僕ら の インベンション。 「プレインベンション」

イノベーション、発明、インベンションの違い、使い方

僕ら の インベンション

イノベーション innovation とインベンション invention の違い イノベーションとインベンションは、使い方を間違えることが多いので、英英辞典のoxford longman と英和辞典の 研究社で調べてみた。 oxford innovation [NOUN] 1. The action or process of innovating: 1. 1 A new method, idea, product, etc. innovate [VERB] 1. Make changes in something established, especially by introducing new methods, ideas, or products: 1. 1 Introduce something new, especially a product : invention [NOUN] 1. The action of inventing something, typically a process or device: 1. 1 Something, typically a process or device, that has been invented: invent [VERB] 1. Create or design something that has not existed before ; be the originator of: 1. 1 Make up an idea, name, story, etc. , especially so as to deceive: longman innovation 1. a new idea, method, or invention 2. the introduction of new ideas or methods invention 1. a useful machine, tool, instrument etc that has been invented: 2. the act of inventing something: 3. a story, explanation etc that is not true: 4. the ability to think of new and clever ideas: 研究社 新英和中辞典 innovation 1. 革新,刷新,一新. 新しく採り入れたもの,革新したもの; 新機軸; 新制度 など. invention 1. 発明,創案. 発明の才,発明力. 発明品,新案. 捏造, こしらえ事,作り事. 124• 145• 149• 111•

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【勇ちゃんの課題曲解体新書】課題曲Ⅲ《僕らのインベンション》

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バッハ作品 [ ] 最も有名な作品は、の《》の前半部分である。 バッハのインベンションは、教育的な意図から作曲され、たいてい公開演奏されることはなく、ピアノの学習者の教材に利用されることが多い。 しかしながら、これらの芸術性を認めた多数のチェンバロ及びピアノ演奏家が様々なアプローチで録音を残している。 バッハ以外では、の《》の中のインベンションが有名。 名称の由来 [ ] インベンションという名称は、( - )が作曲した、通奏低音を伴う多声的な《ヴァイオリンのためのインヴェンツィオーネ Invenzione a violino solo》作品10に遡ると言われる。 インベンションとは「創意・工夫」のことを指し、その後もの協奏曲集作品8には、《》という名称がつけられている。 このようにインベンションとは、バッハが《インベンションとシンフォニア》への序文の中でも触れたように、原義を離れて、探究・発見されるべき曲想、といったほどの意味で使われている。 教育用の教材 [ ] バッハは《インベンションとシンフォニア》を、息子の音楽学習のために作曲した。 この作品についてバッハは、の初学者や愛好家が、多声をきれいに弾き分けられ、旋律を歌わせることができるようになることと、作曲の前段階として、優れた曲想とその展開の仕方を覚えられるようになることを目指して、これらの作品を作曲したと述べている。 楽曲の特徴 [ ] インヴェンションは、様式が採用された器楽曲で、短い呈示部と長めの展開部から成り、一部の曲では短い再現部によって閉じられる。 やと違って、主題の応答にを用いることはない。 バッハのインベンションでは呈示部に転調を含み、長調作品ではに、短調作品ではに進み、時おり転調してから新しい要素を含むことから、そこにの萌芽を見る意見もある。 脚注 [ ] [].

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線は、僕を描く(著:砥上裕將)公式サイト│講談社

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静かに浮かび上がる青春の輪郭 大矢博子(書評家) まるで一幅の水墨画が描かれていく、その過程を目の当たりにした気がした。 大学生の青山霜介は、高校時代に両親を事故で突然亡くして以来、カラッポで無気力な日々を送っていた。 そんなある日、展覧会設営のバイトがきっかけで、日本を代表する高名な絵師・篠田湖山と知り合う。 展示された水墨画に対する霜介の感想を聞いた湖山は、彼を弟子にすると宣言。 まず目を引くのが、水墨画とはどんなもので、どのように習得するのかという情報の興味深さだ。 素人(しろうと)の主人公が一から学んでいくという設定なので、読者にとっても入りやすい。 しかもそれが決して〈説明〉ではなく、時には師の言葉として、時には実演場面を通して、また時には練習中の霜介の思考に重ねて伝えられるため、読者は霜介と一緒に驚いたり戸惑ったり感動したりしながら、少しずつ水墨画に馴染んでいけるよう工夫されている。 その工夫を工夫と思わせない自然なストーリーテリングが素晴らしい。 おかげで、水墨画の新鮮さと奥深さに一気に魅入られた。 「墨の濃淡、潤渇(じゅんかつ)、肥瘦(ひそう)、階調でもって森羅万象(しんらばんしょう)を描き出そうとする試み」という壮大にしてシンプルな説明に心揺さぶられ、「一度描かれたものを消すことも、描き直すこともできない」という言葉に、美術の教科書で見たあの幽玄な山水もあの迫力の龍も一発勝負の産物なのかと衝撃を受けた。 その一方で、繰り返し描く、できるまで描く、何かを摑むまで何度でも描くという修業の様子に圧倒された。 風景画と花卉画(かきが)で異なる技術。 絵師それぞれの個性。 四君子(しくんし) と呼ばれる基本画題。 本書を読み終わるや否や、水墨画を実際に見てみたい、と走り出したい気持ちになったほどだ。 それだけでも充分すごいのだが、決して本書は水墨画自体がテーマなのではない。 虚無を抱えていた霜介が徐々に再生する様子こそが肝であり、水墨画の描写がその再生のメタファ、あるいは象徴として描かれていることに注目願いたい。 線を引く。 ある時は思い切って。 ある時は繊細に。 最初はひとつの曲線だったものが、そこに濃い線や淡い線、太い線や細い線がどんどん加わることによって、椿になったり竹になったり湖の景色になったりする。 集まった線は時には面になり、また時には影になる。 それが、虚(うつろ)だった霜介が少しずつ輪郭を取り戻していく様子に重なるのだ。 はじめは、花びらを描いても花に見えない。 けれど対象を見つめ、対象に身を委(ゆだ)ね、自身の身体を操って「この一本」の線を探すことで、線が花びらになる。 花びらが花になる。 墨一色の世界に色が生まれる。 一幅の絵になる。 それはひとりの青年が、自分を見つめ、周囲を見つめ、自分と周囲の関係を見つめながら、確たる自分を構成する線を一本ずつ手にしていくのと同じなのだ。 だから水墨画なのだ。 何より、文章そのものが、物語そのものが、静謐(せいひつ)な墨絵のようだ。 懊悩(おうのう)や足搔きを描きながらも、一歩引いた穏やかさと静けさが全体に満ちている。 その穏やかで静かな文章で、最初は真っ白だった青山霜介という紙の上に、少しずつ線が引かれていく。 まっすぐな線。 緩やかな線。 力強い線。 優しい線。 心細げな線。 自信に満ちた線。 幾つもの線が描きこまれ、そうして読者はいつしか、真っ白な紙から浮かび上がるひとりの青年の輪郭を目にすることになる。 一幅の水墨画が描かれていく過程を目の当たりにした、と書いたのはそういう意味だ。 自分の輪郭を摑む、というのは青春小説の王道たるテーマと言っていい。 それを著者は、線が輪郭となり世界を構成する水墨画と見事に重ね合わせてみせた。 こんな方法があったのか。 青春小説と芸術小説が最高の形で融合した一冊である。 強く推す。 もっと読む 「納得する」という奇跡 吉田大助(ライター) 水墨画を題材にした斬新で本格的な芸術小説でありながら、王道の青春小説でもある。 砥上裕將の『線は、僕を描く』は、唯一無二のオリジナリティを放つ。 大学一年生の青山霜介(「僕」)が、アルバイト先でたまたま遭遇した水墨画の巨匠・篠田湖山に見初められ、内弟子となるところから物語は幕を開ける。 世に「巻き込まれ型主人公」はあまた存在するが、本作の主人公の「巻き込まれ」度合いは格別だ。 おっ、と物語に対して前のめりにさせられること間違いなしの導入だが、その後も興味が持続する理由は、素人(しろうと)と ではあるけれども観察眼が鋭い「僕」の体感を通して語られる、水墨画の世界が魅力的だからだ。 そして、先を行く師匠や兄弟子の言葉に抜群の吸引力が宿っているから。 プロフィールによれば、作者は水墨画家でもあるという。 水墨画の線を引く際の臨場感や身体感覚、美学や哲学は、自身の体感に根ざしているからこそ書き得たものだろう。 それが、読者を未知なる興奮に導く、エンターテインメントの言葉となって出力された。 この一点だけでも、極上の読書体験を保証できる。 一方で本作は、青春小説としても優れた達成を誇る。 「僕」は二年前に遭遇したある出来事により、「真っ白になってしまった」。 その地点から前に進めず、淡々と、ぼんやりと日々をやり過ごす状態だったのだ。 その結果生じた対人関係への苦手意識や恐怖心が、「僕」の内面を満たしている。 コミュニケーションに対するネガティブな感情と、それを克服しようとする勇気の描写。 これぞ、青春小説の真髄だ。 なぜならば大人は、過去の経験と記憶から導き出されたアルゴリズムによって、ある程度スムーズにコミュニケーションがこなせてしまうから。 ところが青春を生きる子どもたちは、コミュニケーションの過程で逐一引っ掛かり、自分の放った言葉や相手の言葉をスルーせず反芻(はんすう)し、そのつど新しい感情を搔き立てていくこととなる。 そうしたコミュニケーションの問題は、水墨画の問題とダイレクトに響き合っている。 人はなぜ絵を描くのか? 言葉では伝えられない思いを絵に託し、他者に届けるためだ。 「僕」は水墨画の鍛錬をしながら、胸に抱えた思いを飲み込まず(「言葉で話し始めれば、その瞬間に語りたいことから遠ざかっていく感情をどうやって伝えたらいいのだろう」)、どうせ伝わらないからと諦めずに(「何かを伝えたいと思ったけれど、僕には選ぶべき言葉がなかった。 伝えようと思いついた言葉は、どれも適当なものではなかった」)、自分の思いをきちんと言葉にして外へ出そうと試み始める。 己について語ることで己を知っていく「僕」は、芸術家としてだけでなく、人間としても少しずつ成長する。 芸術と青春とが絡み合う、重層的な物語だ。 本作はメフィスト賞受賞作だが、いわゆるミステリではない。 しかし、謎と呼ぶべきものが作中にいくつも登場している点にも注目したい。 例えば、湖山先生は水墨画の極意についてこんな言葉を放つ。 「現象とは、外側にしかないものなのか? 心の内側に宇宙はないのか?」。 それがどういう意味なのかは、本人の口から詳しく説明されることはない。 「僕」が自分の頭で考え、筆を揮(ふる)い、画題となる自然を観察し、また筆を揮うという繰り返しの過程で、自分のやり方で気付くしかない。 「僕」の実感を超えたその言葉を巡る、新たな探求が始まる。 しかし、それらは物語に推進力をもたらすための、小さな謎だ。 本作に封じ込められた最大の謎は、実は冒頭の段階で掲げられている。 湖山先生はなぜ「僕」を弟子にスカウトしたのか、という謎だ。 それは、次のように言い換えることができる。 「僕」はなぜスカウトを受け入れ、水墨画を始めたのか。 なぜこれほどまでのめり込むこととなったのか? 本作は、ミステリではない。 だからこれらの謎が解き明かされる時、読者の胸に訪れる感情は驚きではない。 納得だ。 水墨画という非言語の芸術分野を題材にした小説で、架空の登場人物が手にした人生とアートの関係性、時空をも越えたコミュニケーションにまつわる真理を、反発心や違和感など一ミリも感じることなく、深い納得を抱いて受け取ることができた。 それって、当たり前のことじゃない。 一流の作家だけが成し遂げることのできる、奇跡の感触がここにある。 もっと読む• 北海道 この小説の中には、 喪失から恢復までが、いえ、その先も(たとえ、読めないとしても)描かれている気がしてなりません。 青森県 最高でした!!! 文字が筆となり、描かれていく絵が目の前に広がっていく様は圧巻でした。 絵を描くすべての人に読んでほしい一冊です。 栃木県 大きな事件が起きるわけでもなく、謎解きがあるわけでもないのに、読み進める手が止まりませんでした。 読む前と後では、景色が違って見えました。 この作品を読みながら、 無意識に深呼吸をしていました。 そして森の中にいるような清々しさを味わっている自分に気がつきました。 読み始めから話の中にスッと入り、 彼の描く線が頭の中で何度も浮かんでくる。 そんな感じでした。 読み終えた時には充実感でいっぱいになりました。 描き続けることで自分というあやふやな存在を形にし、他者と繫がっていく。 形容しがたい命の本質が、言葉に置き換えられている……そんな気がしました。 読後感も良く、久々に 心が軽くなる物語が読めたと嬉しくなりました。 一歩踏み出す力に、何度も涙あふれる場面があった、 命が芽吹く物語。 群馬県 青山君が水墨画に出会い、受け入れ、成長していく姿がとても眩しかったです。 埼玉県 第一章を読んでいる最中から、感動がわき上がってきて困りました。 最後のあたりは、 涙が出て涙が出て仕方ありませんでした。 こんなにも「見える」小説は初めてです。 傑作でした。 期待を上回るハッピーエンドに涙が溢れました。 最高かよ! 水墨画最高かよ!! 絶対来る。 水墨画ブームが絶対来る。 そんな予感がします。 東京都 素晴らしかったです。 青春小説というよりは、命について、人生について、自分を「表現」することについて、 深く考えさせられるお話でした。 歴史でしか見たことないくらいの水墨画の世界。 ほんの少しだけでも触れられて、 楽しかったです。 たった一本の線が、森羅万象を結びつけ、壮大なる世界を包み込む様は圧巻。 単なる一人の青年の成長記録ではない。 青山君の凄絶ともいえるどうしようもない独りの哀しみを、水墨が救ってくれ、その水墨が、湖山先生や千瑛ちゃんと出会わせ、彼の心に人の温もりを呼び戻してくれた。 読み始めてすぐ、その世界に入り込ませる文章の巧みさに驚かされました。 黒い一つ一つの文字から鮮やかな色彩と主人公たちの心の内が見えた事に驚きました。 そして寄り添いながらも、ふと涙させる 自然な言葉の数々には言葉もありません。 メフィスト賞の硬質さも感じながら、もっとも温かい作品でした。 まるで主人公と並走しているかのような、 書き手の存在を感じさせない没入感を味わいました。 小説というよりも、目の前で彼らが動き、しゃべるのを見ているよう。 何度も読み返してしまいました。 そのたびに新たな発見があります。 一本の線を引く過程から変わっていく絵と、開かれていく心に引きつけられて、とても 「読み終える」という事ができませんでした。 砥上先生、本当に新人なんですか……? 透明感のある世界観、文章の美しさ、全編を通して描かれる孤独の形、何もかも 完成度がとてつもない。 美しくて泣きそうになる尊い物語でした。 著者自身、水墨画家であるという。 言葉ではないもので未知の領域を切り拓こうとしている人間が、 言葉という武器を振り回した時の破壊力を、まざまざと感じさせられる作品だ。 静かな作品です。 一人の人間が水墨画を通して再生していく姿を描く文章が、 美しく優しいです。 読みながら水墨画を想像し、五感が刺激され心が癒されました。 自然体で絵に向き合い、いかに自分の技と才能を過信しないか。 同じ志を持つ人達と鍛錬し、心を解き放っていく。 まだ出来ることはある。 まだこの先は続いている。 著者のその熱い切っ先が、目の前に届いてくるようだった。 水墨画テーマだと難しいのでは? と思いこんでいました。 読み始めると水墨画に興味が湧き、よく知らないはずなのに描く様子、完成した絵のイメージが伝わる 素敵な作品でした。 神奈川県 文字から筆の動きや色が見えたり、墨の香りを感じるという 凄い体験ができました。 現役の水墨画家さんだからこそ書ける作品だと感じました。 水墨画に魅了され、最後にはとても温かな気持ちになるので、多くの方にぜひ読んで欲しいと思います。 馴染みのない水墨画の世界のお話なのに、こんなにもすんなりと入ってきて、しかも描いている様や絵が見えるようで、 正直ちょっと驚いた。 静かでありながらドラマチック、臨場感あふれる描写に深く感動しました。 水墨とそれにかかわる人々が主人公の孤独をやわらげ、自分の心に向き合うきっかけとなる。 そして言語化できないものを水墨を通して伝える。 その表現力には息を飲みました。 まっすぐで、 せつなくて、 透き通るような喪失と再生の物語。 水墨画の小説? ということで正直あまり興味がもてないままプルーフを手にとったのですが、最初の1ページから物語の世界に引きこまれ、 一気読みでした。 福井県 残りのページが少なくなってきた所で、 まだ読み終わりたくないと、先を読むのをためらったほど面白かったです。 岐阜県 人が芸術によって、表現することによって救われていく姿に感動し、清々しく感じました。 その清涼感に 自分の心も救われていくようでした。 愛知県 両親を亡くし、真っ白になってしまった青年が、水墨画を通して成長していく、というだけでなく、 生きる意味を見出していく姿に胸がいっぱいになりました。 青山君にとっての「水墨画」が、私にとっては「読書」でした。 まるで自分の物語のように感じました。 忘れられない一冊になると思います。 『羊と鋼の森』や『蜜蜂と遠雷』を読んだとき、文字が、言葉が、音を奏でているのを感じたけれど、この小説を読みながら、私は紙の 手触り、墨をする 音、筆の 重み、解き放たれる墨の 香り、そしてその 色のすべてを感じた。 ご自身が水墨画を描かれるからこそ的確に文字にすることができるのか!? それとも才能のなせる業か? どちらにせよ、 素晴らしいお話だと思いました。 線を一本引くことに込められた思いに 圧倒された。 文章だけで楽に情景を想像させてしまえる実力に非凡な才能を感じました。 素直で誠実な物語でした。 滋賀県 文章を見るというより、文章を体現する感覚。 芸術の本質、生きる瞬間、文学との融合。 今まで 見たことがない世界が開かれた。 京都府 存在だけは知っていた水墨画の世界。 若く繊細な一人の青年を通じて感じるその世界は、 美しいものでした。 五感で読む、不思議な作品でした。 喪失を抱えた人間が再生していく物語は、嫌な言い方をすると、ありがちなものだ。 にもかかわらず、本書は 非凡な作品である。 大阪府 美しき世界が描かれた瞬間に立ち会えた。 そんな喜びを感じました。 スゴイ新人が現れた! 文章の流麗さはデビュー作とは思えない円熟を感じさせ、描写の鮮やかさは一幅の絵画を眺めている様だ。 水墨画の素晴らしさを伝えながら、青年の成長の記録を見事に表現して見せた。 正に この著者にしか描けない世界観、作品だと唸らされた。 花と対峙する主人公が、自らと向かい合う過程がとても自然で涙を誘われます。 もっともっと読んでいたい。 読み終わりたくない。 そう強く思わせてくれた 稀有な小説だと思います。 互いの才能を認め スキルアップする関係に共感しました。 この小説には 嫌な人間が一人も出てきませんね。 それが、とても良いと思いました。 本当に美しい小説です。 気持ちを少し落ち着けたいときに、また読みたくなる本だと感じました。 兵庫県 生きることを、その行為を、水墨画に投影しているかのような作品。 丁寧な文体と一人一人が真剣に生きている姿に 何度か涙をこらえた。 弱さを抱えているから、人は力強い優しさを持ち得る。 僕は、 この物語に救われた。 顔をあげて、前を向いて、また歩き出そうという「想い」が生まれる一冊です。 臨場感があり、人間の心のいろいろな感情、思い、やさしさ、あたたかさ全てがつまった小説だった。 こんなに本に ひきこまれたのは久しぶりな気がする。 和歌山県 水墨画のシーンでは、ありありと実際の水墨画が目の前に浮かんでくる、 とても美しい文章の作品だと感じました。 島根県 表現が多彩。 『蜜蜂と遠雷』は音が聞こえる文字でしたが、それを思い出しました。 文字から墨の匂いや描かれた花の匂いまでも感じられる。 目だけではなく 全身の全感覚で楽しめる作品でした。 広島県 夢中になれる、本気になる、人生の中でそんなことと出会いたいと思わせる すばらしい作品でした。 鮮烈でいて暖かさがあり、触れれば切れそうでいて安心できる。 激しく熱い情熱を持って穏やかで静かな世界を描いている。 その筆致はとても優しい。 こんなデビュー作は初めて読みました。 山口県 絵が見える。 墨の香りを感じる。 本当にこれがデビュー作? とてもそうとは思えない 豊かな描写に驚きました。 空虚感の中でただよっている青山君が、水墨画に出会って成長していく姿に心が震えました。 何度でも読み返したくなる作品です。 私の大好きな作品に ランクイン!!です。 愛媛県 大切な人を亡くした人間が、ゆっくりゆっくりとしかし確実に癒されていくのが、丁寧な描写、筆致で書かれていて、きっと砥上さんが描く水墨画も優しさと美しさに溢れているのだろうと感じました。 ずっと浸っていたい素敵な物語でした。 水墨画に没頭することで、過去に向き合い、 自分の心を解放する、そして成長していく姿に心動かされました。 福岡県 謎があるわけではありません。 大きな事件が起きるわけでもありません。 しかもたった一年の話です。 でも、たった一年で人は ここまで変わってしまえるのだと、 幸せになってしまえるのだと知りました。 人生で初めて水墨画を見ました。 実物ではなく、本の中で。 スポーツでもないのに やたらと力が入る熱い作品でした。 そして優しい。 当たり前の幸せに気付かせてくれる温かい作品です。 長崎県 命を使うことで自分自身が救われ、希望につながる。 この物語は 光あふれる希望の物語であり、 ひとつの芸術だと思います。 ここまで「瞬間」が真に迫る物語は初めてでした。 その瞬間瞬間に立ち会えたことは、私の宝物です。 ところがラスト25ページあたりからは、そんな事は飛んでしまい、 ただただ涙が頰を伝っていました。 細かい技法や、筆を持つときの心の在り方、そして描き進めていくときの感覚など、こんなことまで書いて伝わるのだろうか? ここまで書いて大丈夫か? というようなことも丁寧に書いています。 春蘭も菊も薔薇も葡萄も、ただ描き方を知っているということではなくて、実際に描けるようになるまで繰り返し修練してきたことを、言葉に置き換えてみました。 色彩を排し、毛筆という不安定な用具を用い、描いたものを二度と消すこともできない制限だらけの絵画。 それが水墨画です。 そんな手法で森羅万象という複雑で巨大なものに挑み続ける時、「人ってなんだろう? 生命ってどういうことだろう? 自然ってなんだろう?」と思わずにいられなかった経験が、この小説を書きあげていく時の力になりました。 それは、疑問と同時に感動を呼ぶもので、何気ない草花やありふれた景色を、心地よい気分で眺めている時と少し似ています。 厳しくもあるのですが、時々ふいに優しい気持ちになれるような言葉を超えた感動を与えてくれるものでした。 そんな時間を延々と繰り返した後、言葉で何かを表現するという世界の外側をウロウロとしていた人間がようやく口を開いて、実は絵を描くっていうのは結構楽しいことなんですよ? と語り始めたのがこの本です。 ついでに、尊敬できる先生や、同じように絵を志す心優しい方々と出逢えた喜びも詰め込んであります。 この本を通して、自然の美しさや、伝統文化、誰かと出逢う喜び、自らに向かい合っていく静かな時間を、ほんの少し思って戴ければ著者としてはこの上ない喜びです。

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