宮崎駿。 宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』は「3年以内に完成させたい」、鈴木プロデューサーが海外インタビューで明かす

宮崎駿 (みやざきはやお)とは【ピクシブ百科事典】

宮崎駿

デジタル配信の解禁。 トークセッションが行われた後、Netflixの配信を開始した理由について質問が上がった。 Netflixは2020年2月より、日本、アメリカ、カナダを除く世界約190カ国で21のジブリ作品の配信を開始。 ジブリがデジタル配信を解禁したことに、ネット上で驚きの声が上がっていた。 宮崎監督は過去に、スマートフォンやiPadなどの電子機器に否定的な意見も述べている。 鈴木氏によると、宮崎監督には「映画の制作費をこれで稼ぎます」と説明したという。 「宮崎駿が今映画を作ってるんですけど、すごい時間がかかるんです。 そうすると、当然お金もかかるわけです。 その映画の制作費をこれで稼ぎます、と。 そうしたら、『じゃあしょうがないよね』と。 (笑)」 「まず宮崎駿でいうと、(Netflixなどの動画配信サービスが)何なのかよくわかってないんですよ。 彼はパソコンも使わないし、スマートフォンも使わない。 だからデジタルで配信と言ってもピンとこないんです。 そこを突いた、ということですね」 なぜデジタル配信にふみきったのか また、数ある配信サービスの中からNetflixを選んだ理由については、「今の映画が絶対に作らないような企画を映画にする。 それを配信の方が始めてるんですよ」と話した。 「僕は団塊の世代に属してるけど、団塊の世代というのは新しいものが好きなんですよ。 それと、機械好き。 Netflixに関しては、今配信サービスで新たに映画が作られるということが始まっているでしょう。 僕はそれが面白いな、と思っているんですよ。 それと同時に、今まで映画を作っていた会社が絶対にやらないような企画を映画にする。 それを配信の方が始めている。 僕はそれが本当にいいことだと思っていて。 映画を作る人間にとっては、もちろん劇場もDVDも大事だけれど、僕は配信も大事なんじゃないかと、そんな風に思っています」.

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宮崎駿監督の現在は死亡説?コロナで死んだ?引退撤回後の次回作は?|消えた有名人今現在の画像管理システム

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2019年6月22日に、東京・神保町の書泉グランデにおいて、「スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫さんトーク&サイン会」が行われた。 鈴木敏夫氏といえば、スタジオジブリのプロデューサーとして、宮崎駿作品をはじめとするアニメーション映画の制作に尽力している人物だ。 一方で鈴木氏は、ラジオ番組「」のパーソナリティーなどで、映画や文化、社会問題といった多彩な話題を、軽妙なトークで自在に語ることでも知られている。 また、初のノンフィクション小説『』(小学館)も話題になっている。 当日は、鈴木氏と親交がある高橋豊氏(アニメイトホールディングス代表取締役会長、「高」は正確には「はしごだか」)が来場。 鈴木氏と高橋氏が出会った徳間書店の編集者時代のエピソードが語られた。 鈴木氏の就職活動や、徳間書店に入社して配属された『週刊アサヒ芸能』での仕事といった話題が登場するなか、トークの中心となったのは、鈴木氏の徳間書店時代の上司である故・尾形英夫氏との思い出だ。 『月刊アニメージュ』の初代編集長となった尾形英夫氏の下で、新人時代から編集者として仕事を続けてきた鈴木氏(ちなみに鈴木氏は『月刊アニメージュ』の二代目編集長)は、この尾形氏から大きな影響を受けたという。 徳間書店入社前後の話題や、尾形英夫氏については、鈴木氏のロングインタビュー集『』(中公文庫)や『』(中公文庫)の中にも登場しているが、今回語られたのは、部下である鈴木氏の目から見た尾形氏の、型破りなエピソードだ。 鈴木氏による味わいのある語り口で活写される、昭和の雑誌編集者の個性的な姿をご堪能いただきたい。 鈴木敏夫(すずき・としお)1948年名古屋市生まれ。 慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。 『週刊アサヒ芸能』を経て、『アニメージュ』創刊に参加。 副編集長、編集長を務めるかたわら、「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。 85年にスタジオジブリの設立に参加、89年からスタジオジブリ専従。 以後ほぼ全ての劇場作品のプロデュース。 現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。 みなさん集まっていただいてありがとうございます。 直前まで、いったいどういうお話をしたらいいんだか、まったく用意していなくて。 いつもそうなんですけど、みなさんのお顔を拝見してからね、話を決めようと。 今日は書泉グランデに来ているんですけど、書泉グランデって、アニメイトという会社のグループなんですよね。 アニメイトはみなさんご存じだと思いますけど、それだけじゃなくて芳林堂書店さんとか、この書泉グランデだとか、いろんな事業をやっているんです。 現在はアニメイトホールディングス代表取締役会長。 アニメイトグループにはアニメショップチェーンの展開を行う株式会社アニメイトのほか、株式会社ムービック、株式会社ゲーマーズ、株式会社書泉などが存在している。 今日のこのサイン会を企画していただいたのは、高橋さんなんです。 なので、高橋さんにも参加してもらおうと思いますけれど、みなさんいかがですか? (会場拍手) 鈴木氏: 僕が高橋さんにお目にかかったのはね、たぶん20代だと思うんですけど。 高橋氏: 20代後半か、30歳になったぐらいじゃないですかね。 鈴木氏: 今日来られているみなさんとたぶん、同じぐらいじゃないかと。 僕は当時ね、何をやっていたかというと、徳間書店というところで雑誌を作っていたんです。 鈴木氏による初のノンフィクション小説『』(小学館)。 タイ王国の田舎町パクトンチャイで大家族と暮らす若きシングルマザーの物語をエッセイ風に描き切っている「傑作」だ 僕は徳間書店に入って最初、週刊誌をやらされて。 今もあるんですけど。 『週刊アサヒ芸能』っていう。 読んだことのある人は少ないですよね、この中に。 じつを言うと就職の時に、自分が何をしたいかというのがまったくなくて。 「働かなきゃいけないから働く」なんてことを考えているうちにね、いろんな会社の就職試験がどんどん終わっちゃうんですよ。 気がついたら、大学のクラスで就職が決まっていないのが、3人だけになっちゃって(笑)。 それで、どうしようかなと思っている時に、渋谷に当時「子ども調査研究所」というのがあって。 僕はそこでアルバイトをしていたんですね。 アルバイトと言いながら、まる2年間毎日ね、その会社に朝出勤をして夕方まで働いていたんです。

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宮崎駿「才能は多くの人が持っているけど…」 ジブリを創り上げた男の名言【14選】

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2019年6月22日に、東京・神保町の書泉グランデにおいて、「スタジオジブリプロデューサー鈴木敏夫さんトーク&サイン会」が行われた。 鈴木敏夫氏といえば、スタジオジブリのプロデューサーとして、宮崎駿作品をはじめとするアニメーション映画の制作に尽力している人物だ。 一方で鈴木氏は、ラジオ番組「」のパーソナリティーなどで、映画や文化、社会問題といった多彩な話題を、軽妙なトークで自在に語ることでも知られている。 また、初のノンフィクション小説『』(小学館)も話題になっている。 当日は、鈴木氏と親交がある高橋豊氏(アニメイトホールディングス代表取締役会長、「高」は正確には「はしごだか」)が来場。 鈴木氏と高橋氏が出会った徳間書店の編集者時代のエピソードが語られた。 鈴木氏の就職活動や、徳間書店に入社して配属された『週刊アサヒ芸能』での仕事といった話題が登場するなか、トークの中心となったのは、鈴木氏の徳間書店時代の上司である故・尾形英夫氏との思い出だ。 『月刊アニメージュ』の初代編集長となった尾形英夫氏の下で、新人時代から編集者として仕事を続けてきた鈴木氏(ちなみに鈴木氏は『月刊アニメージュ』の二代目編集長)は、この尾形氏から大きな影響を受けたという。 徳間書店入社前後の話題や、尾形英夫氏については、鈴木氏のロングインタビュー集『』(中公文庫)や『』(中公文庫)の中にも登場しているが、今回語られたのは、部下である鈴木氏の目から見た尾形氏の、型破りなエピソードだ。 鈴木氏による味わいのある語り口で活写される、昭和の雑誌編集者の個性的な姿をご堪能いただきたい。 鈴木敏夫(すずき・としお)1948年名古屋市生まれ。 慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店入社。 『週刊アサヒ芸能』を経て、『アニメージュ』創刊に参加。 副編集長、編集長を務めるかたわら、「風の谷のナウシカ」「火垂るの墓」「となりのトトロ」などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。 85年にスタジオジブリの設立に参加、89年からスタジオジブリ専従。 以後ほぼ全ての劇場作品のプロデュース。 現在、株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。 みなさん集まっていただいてありがとうございます。 直前まで、いったいどういうお話をしたらいいんだか、まったく用意していなくて。 いつもそうなんですけど、みなさんのお顔を拝見してからね、話を決めようと。 今日は書泉グランデに来ているんですけど、書泉グランデって、アニメイトという会社のグループなんですよね。 アニメイトはみなさんご存じだと思いますけど、それだけじゃなくて芳林堂書店さんとか、この書泉グランデだとか、いろんな事業をやっているんです。 現在はアニメイトホールディングス代表取締役会長。 アニメイトグループにはアニメショップチェーンの展開を行う株式会社アニメイトのほか、株式会社ムービック、株式会社ゲーマーズ、株式会社書泉などが存在している。 今日のこのサイン会を企画していただいたのは、高橋さんなんです。 なので、高橋さんにも参加してもらおうと思いますけれど、みなさんいかがですか? (会場拍手) 鈴木氏: 僕が高橋さんにお目にかかったのはね、たぶん20代だと思うんですけど。 高橋氏: 20代後半か、30歳になったぐらいじゃないですかね。 鈴木氏: 今日来られているみなさんとたぶん、同じぐらいじゃないかと。 僕は当時ね、何をやっていたかというと、徳間書店というところで雑誌を作っていたんです。 鈴木氏による初のノンフィクション小説『』(小学館)。 タイ王国の田舎町パクトンチャイで大家族と暮らす若きシングルマザーの物語をエッセイ風に描き切っている「傑作」だ 僕は徳間書店に入って最初、週刊誌をやらされて。 今もあるんですけど。 『週刊アサヒ芸能』っていう。 読んだことのある人は少ないですよね、この中に。 じつを言うと就職の時に、自分が何をしたいかというのがまったくなくて。 「働かなきゃいけないから働く」なんてことを考えているうちにね、いろんな会社の就職試験がどんどん終わっちゃうんですよ。 気がついたら、大学のクラスで就職が決まっていないのが、3人だけになっちゃって(笑)。 それで、どうしようかなと思っている時に、渋谷に当時「子ども調査研究所」というのがあって。 僕はそこでアルバイトをしていたんですね。 アルバイトと言いながら、まる2年間毎日ね、その会社に朝出勤をして夕方まで働いていたんです。

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