うしみつブログ。 麺ダイニング うしみつ (麺dining うしみつ)

麺ダイニング うしみつ (麺dining うしみつ)

うしみつブログ

"編集手帳" 8月11日 付 江戸川柳に、 川留めに腹の立つほど富士が晴れ とある。 大井川だろうか、雨は上がったものの増水で川が渡れない。 運休に欠航、陸と空の便を引っかき回して台風7号が去った 旅行の予定が大きく狂い、あるいは取りやめになり、 がっかりした顔の家族を引き連れて、空港や駅から自宅に引き返した人のことを考えると、 自然の仕業とはいえ、お気の毒と申し上げるほかはない いつもの夏ならばプールにでも連れて行って子供たちに埋め合わせをするところだろうが、 埼玉県ふじみ野市のプール事故があった後ではそれも親御さんの心配の種になる 文部科学省の緊急調査によれば、 全国の公立学校のプールと公営プール2300か所以上で安全管理の不備が見つかったという。 子供たちのつまらなそうな顔が目に浮かぶ 作家の井上靖は四季では夏、 夏の一日では昼下がりの一刻(ひととき)が好きだと書いた。 「あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻(どき)だ」と(「夏」)。 いくらか浮かない気分の夏、せめて台風一過の日差しだけは大事にしたいものである。 (2006年8月11日 読売新聞) ----------------------- "夏" by 井上靖 四季で一番好きなのは夏だ。 夏の一日で一番好きなのは昼下がりの一刻(ひととき) --、あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻だ。 そうした時刻 幼い頃の私はいつも土蔵の窓際で、祖母ととうもろこしを食べていた。 小学校に通っている頃は毎日、インキ壺のような谷川の淵に身を躍らせて、 その時刻を過ごした。 学生の頃は、校庭の樹蔭で、書物で顔を覆って、爽やかな青春の眠りを眠った。 そうしたこの世ならぬ贅沢なすべては遠く去り、 今の私にはもはや土蔵も、谷川の淵も、校庭の樹蔭もない。 真夏の昼下がりの一刻、私は書斎の縁側の籐椅子に倚って、遠い風景を追い求めている。 烈日に燃えた漢地の一画、遠くに何本かの竜巻の柱が立ち、 更にその向こうを、静かに駱駝の隊列が横切っている。 そうした旅への烈しい思いだけが、 風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻の中に、私を落着かせる。 私を生き生きとさせる。 (「遠征路」より) -------------------- AND... "青葉" by 井上靖 この世にまだ神があった時代、 一人の忠臣が木の下蔭馬を留めて、 己が子に後事を託して別れて行く話は、 誰が作ったか知らぬが、 木の下蔭の仄暗さと、 そこを渡って行く風の爽やかさの故に、私は好きだ。 ひと組の父子の青葉に包まれたドラマの悲しさもさることながら、 仄暗く爽やかな小さい空間の設定はみごとである。 今はこの世から神は姿を消してしまったが、その空間だけは私たちのものだ。 私は愛犬の小屋を木の下蔭におき、幼い孫娘の小さい机を木の下蔭に置く。 私の幸福もまた別離とは無縁ではないのだ。 (「季節」より) -------------- あらたうと青葉若葉の日の光 (あらとうと あおばわかばの ひのひかり) 奥の細道(日光)yoyi ------------------ 卯月朔日、御山に詣拝す。 往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。 千歳未来をさとり給ふにや、今此御光一天にかゝやきて、 恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。 猶、憚多くて筆をさし置ぬ。 It was good to be young the in the season of plenty, when the catfish were jumpin' as high as the sky. A time just for plantin', a time just for ploughin', a time to be courtin', a girl of your own. Twas so good to be young then, to be close to the earth and to stand by your wife at the moment of birth. by "Paul Francis Webster" ------------------------------ Have you ever had any-light of green-leaves?

次の

うしみつ刻

うしみつブログ

"編集手帳" 8月11日 付 江戸川柳に、 川留めに腹の立つほど富士が晴れ とある。 大井川だろうか、雨は上がったものの増水で川が渡れない。 運休に欠航、陸と空の便を引っかき回して台風7号が去った 旅行の予定が大きく狂い、あるいは取りやめになり、 がっかりした顔の家族を引き連れて、空港や駅から自宅に引き返した人のことを考えると、 自然の仕業とはいえ、お気の毒と申し上げるほかはない いつもの夏ならばプールにでも連れて行って子供たちに埋め合わせをするところだろうが、 埼玉県ふじみ野市のプール事故があった後ではそれも親御さんの心配の種になる 文部科学省の緊急調査によれば、 全国の公立学校のプールと公営プール2300か所以上で安全管理の不備が見つかったという。 子供たちのつまらなそうな顔が目に浮かぶ 作家の井上靖は四季では夏、 夏の一日では昼下がりの一刻(ひととき)が好きだと書いた。 「あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻(どき)だ」と(「夏」)。 いくらか浮かない気分の夏、せめて台風一過の日差しだけは大事にしたいものである。 (2006年8月11日 読売新聞) ----------------------- "夏" by 井上靖 四季で一番好きなのは夏だ。 夏の一日で一番好きなのは昼下がりの一刻(ひととき) --、あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻だ。 そうした時刻 幼い頃の私はいつも土蔵の窓際で、祖母ととうもろこしを食べていた。 小学校に通っている頃は毎日、インキ壺のような谷川の淵に身を躍らせて、 その時刻を過ごした。 学生の頃は、校庭の樹蔭で、書物で顔を覆って、爽やかな青春の眠りを眠った。 そうしたこの世ならぬ贅沢なすべては遠く去り、 今の私にはもはや土蔵も、谷川の淵も、校庭の樹蔭もない。 真夏の昼下がりの一刻、私は書斎の縁側の籐椅子に倚って、遠い風景を追い求めている。 烈日に燃えた漢地の一画、遠くに何本かの竜巻の柱が立ち、 更にその向こうを、静かに駱駝の隊列が横切っている。 そうした旅への烈しい思いだけが、 風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻の中に、私を落着かせる。 私を生き生きとさせる。 (「遠征路」より) -------------------- AND... "青葉" by 井上靖 この世にまだ神があった時代、 一人の忠臣が木の下蔭馬を留めて、 己が子に後事を託して別れて行く話は、 誰が作ったか知らぬが、 木の下蔭の仄暗さと、 そこを渡って行く風の爽やかさの故に、私は好きだ。 ひと組の父子の青葉に包まれたドラマの悲しさもさることながら、 仄暗く爽やかな小さい空間の設定はみごとである。 今はこの世から神は姿を消してしまったが、その空間だけは私たちのものだ。 私は愛犬の小屋を木の下蔭におき、幼い孫娘の小さい机を木の下蔭に置く。 私の幸福もまた別離とは無縁ではないのだ。 (「季節」より) -------------- あらたうと青葉若葉の日の光 (あらとうと あおばわかばの ひのひかり) 奥の細道(日光)yoyi ------------------ 卯月朔日、御山に詣拝す。 往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。 千歳未来をさとり給ふにや、今此御光一天にかゝやきて、 恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。 猶、憚多くて筆をさし置ぬ。 It was good to be young the in the season of plenty, when the catfish were jumpin' as high as the sky. A time just for plantin', a time just for ploughin', a time to be courtin', a girl of your own. Twas so good to be young then, to be close to the earth and to stand by your wife at the moment of birth. by "Paul Francis Webster" ------------------------------ Have you ever had any-light of green-leaves?

次の

M!LK 公式ブログ Powered by LINE

うしみつブログ

"編集手帳" 8月11日 付 江戸川柳に、 川留めに腹の立つほど富士が晴れ とある。 大井川だろうか、雨は上がったものの増水で川が渡れない。 運休に欠航、陸と空の便を引っかき回して台風7号が去った 旅行の予定が大きく狂い、あるいは取りやめになり、 がっかりした顔の家族を引き連れて、空港や駅から自宅に引き返した人のことを考えると、 自然の仕業とはいえ、お気の毒と申し上げるほかはない いつもの夏ならばプールにでも連れて行って子供たちに埋め合わせをするところだろうが、 埼玉県ふじみ野市のプール事故があった後ではそれも親御さんの心配の種になる 文部科学省の緊急調査によれば、 全国の公立学校のプールと公営プール2300か所以上で安全管理の不備が見つかったという。 子供たちのつまらなそうな顔が目に浮かぶ 作家の井上靖は四季では夏、 夏の一日では昼下がりの一刻(ひととき)が好きだと書いた。 「あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻(どき)だ」と(「夏」)。 いくらか浮かない気分の夏、せめて台風一過の日差しだけは大事にしたいものである。 (2006年8月11日 読売新聞) ----------------------- "夏" by 井上靖 四季で一番好きなのは夏だ。 夏の一日で一番好きなのは昼下がりの一刻(ひととき) --、あの風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻だ。 そうした時刻 幼い頃の私はいつも土蔵の窓際で、祖母ととうもろこしを食べていた。 小学校に通っている頃は毎日、インキ壺のような谷川の淵に身を躍らせて、 その時刻を過ごした。 学生の頃は、校庭の樹蔭で、書物で顔を覆って、爽やかな青春の眠りを眠った。 そうしたこの世ならぬ贅沢なすべては遠く去り、 今の私にはもはや土蔵も、谷川の淵も、校庭の樹蔭もない。 真夏の昼下がりの一刻、私は書斎の縁側の籐椅子に倚って、遠い風景を追い求めている。 烈日に燃えた漢地の一画、遠くに何本かの竜巻の柱が立ち、 更にその向こうを、静かに駱駝の隊列が横切っている。 そうした旅への烈しい思いだけが、 風の死んだ、もの憂い、しんとした真昼のうしみつ刻の中に、私を落着かせる。 私を生き生きとさせる。 (「遠征路」より) -------------------- AND... "青葉" by 井上靖 この世にまだ神があった時代、 一人の忠臣が木の下蔭馬を留めて、 己が子に後事を託して別れて行く話は、 誰が作ったか知らぬが、 木の下蔭の仄暗さと、 そこを渡って行く風の爽やかさの故に、私は好きだ。 ひと組の父子の青葉に包まれたドラマの悲しさもさることながら、 仄暗く爽やかな小さい空間の設定はみごとである。 今はこの世から神は姿を消してしまったが、その空間だけは私たちのものだ。 私は愛犬の小屋を木の下蔭におき、幼い孫娘の小さい机を木の下蔭に置く。 私の幸福もまた別離とは無縁ではないのだ。 (「季節」より) -------------- あらたうと青葉若葉の日の光 (あらとうと あおばわかばの ひのひかり) 奥の細道(日光)yoyi ------------------ 卯月朔日、御山に詣拝す。 往昔、此御山を「二荒山」と書しを、空海大師開基の時、「日光」と改給ふ。 千歳未来をさとり給ふにや、今此御光一天にかゝやきて、 恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。 猶、憚多くて筆をさし置ぬ。 It was good to be young the in the season of plenty, when the catfish were jumpin' as high as the sky. A time just for plantin', a time just for ploughin', a time to be courtin', a girl of your own. Twas so good to be young then, to be close to the earth and to stand by your wife at the moment of birth. by "Paul Francis Webster" ------------------------------ Have you ever had any-light of green-leaves?

次の