培が行なわれている。 、から橋梁、トンネルなどでつながっていない非架橋の島としては、で最大の人口を有する島である。 また、2013年現在まで空路が存在しないため、船でしか渡れない離島としては日本国内で最大の人口を有する島である。 一日に発着するフェリーの本数は日本有数の数を誇る。 2013年6月23日までは面積100km 2以上の非架橋有人島(を除く)としては、(の離島振興も含め)などのいずれの振興法も指定を受けていない日本で唯一の例だった。 同年6月24日からよりの離島振興法の指定を受けた。 離島振興法を活用することにより、2023年までの人口減少率を10%以内に抑えることを目指している。 島の中心部には、瀬戸内海の島で一番高い山である(ほしがじょう、817m)があり、と、を同時に見渡せる。 面積153. 30km 2(のデータによる)• 海岸線の長さ126km 寒霞渓を始めとする渓谷・自然がに指定されている。 認定の世界で最も幅の狭いがある。 このため正確には二つの島であるが、古くから橋で陸続きであり、慣例的に一つの地域として扱われている。 特に区別する際には小さい方の島(海峡を挟んで西側の島)を前島(まえじま)と呼ぶこともある。 この島のは、天然の博物館と呼ばれるほど、生物の種類に富んでいる。 海底地形の理由から電力の開通以来、2016年4月の電力自由化の前は全域がの供給区域となっていた。 小豆島の島内でも地域により言葉が若干異なり、アクセントに関しても旧付近は高松式、旧北部は観音寺式、南部は本島式、は土庄式と差異がある。 なお「しょうどしま」は、香川県主部も含め「しょ」にアクセントを置いて発音されるように聞こえる。 歴史 [ ] 小豆島について文献に見える最古の記録は『』のの段で、とのまぐわいにより「小豆島」(あずきしま)、亦の名を「」(おおぬでひめ、おおぬてひめ、大鐸姫、阿豆枳島神社の祭神)が生まれたと記述されている。 「おおぬでひめ」の「鐸」はのことで、実際に三五郎池の西側から銅鐸が出土している。 小豆島は古代からに属し、吉備国が分割された後もに属すなど、中世までは本州側の行政区画に組み込まれていた。 初期からはのとなるが、1347年(貞和3年)にはそれまでに呼応して島を支配していたがの攻めによって倒され、以後島は領となりは解体された。 またこの細川氏はであり、この時から政治的な支配者という側面では本州側の手を離れ、四国側に移っている。 実質的にはこの時(1347年(貞和3年))から小豆島は讃岐国へと所属が変わっているが、書簡などに見られる名称に讃岐国あるいは讃州という呼称は定着せず、依然として備前国という呼称が用いられていた。 このような状態は時代が下って1689年(元禄2年)の文書まで見られたが、以降宝永年間からはようやく讃岐国あるいは讃州という呼称が定着し、備前国という表示は行われなくなった。 小豆島は大阪以西における海上交通の要衝地であるため、1585年(天正13年)にの(直轄領、後の)になって以降、その重要性から時の中央政権が直接領有する時代が続いた。 後、がを再建するにあたって新しい石垣を造営するために西国の諸大名は幕府の許可を得て小豆島の各地に石丁場を設置した。 記録で知られるところでは黒田家・加藤家・(後に熊本藩)細川家・中川家・藤堂家・堀尾家・田中家・鍋島家・浅野家の石丁場が知られている。 石丁場はの際に当時の島の代官であった(没後は・に権限を移管)の許可を得て初めて石を切りだせることになっていたが、良質な石を得られる場所は貴重であったために諸大名はいつ生じるかも分からない公儀普請に備えて石丁場を保持し続けた。 石丁場を持っていた大名が改易になると新領主がその石丁場を継承することもあったが、そうした大名が現れなかった石丁場では公儀の許可を得た商人による請負に転換され、そうした場所では限定的ながら商用に用いることも許されることになった。 江戸時代後期の領有状況 地区 1708年(宝永5年)- 1712年(正徳2年) 1721年(享保6年)- 1739年(元文4年) 1740年(元文5年)- 1829年(文政12年) 1830年(天保元年)- 1837年(天保8年) 1838年(天保9年)- 明治維新 池田村 幕府領 () 幕府領 (高松藩預地) 幕府領 (など) 幕府領 (倉敷代官所など) 領 土庄村 淵崎村 上庄村 肥土山村 小海村 草加部村 幕府領 (預地) 幕府領 (倉敷代官所など) 福田村 大部村 初期までの間は小豆島が4つの庄に分かれたうち、池田地区は池田荘(池田郷)となる。 そののち、小豆郡のうち東部三郷(草加部、福田、大部)は直轄領(倉敷代官所管轄)として、池田地区とも幕府の地となる。 西部六郷は津山藩領として統治された。 また年間、池田郷はの領地となる。 初期にはにより小豆島はに属したが、その後香川県に属する。 一時香川県が統廃合を繰り返したため、、と所属を香川県と一にするが、最終的には香川県となる。 現在も土庄町がと歴史友好都市交流を行うのを始め、香川県はもとより岡山県側の、、、兵庫県、などとの結びつきも深い。 年表 [ ] 近世• 1585年、がに小豆島1万石を与える。 1586年、小西行長が神父を島に派遣し、が伝わる。 1588年、天領になる。 1598年、に行った島民が作りを学び、島独特の手延べそうめんを作り上げる(小豆島そうめんの起こり)。 1620年、修復の際、小豆島より多くの石が採られ運ばれる。 1637年、肥前島原で発生したで多くの農民が殺害されたため、小豆島からも南部に移住が行われる。 その際手延べそうめん技術も島原に移入され、現在は手延べそうめん製造でライバルとなっている。 1686年、島の僧侶により、が整備される。 1804年、高橋文右衛門が島外へ向けて醤油の製造販売を開始(小豆島醤油産業の起こり)• 1858年、加登屋製油所が創業。 (現在のかどや製油) 近代・現代• 1907年、「」設立(現在は)。 1908年、西村地区にてオリーブの栽培が開始される。 (小豆島オリーブ産業の起こり)• 1934年、寒霞渓(神懸山)が日本初の国立公園(瀬戸内海国立公園)に指定される。 1945年、武部吉次が島外へ向けて佃煮(葉柄佃煮)の製造販売を開始(小豆島佃煮産業の起こり)• 1954年、小豆島を舞台とした映画『二十四の瞳』が公開、大ヒットとなり観光ブームが訪れる。 1957年、小豆郡大部村が土庄町に編入。 これより小豆島は土庄町、池田町、内海町の3町体制となる。 1989年、ギリシャと姉妹島提携を結ぶ。 2006年、池田町、内海町が合併。 小豆島町となり、小豆島は2町体制となる。 2013年、離島振興法により離島振興の対象地域となる。 行政 [ ] 小豆島は全域がに属し、との2町がそれぞれ存在する。 人口・面積とも最大は小豆島町であるが、島の玄関口であり多くの商業施設や県出先機関が所在するのは土庄町である。 また、土庄町は小豆島本体以外にも町域に含んでいる。 小豆島町はによってとが合併して新設されたもので、それまでは半世紀にわたって長らく3町体制が続いていた。 平成の大合併では土庄町も含めた3町で合併協議会が進行していたが、町役場の位置をめぐって土庄町と残り2町が対立し、最終的に土庄町が離脱した。 経済 [ ] 商業 [ ] 島嶼地域であるが、3万人近い人口を擁しており、土庄町を中心にある程度チェーン店が立地している。 は2013年7月現在が6店舗営業している。 島内ではこのほか、1軒(1時まで)が深夜営業を行なっている。 1979年1月には小豆島店が同社の100店舗目として全国でも比較的早期に開店したが、2001年以降に閉店している。 主な商業施設• オリーブタウン• 小豆島店• 土庄店• 小豆島店• 小豆島店• 小豆島店• 土庄店• 新土庄店・内海店• マルヨシセンター内海店• 土庄店• 土庄店• 土庄店• 土庄マルナカ店• 小豆島店• 土庄店 金融機関 [ ] 島内の金融機関は香川県系の銀行と各郵便局にあるが存在する。 2013年まではがコンビニとして営業していたもののがなかったため、島内における時間外引き出しは不可能であった。 2013年3月8日にセブン-イレブンが開業するのに伴い、のATM(現金自動預け払い機)も設置され、この状態は解消された。 土庄支店・内海支店(店舗外ATM:単独5か所、共同1か所)• 小豆島支店・内海支店(店舗外ATM:単独1か所)• 内海出張所(店舗外ATM:単独1か所)• 土庄支店(店舗外ATM:単独1か所)• 土庄支店• 土庄支店・蒲生出張所・西出張所・大鐸支店・四海支店・福田支店・北浦支店・大部支店・西村支店・草壁支店・内海支店・苗羽支店・池田支店・二生出張所・三都出張所(店舗外ATM:単独10か所)• 17か所(うち2か所)• 郵便局における土日祝のATM取り扱いは土庄郵便局のみ。 ATM2か所 産業 [ ]• …『二十四の瞳』の映画化以降、観光客が増え、1972年には150万人が島に訪れた。 (など、小豆島町)• (日本有数の生産地)• (島の光、日本三大そうめんのひとつ)• (、土庄町)• (日本初。 100年以上の歴史を持ち、国内最大の生産量)• (が中心)• 災害 [ ] 土砂災害 [ ] 1974年と1976年9月に記録的な集中豪雨を記録し、島内にある山地が崩壊。 1974年には死者29名・全半壊家屋128戸、1976年には死者39名・全半壊家屋406戸を記録した。 その中で1976年の災害は島内のいくつかの山地が崩壊し、山麓の扇状地に位置していた島の西側に位置する石場・東側に位置する(旧)橘地区などの集落は土石流の直撃を受けた場所が多く、惨憺な状況であった。 石場地区では土石流が流下し、家屋を押し潰していき、海岸沿いの道路は寸断され、田畑などの農作物がマサ(砂)によって影響が出た。 また、橘地区では背後の山地に崩壊地が多発し、土石流が川を伝っていき、勢いを増した水が鉄砲水となって流下し、上の集落を襲った。 災害後は山腹崩壊を生じた部分に砂防工事が行われ、堰堤が構築された。 山火事 [ ] 、池田町の山林から出火。 同月14日現在では約540ha以上の森林に延焼する大規模なとなった。 姉妹島 [ ]• () 名所・観光スポット [ ]• - 映画『』(1987年版)のを改築、保存した建物など。 - 旧苗羽小学校田浦分校校舎。 『二十四の瞳』の舞台。 島内に残る唯一の初期小学校校舎。 - 『二十四の瞳』の先生と生徒達の銅像。 にある。 - 、国のに指定、日本三大渓谷の一つ。 がある。 - 瀬戸内海最高峰(817m)。 に、南朝方のにより築城したがある。 展望台 - 小豆島で2番目に高い三角点(776m)近傍にある展望台。 - 滝のすばらしい渓谷。 - 「」認定。 潮の満ち引きによって道が現れたり消えたりする、恋人たちの人気スポット。 - 史跡博物館、道の駅、みなとオアシスの施設機能を備えた公園• - 石切丁場としては日本唯一の指定史跡。 大阪城築城の際、によって開かれた。 - 小豆島で唯一のリゾートゴルフコース。 全ホール瀬戸内海の絶景を眺めながらラウンドできるのが特徴。 - オリーブ記念館、ギリシア風車、サンオリーブ()、など• - 巨大かぼちゃコンテストの全国大会であるの大会会場にもなっている。 手延そうめん館• - 近代醤油蔵建築の日本最大の集積地。 近代化産業遺産12件、国の90件を含む醤油蔵、諸味蔵、佃煮工場が並ぶ。 記念館• - 札所• - 世界一狭い。 - 国の• 中山の - 小豆島唯一の、蛍の里としても有名。 - 海と入江と島の織り成す絶景。 の旧跡地でもある。 - 四国十景・讃岐百景に指定。 花寿波島• こぼれ美島• 小豆島オートビレッジYOSHIDA - 温泉施設、オートキャンプ場。 かつて存在した施設など• 社寺 [ ]• (島四国八十八ヶ所) - 年間、数万人もの巡礼者が島を訪れる。 別格本山 - 日本でも屈指の霊泉(弘法の滝)が境内奥地より涌出している。 小豆島町中山2599。 恵門の滝・石門・清滝・笠滝 - 小豆島山岳霊場のうちを祀る。 皇子神社の社叢 - 国指定の。 渕崎八幡神社 - 戦没陸軍特別幹部候補生の碑がある。 オリーブ神社 イベント [ ]• 瀬戸内海タートル・フルマラソン全国大会• 小豆島オリーブマラソン全国大会 交通 [ ] 小豆島への交通 [ ] 車両乗船可能なを運航している。 便数は四国側のへ発着するものが最も多く、また運航時間も長いなど小豆島から行き来する際に利便性が高い。 そのほか、本州側からは、、、、からのフェリーが現在運航している。 また、瀬戸内国際芸術祭(トリエンナーレ)期間中は、、などその他の島嶼部への臨時便が出る。 太字の会社は旅客専用の高速船の運航もある。 運賃は大人1人当たりの片道旅客運賃。 香川県本土(四国)• (通称:小豆島ライン):高松東港 - (平日2. :・-坂手港(高速船「」)• :大阪南港-坂手港(季節運航) - 中九州航路のしていたがジャンボフェリーの就航により取りやめ• 便含む。 2012年4月23日開設するも2013年5月10日休止。 事業会社も破産した。 島内での交通 [ ]• - 小豆島バスの一般路線を継承• 小豆島交通 - ・貸切バス・タクシー• タクシー• レンタカー• レンタバイク• レンタサイクル• なおかつてはも路線を引いていたが、のち観光バスのみになり現在は撤退している。 道路 [ ]• : -(フェリー) - 福田港 - 草壁港 - 池田港 - 土庄港 -(フェリー) -• :福田港 - 大部港 - 土庄• 出身者 [ ] 政財界 [ ]• (の右腕・の元会長)• (実業家・の元社長)• (社長)• (会頭)土庄町長浜 軍人 [ ]• (陸軍中将)小豆島町草壁• (陸軍中将、梅津・何応欽協定成立に尽力)土庄町長浜• (陸軍大佐)土庄町長浜 学術 [ ]• (創立者)• (植物学・園芸家)• (・) 文化・芸術 [ ]• (・)• (詩人)• (作家)• (俳画家)• (漫画家) 芸能・報道機関 [ ]• ( ベース)• (・・元)• (漫才師)• (漫才師)• (ジャズシンガー)• (クラシック ソプラノ歌手)• (ロックシンガー) (ポピュラーバンド) スポーツ [ ]• (元プロ野球選手、1位)• (元プロ野球選手、)• (元プロ野球選手、・)• (元マイナー契約)• (・、島出身者で初めての) 小豆島を舞台にした作品 [ ] 小説・詩集 [ ]• (小説、)• (小説、壺井栄)• (俳句集、)• (伝記小説、)• (小説、)• (小説、)• (小説、)• (小説、)• (小説、) 映画 [ ] 壺井栄原作による映画• (〈〉1952年、監督:)• (〈〉1954年、監督:)• (〈松竹〉1961年、監督:)• (〈〉1962年、監督:)• (〈〉1962年、監督:) 壺井栄原作以外の映画• (〈松竹〉1965年、監督:)• (〈グループ風土舎〉1992年、監督:)• (〈〉2009年、監督:)原作は『僕の行く道』• (〈松竹〉2011年、監督:)• (〈松竹〉2014年、監督:)• (〈〉1949年、監督:)• (〈東映〉1966年、監督:)• (〈松竹〉1988年、監督:)• (〈松竹〉1993年、監督:山田洋次)• (〈東映〉2014年、監督:)• (〈東映〉2016年、監督:)• (〈松竹〉2017年、監督:) テレビドラマ・広告など [ ]• (2010年3月 - 5月)• (テレビドラマ、2008年11月 - 2009年2月)• (テレビドラマ、2010年5月)• (テレビドラマ、2010年9月)• 12 - 19(テレビ番組、2011年10月 - 2013年4月)• 「日本のどこかで」CMシリーズ(2012年)• アズキマイカ色 CM(2012年)• (テレビドラマ、2014年)• (テレビドラマ、2015年) 歌 [ ]• (作詞:/作曲:/唄:、1957年)• (作詞: 作曲:/唄:、1985年)• (作詞:/作曲・唄:、1988年) アニメ・漫画・ゲーム [ ]• (、2010年)• 2011年)-作中の「美夜島」のモデルはだがなどが登場する。 (第3、4巻、2012年 -)• (アニメ、2018年) その他 [ ] に、の個人や企業が、小豆島を登録する申請が相次ぎ、香川県が異議を申し立てるケースが相次いでいる。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 『日本歴史地名大系』、平凡社 [ ]。 「オリーブの歴史と品質」2020年2月2日閲覧• 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典37 香川県』、1985年9月、419頁。 , p. 420. 橋詰茂「東瀬戸内海島嶼部における大坂城築城後の石の搬出 -小豆島を事例として-」『戦国・近世初期 西と東の地域社会』橋詰茂 編、岩田書院、2019年6月。 P481-507. 世界大百科事典、平凡社 [ ]。 「小豆島で五百ヘクタール焼く 自衛隊も出動 強風・水不足が災い」『中國新聞』昭和46年1月14日 15面• 2013年4月9日. 2015年10月7日閲覧。 ジャパンビジネスレポート 2013年6月10日. 2015年10月7日閲覧。 産経新聞 2019年12月29日 参考文献 [ ]• 『花崗岩地形の世界』、1988年6月15日。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 その他• に関連する地理データ -• 非実効支配下の島は除く。 関連項目: - - - - - -• この項目は、に関連した です。 などしてくださる()。

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20156• 833• 115• 149• 258• 287• 425• 162• 304• 113• 133• 349• 333• 288• 194• 139• 155• 122• 191• 129• 235• 116• 131• 223• 1448• 2872• 4040• 2682• 461• 114• 382• 277• 136• 345• 2728• 113• 202• 145• 161• 136•

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魚醤

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しょっつるといしる 魚をと共に漬け込み、自己消化、の働きでさせたものから出た液体成分が魚醤で、黄褐色 - 赤褐色、暗褐色の液体である。 熟成すると、特有の香りまたは臭気を持つが、魚の動物性が分解されてできたと魚肉に含まれるを豊富に含むため、濃厚なを有しており、として使えば料理に塩味を加えるとともに、うま味を加える働きが強い。 また、、も含んでいる。 上澄み液をすくい取り加熱殺菌して製品とする場合もあるが、独特の香りや臭いは加熱に弱いため、、、の調理には未加熱の分離液を選んで用いる人もいる。 魚醤は、特にの沿岸部を中心に、の、なども含め、いくつかの文化圏で用いられており、特にを始めとする東南アジアでは、塩を除けば、ほぼ唯一の塩味の調味料で、非常に多くの料理に用いられる。 また、これらの文化圏の中には、米飯を加えてを作る伝統を残している地域・もある。 その起源に関しては、の付近とみられている。 種類 [ ] 日本では、近代的な食生活において、が高く風味が独特な魚醤は、やの普及により一般家庭での使用は減っているが、いくつかの地方には魚醤を用いる文化が残っており、などに利用されている。 主なものでは、秋田県で (塩汁)、で (魚汁)、香川県で が製造され、地元を中心に使用されている。 この他後半ころから伝統的製法とは異なる製法が開発され、商品が製造販売されている(新製法の項目参照)。 また、でを製造する際に用いられる くさや液も魚醤の一種であるとも考えられる。 また90年代以降のやの普及に伴い、後述の東南アジアの魚醤が比較的容易に入手可能になっている。 のやの 魚露(ユーロウ)も地元で広く使われている。 これらの言葉の多くはおおむね「魚の水」という意味である。 しかし、では 𩸞露(キエロウ)といい、のケーチャップ(鮭汁)の「鮭」と同じくを意味する語「キエ「魚編に奇」」と、「露」を組み合わせている。 また、魚醤と同様の製法で作られ、液体を漉した後の物をすりつぶして固めたペースト状の調味料も用いられている。 トラシやブラチャンはの。 周辺でもオキアミを用いた(ハーコウ)が製造されている。 歴史的には、においても (: garum)と呼ばれる魚醤が使われていた。 現在でもアンチョビーペーストやサーディンペーストがある地帯は、かつてやの魚醤油が使われていたことの痕跡である。 また南部周辺では、ガルムの流れを引くカタクチイワシの魚醤、 コラトゥーラ(colatura)が今も作られている。 は、から作られるトマトケチャップが有名になっているが、もともとは魚醤を含めた発酵調味料であり、ケチャップの語源は、やの「鮭汁 kechiap 」という魚醤をさす言葉(この場合の(鮭」はを意味するである)とする説が有力である。 ベトナムの魚醤工場 もともとの製法は地域によりかなり異なっており、生の魚をにしたり、干物にして用いるもの、特定の魚種だけを使う場合や網にかかった魚をみな使う場合、などを原料とする場合がある。 基本的に、用いる魚の種類によって、大きな魚の場合には内臓、頭、ヒレなどを、アンチョビなど利用価値の低い小形の魚の場合には、丸ごとを用いる場合が多い。 魚を大量の塩と共に漬け込む。 内臓に含まれるや混入してきたやが分泌するで自然発酵させるものが一般的だが、しょっつるのようにを加えたり、料理用製品のように酵素剤を投入して発酵を助長するものもある。 数か月以上発酵させ、が進むと、魚の形が崩れ、全体が液化してくる。 その液化が進んだものを、漉して用いる。 熟成の度合いは地域によって異なり、熟成度が少なく、魚の香りの強いものから、熟成が進みのような発酵した匂いが中心のものもある。 魚と塩だけで熟成させるものの他に、これにや香草類を加えて味を調えるものもある。 一般に食卓で用いるための製品は純度の高いものであるのに対し、料理用製品では、これに塩水となどを添加している場合もある。 アレルギー [ ] の原因となり得る特定原材料等の25品目に含まれるエビ、カニ、サケ、イカなど原材料を含んでいるものが有るほか、発酵過程で生じるによるアレルギー症状を起こす場合がある。 この発酵過程で生じるヒスタミンは、乳酸菌発酵スターターを用いることで、生成量の抑制が可能である事が報告されている。 各地の魚醤 [ ] 日本の魚醤 [ ] しょっつる [ ] 詳細は「」を参照 秋田県名物、伝統的にはで作る魚醤。 現在作られているしょっつるはハタハタに限らず色々な魚で作られている。 ハタハタ料理にも付き物。 一般的にはハタハタ若しくはと、と一緒に鍋で煮る「しょっつる鍋」が有名。 鍋など、他の料理の味付けにも用いられ、のスープに(特にとして)使われる場合もある。 創作和食の店ではや付けダレなどに混ぜる(いずれも隠し味として)などの工夫も見られる。 しょっからいわし(しょからいわし) [ ] 西蒲区の・地区名物、の頭と内臓を取ったあと、大量の塩と混ぜて半年以上発酵させた魚醤油。 しょっからいわしで大根を漬け込み、2ヶ月間熟成させたものは「なまぐさごうこ」と言い、現地の郷土食である。 いしる(いしり、よしる、よしり) [ ] 詳細は「」を参照 北部で古くから作られているイワシやイカの内臓や頭、骨を塩漬けして発酵させた魚醤油。 イワシの身の部分で「糠鰯(ヌカイワシ)」を漬け込むときに、他の桶に骨や内臓を塩漬けにし発酵させた汁を調味料として使う。 骨や内臓を無駄にしない生活の知恵から生まれた「魚汁」。 独特の風味がある。 古くから「いしる」の味を活かした家庭料理として「いしる鍋」があるほか、と呼ばれる郷土料理がある。 これは、、、、、、などをホタテガイの貝殻に入れ、煮汁に「いしる」を加えて網焼きにしたもの。 また、海産物系の炒め物や鍋物などへのとして使用されることもある。 「いしる」の名は、「いを(魚)じる(汁)」の転訛であるとされる [ ]。 能登半島の多くで「いしる」、小木、宇出津地区では「いしり」と呼ばれる場合が多いが、半島全域で呼称が混在している。 いかなご醤油 [ ] 詳細は「」を参照 香川県の特産品。 かつては「しょっつる」および「いしる」とともに日本三大魚醤と呼ばれた。 に途絶えたが、近年になって少量ではあるが復活生産されるようになった。 1980年代以降の日本の主な製品 [ ] 日本ではに料理用調味料として魚醤製品が注目されたことがあった。 酵素やを用いて製造する方法が試行錯誤され、1989年に発売されたマリナージを嚆矢として様々な商品が開発された。 しかし結局小売製品としての市場は拡大せず、これらの商品は2000年代以降加工食品の調味材料として生産されることが一般的になった。 主なものは以下の通り。 エムジーシーマリナージ - マリナージ(を)• 海択舎 - 本魚醤(サバ・イカ・を酵素分解)• - だししるべ(アジを酵素分解) また、2000年代以降はの一環として、の成果として各地の特産海産物を原料とした魚醤も数多く開発された。 主な取り組みを挙げる。 北海道 - (平成11年)ごろから海産物を原料とした魚醤が水産会社により開発され始めた。 2008年には北海道魚醤油生産組合が立ち上げられ、以後数十社が参加して商品が開発された。 北海道の名産品であるサケやホタテを用いたものの外に、、名産の、名物などを用いた製品がある。 2011年には北海道の食クラスター連携協議体重点プロジェクトに採用されて補助金が投下され、北海道産魚醤の統一ブランド名「雪ひしお」や「雪ひしおくん」のPRが行われた。 高知県 - 知事(当時)の肝煎りにより1993年に設立された「高知県商品計画機構」が、高知名産のの内臓やを用いた魚醤「びーみ」を開発した。 しかし、同機構の運営が思わしくなく、2001年(平成13年)度を以って清算し、現在は入手不可能。 宮城県 - の飲食店等の有志が集まった気仙沼最高料理技術研鑽会が、漁港の名産品であるサンマ、、などを用いた魚醤「魚塩汁きがき」を開発した。 大分県 - 2004年に日田市の会社がと共同でを用いた「」を開発した。 淡水魚であるため通常の魚醤と臭みが異なる。 新潟県 - 新潟漁業協同組合と新潟県すし商生活衛生同業組合が新潟県水産海洋物研究所と共同でを用いた「南蛮海老醤油」を開発した。 2010年にはPR団体として「新潟魚醤油食ブランド普及協議会」が設立され、新潟市内の飲食店で提供されている。 神奈川県 - 湘江亭が相模湾で採れるを用いた「鵠沼魚醤」を開発した。 鵠沼地区地域経営会議のプロモーションにより藤沢市内の飲食店で提供されている。 愛知県 - 2000年に豊浜水産物加工業協同組合が愛知県産業技術研究所と共同でカタクチイワシを用いた「しこの露」を開発した。 2003年には全国中小企業団体中央会から全国地場産業大賞優秀賞を受賞している。 アジア(日本以外)の魚醤 [ ] エクチョッ [ ] (: 액젓 aekjeot 、・) やなどを材料にして作られる。 主にを漬ける際にの塩辛とともに使用されるほか、など、の隠し味としても使用されている。 魚露(ユールー) [ ] (: 𩸞露(キエロウ)、: 鮭汁(ケーチャップ、コエチアッ)、: 魚露(ユーロウ)、・) の、、、や、、などで製造、使用されている。 各種の小魚が利用されるが、では類も多用される。 類で作った液状のものは「蝦油」(シアヨウ、閩南語:ヘーイウ)と呼ばれる。 類を用いる。 ナンプラーに似るが、ナンプラーよりも発酵度合いが低く、魚の香りがより強いものが多い。 またナンプラーより塩味が弱いが、塩分濃度は高い。 上等の品は親戚などへの贈答品として用いられることがある。 「ヌオクマム」「ニョクマム」「ヌックマム」とも呼ばれる。 木製の樽に魚とを「魚10:塩4」の割合で入れ、蓋をして4か月 - 1年程度熟成させる。 をはじめとする、各種ベトナム料理の味付けに欠かせないほか、ヌクマムに刻み唐辛子と刻みニンニクを漬け、ライム果汁・砂糖・水で味を整えたヌクチャムは食卓調味料として使われる。 名産地はやなど。 ただ、系ブラウンHT E155 」が使用されており、、、、、、、、、などでは健康に悪影響を及ぼす可能性があるとして輸入が禁止されている。 namは水、plaは魚を意味する。 水揚げの減少に伴い、他の魚種も混合して用いられているという。 一部の高級品のために、より大型の類、類も用いられるが、これは一般には流通しない。 洗って水を切った魚には食塩をまぶし、陶器の瓶に「魚2 - 3:塩1」の割合になるようにぎっしりと詰める。 瓶の最下層と最上層には塩の層を作り、を編んだ蓋をして重石をおく。 これは屋外に蓋をして置かれる。 魚が液化するにつれ、蓋と重石が沈んで行く。 熟成が終わると、液体成分を漉し、別の瓶に移して出荷される。 ナンパー [ ] (: nam paa、) 魚を塩水に漬けてつくられる。 伝統製法では、陶器の瓶に作られ、瓶の状態で流通する。 様々な魚種が用いられるが、主にが用いられる。 しかしの増加に伴い、淡水魚の供給量が減少しており、これが変わりつつあるという。 ちなみにこのナンパーを濾過しないものをパデーク padeak といい、ラオスではこちらも多用されている。 ブドゥ [ ] 詳細は「」を参照 (: budu、) のなどの魚 ikan bilis を材料にして作られる。 主に野菜を食べるときのドレッシングとして使用される。 イカの塩辛に似た色と味、香りをもつ。 非常に塩分が強い。 乳状のブドゥはビンで購入できる。 これを小皿にすこしとり、そこにを絞り、好みでを刻んだものを加えることもある。 ゆで野菜や生野菜をたべるときにこれにつけながら食べる。 半島部マレー人のなかでも、および南部のに住むマレー人を中心に好まれ、クランタンの独特な文化のひとつとして象徴的に語られることが多い。 都市部のマレー人は食べたことがないものも多く、苦手な人が多いようである。 パティス [ ] (patis、) ヨーロッパの魚醤 [ ] ウスターソース [ ] (: 、) の原産。 ()や食酢にの魚醤と野菜、スパイス等を合せた万能調味料。 元祖といわれるリー・アンド・ペリン社のものが有名。 味や見た目は日本のとよく似ているが日本のウスターソースはアンチョビを原材料に含まない。 ガルム [ ]• 『和食とはなにか 旨みの文化をさぐる』 2014年 p. 農林水産省• 食品安全委員会• 木村メイコ, 舊谷亜由美, 福井洋平 ほか、「」 『日本水産学会誌』 2015年 81巻 1号 p. 97-106, :, 日本水産学会• NHKテレビ「夕時ネットワーク」2013年05月01日放送• 「魚」を意味する「いを」は、「うお」の古語。 日本海に面した外浦地区では原料にイワシやサバを使うが、富山湾に面した内浦地区の小木、宇出津では原料にを使うので、イカを原料とするものを「いしり」と呼び分けるとする見解もある。 はイワシから魚醤を作って儲けようとして失敗したをモデルにした『紋章』という小説を書いている。 横光はがの盛んな地域だから、魚の醤油は受け入れられなかったとしている。 参考文献 [ ]• 太田静行『魚醤油の知識』(幸書房、1996年)• 外部リンク [ ].

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