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からっぽのまにまに 歌詞「初音ミク」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

からっぽ 歌詞

ここではたびたび話題にのぼっていますが、改めて図鑑と物語についての話。 私は、 歌詞は図鑑型と物語型に分類できると思っています。 図鑑型というのは、ひとつのものごとをいろんな側面から描写するような歌詞の書き方です。 曲の最初から最後まで一貫したメッセージを持っていて、ぶれがないのが特徴です。 サビはぜんぶ同じフレーズの繰り返しだったりして、印象に残りやすい曲が多いように思います。 一方で 物語型というのは、歌詞にストーリーがあって、順を追ってそれが展開されていくような書き方です。 曲の最初と最後では主人公の置かれている状況が違っていて、気づかなかったことに気づくようになったり、不幸から幸福に変わったりします。 曲調もそれに合わせてどんどん変わっていくことが多い感じ。 このふたつには善し悪しはないと思います。 図鑑型なら図鑑型の、物語型なら物語型の特徴があって、それをきちんと生かして描かれている歌詞が私は好きです。 これまで取り上げてきた曲なら、こういう感じに分類できそうです。 【図鑑型】 曲 内容 「あなた」との些末なエピソードを集めて愛情をあぶり出す図鑑 「小さい頃」のいろんなやさしさを描いた図鑑 主人公が歩くことを「君」と重ねあわせ、いろんな角度から「歩く」を描いた図鑑 【物語型】 曲 内容 旅立つ「君」との別れを惜しむ主人公が吹っ切れるまでの物語 主人公がためらいつつも、ある人に会い、同時に夏が終わる物語 主人公が未来へタイムスリップしてから、戻るまでの物語 さて、今回の『からっぽ』は、図鑑型と物語型、どちらでしょうか。 この曲はすごく特徴的です。 私はこの曲、図鑑型と物語型の両方の要素を持っていると思っています。 途中まで物語なのに、ある場所で図鑑に変わってるみたいなのです。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に笑って た 今日の空みたいに 青く澄んだ君の目が何か語りかけ た 言葉はいつも奥の方から 後に虚しさ連れて教えてくれ た けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだし た 1連と2連を引用しました。 行末はぜんぶ「た」で終わっていますから、ここに描かれているできごとはみんな過ぎ去ったことだとわかります。 最初の2行には「君」のことが、続く2行にはそれを受けて「僕」のことが描かれているので、 この部分はきっと物語型なのですね! だいたい、物語って「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいまし た。 」みたいに、タ形で描かれることが多いので、タ形って物語型と相性がいいと思うのです。 でも、続くBメロは、 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる こうです。 「立ち止まる」だと? 「立ち止まった」じゃないの? 私は聴いてて、ここですごく意外に感じました。 歌詞全体の描かれ方が、ここで変わるのです。 ここから先は、タ形はひとつも出てきません。 すべての文言い切りで綴られます。 だからここから先は、現在をいろんな角度から描写する、という意味で 図鑑型に変わっていっています。 これがこの歌詞の、おもしろいところ。 しかもその切り替わり方がいいなと思います。 たとえば「どうにもならない歯痒さが/一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる」ってところ。 いままでだったらずっと過去形で綴られていたので、歯痒さも「立ち止まった」っていうように描かれるのだろうと思いながら私たちは聴いています。 なのに「立ち止まる」と、唐突にここで現在形に切り替わっています。 私たちは、急にはっとして、自分の目の前に「歯痒さ」が現れるような気持ちになるような効果があるんですよ! しかもですね、Aメロの最後は けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだした「歩きだした」です。 動作を表すことば。 でもBメロの最後は 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる「立ち止まる」という、静的なことばです。 動作を表す言葉が動きのある物語型の部分に入り、静止を示す言葉が、動きの少ない図鑑的な部分に入るんですよ! これが偶然じゃなくてなんなんだ!とわたしは言いたい!! 「からっぽ」ってなんだ? 歌詞の1行めはこうでした。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に 笑ってた で、1番のサビの最後はこうです。 多分君は僕の中にもう 映らない 「笑ってた」のは過去で、「映らない」のは現在です。 「君」といっしょにいた主人公は、いまはもう別れてしまっているのかな?と考えられるのは自然なこと。 でもそれだと、サビの歌詞がちょっと合わない感じがするのです。 だって、 だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない って。 これだと、ふたりは見つめ合っている(のに心はすれ違っている)みたいな感じ。 うーん。 現在の時制では、 ふたりはいっしょにいるのでしょうか。 それともいないのでしょうか。 で、これ仮説なのですが、 「僕」が死んでしまっているとしたらどうでしょうか。 繰り返しですが、この歌詞の冒頭はずっとタ形で綴られていました。 それがなくなるのが、Bメロのこの部分です。 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる 立ち止まるのは「生」ですよ!! だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない 「君」は、棺の中の主人公のことを見つめています。 「その目」っていうのは「君」が主人公を悼むような視線ってことになるでしょう。 主人公はしていて、動かなくなった自分の身体を見ています。 したら視覚がどうなるものなのか、私は詳しくないのでわかりませんが、視覚を司る視神経は肉体といっしょに動かなくなってしまっているはず。 ということは、の直後に魂が光を感じることができたとしても、そういう状態は長くは続かないのではないかというのが私の考えです。 「多分君は僕の中にもう映らない」は、そういう状況のことを指しているのではないでしょうか。 そうだとすると、前半で考えた図鑑と物語の切り替わりに、もうひとつの意味があるってことに気づきます。 図鑑と物語の境界線は、生と死との境界線でもあります。 物語として、どんどん展開するように描かれていた部分は、主人公が生きていたころの回想シーンです。 そして図鑑して描かれているのは、時が止まった主人公の死後のシーンです。 人を好きになる事 当り前の事なんだけど 僕がもう少しその事を知っていれば こんな事にはならなかったのかもね 「こんなこと」とは、つまりは死のことでは?って思いますよね? 答えは今も見つからないまま 繰り返しの渦の中また一歩踏み出すよ 「繰り返しの渦」とはつまり輪廻のようなものだな、って思いますよね? この歌詞の最後は、 忘れる事なんて出来ない僕が今日もここに居るから 君の影をいつもどこか探してる こう締めくくられています。 魂はずっと同じ場所にいて「君」のことを探しているのですね。 端的にいうと、そういう魂は地縛霊と呼ばれるものだったりしちゃうのかもしれませんが、生を越えて思い続けるだけの愛があるなんて、それって悪くないことなんじゃないかと、私は思うのです。 というわけで、ゆず『からっぽ』でした。 ゆず、難しかったです。 私が取り上げる曲には我ながらけっこう偏りがあって、男性Vo. ならバンドが多く、女性Vo. ならソロが多い傾向にある気がしています。 そして、よく取り上げる曲はよく読める曲でもあります。 逆に、男性のソロや女性のグループの曲って、概して私はうまく読めません。 そして わけても苦手なのが、男性の2人組です。 今まで とかやったことがありますが、どれもこれもすごく大変でした。 というわけでご多分に漏れずゆずも大変でしたが、一応カタチにはなったと思うのでよかったです。 今後も苦手がなくなるように努力していきたいと思います。

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ここではたびたび話題にのぼっていますが、改めて図鑑と物語についての話。 私は、 歌詞は図鑑型と物語型に分類できると思っています。 図鑑型というのは、ひとつのものごとをいろんな側面から描写するような歌詞の書き方です。 曲の最初から最後まで一貫したメッセージを持っていて、ぶれがないのが特徴です。 サビはぜんぶ同じフレーズの繰り返しだったりして、印象に残りやすい曲が多いように思います。 一方で 物語型というのは、歌詞にストーリーがあって、順を追ってそれが展開されていくような書き方です。 曲の最初と最後では主人公の置かれている状況が違っていて、気づかなかったことに気づくようになったり、不幸から幸福に変わったりします。 曲調もそれに合わせてどんどん変わっていくことが多い感じ。 このふたつには善し悪しはないと思います。 図鑑型なら図鑑型の、物語型なら物語型の特徴があって、それをきちんと生かして描かれている歌詞が私は好きです。 これまで取り上げてきた曲なら、こういう感じに分類できそうです。 【図鑑型】 曲 内容 「あなた」との些末なエピソードを集めて愛情をあぶり出す図鑑 「小さい頃」のいろんなやさしさを描いた図鑑 主人公が歩くことを「君」と重ねあわせ、いろんな角度から「歩く」を描いた図鑑 【物語型】 曲 内容 旅立つ「君」との別れを惜しむ主人公が吹っ切れるまでの物語 主人公がためらいつつも、ある人に会い、同時に夏が終わる物語 主人公が未来へタイムスリップしてから、戻るまでの物語 さて、今回の『からっぽ』は、図鑑型と物語型、どちらでしょうか。 この曲はすごく特徴的です。 私はこの曲、図鑑型と物語型の両方の要素を持っていると思っています。 途中まで物語なのに、ある場所で図鑑に変わってるみたいなのです。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に笑って た 今日の空みたいに 青く澄んだ君の目が何か語りかけ た 言葉はいつも奥の方から 後に虚しさ連れて教えてくれ た けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだし た 1連と2連を引用しました。 行末はぜんぶ「た」で終わっていますから、ここに描かれているできごとはみんな過ぎ去ったことだとわかります。 最初の2行には「君」のことが、続く2行にはそれを受けて「僕」のことが描かれているので、 この部分はきっと物語型なのですね! だいたい、物語って「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいまし た。 」みたいに、タ形で描かれることが多いので、タ形って物語型と相性がいいと思うのです。 でも、続くBメロは、 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる こうです。 「立ち止まる」だと? 「立ち止まった」じゃないの? 私は聴いてて、ここですごく意外に感じました。 歌詞全体の描かれ方が、ここで変わるのです。 ここから先は、タ形はひとつも出てきません。 すべての文言い切りで綴られます。 だからここから先は、現在をいろんな角度から描写する、という意味で 図鑑型に変わっていっています。 これがこの歌詞の、おもしろいところ。 しかもその切り替わり方がいいなと思います。 たとえば「どうにもならない歯痒さが/一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる」ってところ。 いままでだったらずっと過去形で綴られていたので、歯痒さも「立ち止まった」っていうように描かれるのだろうと思いながら私たちは聴いています。 なのに「立ち止まる」と、唐突にここで現在形に切り替わっています。 私たちは、急にはっとして、自分の目の前に「歯痒さ」が現れるような気持ちになるような効果があるんですよ! しかもですね、Aメロの最後は けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだした「歩きだした」です。 動作を表すことば。 でもBメロの最後は 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる「立ち止まる」という、静的なことばです。 動作を表す言葉が動きのある物語型の部分に入り、静止を示す言葉が、動きの少ない図鑑的な部分に入るんですよ! これが偶然じゃなくてなんなんだ!とわたしは言いたい!! 「からっぽ」ってなんだ? 歌詞の1行めはこうでした。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に 笑ってた で、1番のサビの最後はこうです。 多分君は僕の中にもう 映らない 「笑ってた」のは過去で、「映らない」のは現在です。 「君」といっしょにいた主人公は、いまはもう別れてしまっているのかな?と考えられるのは自然なこと。 でもそれだと、サビの歌詞がちょっと合わない感じがするのです。 だって、 だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない って。 これだと、ふたりは見つめ合っている(のに心はすれ違っている)みたいな感じ。 うーん。 現在の時制では、 ふたりはいっしょにいるのでしょうか。 それともいないのでしょうか。 で、これ仮説なのですが、 「僕」が死んでしまっているとしたらどうでしょうか。 繰り返しですが、この歌詞の冒頭はずっとタ形で綴られていました。 それがなくなるのが、Bメロのこの部分です。 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる 立ち止まるのは「生」ですよ!! だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない 「君」は、棺の中の主人公のことを見つめています。 「その目」っていうのは「君」が主人公を悼むような視線ってことになるでしょう。 主人公はしていて、動かなくなった自分の身体を見ています。 したら視覚がどうなるものなのか、私は詳しくないのでわかりませんが、視覚を司る視神経は肉体といっしょに動かなくなってしまっているはず。 ということは、の直後に魂が光を感じることができたとしても、そういう状態は長くは続かないのではないかというのが私の考えです。 「多分君は僕の中にもう映らない」は、そういう状況のことを指しているのではないでしょうか。 そうだとすると、前半で考えた図鑑と物語の切り替わりに、もうひとつの意味があるってことに気づきます。 図鑑と物語の境界線は、生と死との境界線でもあります。 物語として、どんどん展開するように描かれていた部分は、主人公が生きていたころの回想シーンです。 そして図鑑して描かれているのは、時が止まった主人公の死後のシーンです。 人を好きになる事 当り前の事なんだけど 僕がもう少しその事を知っていれば こんな事にはならなかったのかもね 「こんなこと」とは、つまりは死のことでは?って思いますよね? 答えは今も見つからないまま 繰り返しの渦の中また一歩踏み出すよ 「繰り返しの渦」とはつまり輪廻のようなものだな、って思いますよね? この歌詞の最後は、 忘れる事なんて出来ない僕が今日もここに居るから 君の影をいつもどこか探してる こう締めくくられています。 魂はずっと同じ場所にいて「君」のことを探しているのですね。 端的にいうと、そういう魂は地縛霊と呼ばれるものだったりしちゃうのかもしれませんが、生を越えて思い続けるだけの愛があるなんて、それって悪くないことなんじゃないかと、私は思うのです。 というわけで、ゆず『からっぽ』でした。 ゆず、難しかったです。 私が取り上げる曲には我ながらけっこう偏りがあって、男性Vo. ならバンドが多く、女性Vo. ならソロが多い傾向にある気がしています。 そして、よく取り上げる曲はよく読める曲でもあります。 逆に、男性のソロや女性のグループの曲って、概して私はうまく読めません。 そして わけても苦手なのが、男性の2人組です。 今まで とかやったことがありますが、どれもこれもすごく大変でした。 というわけでご多分に漏れずゆずも大変でしたが、一応カタチにはなったと思うのでよかったです。 今後も苦手がなくなるように努力していきたいと思います。

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ここではたびたび話題にのぼっていますが、改めて図鑑と物語についての話。 私は、 歌詞は図鑑型と物語型に分類できると思っています。 図鑑型というのは、ひとつのものごとをいろんな側面から描写するような歌詞の書き方です。 曲の最初から最後まで一貫したメッセージを持っていて、ぶれがないのが特徴です。 サビはぜんぶ同じフレーズの繰り返しだったりして、印象に残りやすい曲が多いように思います。 一方で 物語型というのは、歌詞にストーリーがあって、順を追ってそれが展開されていくような書き方です。 曲の最初と最後では主人公の置かれている状況が違っていて、気づかなかったことに気づくようになったり、不幸から幸福に変わったりします。 曲調もそれに合わせてどんどん変わっていくことが多い感じ。 このふたつには善し悪しはないと思います。 図鑑型なら図鑑型の、物語型なら物語型の特徴があって、それをきちんと生かして描かれている歌詞が私は好きです。 これまで取り上げてきた曲なら、こういう感じに分類できそうです。 【図鑑型】 曲 内容 「あなた」との些末なエピソードを集めて愛情をあぶり出す図鑑 「小さい頃」のいろんなやさしさを描いた図鑑 主人公が歩くことを「君」と重ねあわせ、いろんな角度から「歩く」を描いた図鑑 【物語型】 曲 内容 旅立つ「君」との別れを惜しむ主人公が吹っ切れるまでの物語 主人公がためらいつつも、ある人に会い、同時に夏が終わる物語 主人公が未来へタイムスリップしてから、戻るまでの物語 さて、今回の『からっぽ』は、図鑑型と物語型、どちらでしょうか。 この曲はすごく特徴的です。 私はこの曲、図鑑型と物語型の両方の要素を持っていると思っています。 途中まで物語なのに、ある場所で図鑑に変わってるみたいなのです。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に笑って た 今日の空みたいに 青く澄んだ君の目が何か語りかけ た 言葉はいつも奥の方から 後に虚しさ連れて教えてくれ た けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだし た 1連と2連を引用しました。 行末はぜんぶ「た」で終わっていますから、ここに描かれているできごとはみんな過ぎ去ったことだとわかります。 最初の2行には「君」のことが、続く2行にはそれを受けて「僕」のことが描かれているので、 この部分はきっと物語型なのですね! だいたい、物語って「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいまし た。 」みたいに、タ形で描かれることが多いので、タ形って物語型と相性がいいと思うのです。 でも、続くBメロは、 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる こうです。 「立ち止まる」だと? 「立ち止まった」じゃないの? 私は聴いてて、ここですごく意外に感じました。 歌詞全体の描かれ方が、ここで変わるのです。 ここから先は、タ形はひとつも出てきません。 すべての文言い切りで綴られます。 だからここから先は、現在をいろんな角度から描写する、という意味で 図鑑型に変わっていっています。 これがこの歌詞の、おもしろいところ。 しかもその切り替わり方がいいなと思います。 たとえば「どうにもならない歯痒さが/一つづつゆっくりと僕の前で 立ち止まる」ってところ。 いままでだったらずっと過去形で綴られていたので、歯痒さも「立ち止まった」っていうように描かれるのだろうと思いながら私たちは聴いています。 なのに「立ち止まる」と、唐突にここで現在形に切り替わっています。 私たちは、急にはっとして、自分の目の前に「歯痒さ」が現れるような気持ちになるような効果があるんですよ! しかもですね、Aメロの最後は けれど こんなにもからっぽになったのに僕は歩きだした「歩きだした」です。 動作を表すことば。 でもBメロの最後は 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる「立ち止まる」という、静的なことばです。 動作を表す言葉が動きのある物語型の部分に入り、静止を示す言葉が、動きの少ない図鑑的な部分に入るんですよ! これが偶然じゃなくてなんなんだ!とわたしは言いたい!! 「からっぽ」ってなんだ? 歌詞の1行めはこうでした。 何気ない様な顔して いつもと同じ様に 笑ってた で、1番のサビの最後はこうです。 多分君は僕の中にもう 映らない 「笑ってた」のは過去で、「映らない」のは現在です。 「君」といっしょにいた主人公は、いまはもう別れてしまっているのかな?と考えられるのは自然なこと。 でもそれだと、サビの歌詞がちょっと合わない感じがするのです。 だって、 だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない って。 これだと、ふたりは見つめ合っている(のに心はすれ違っている)みたいな感じ。 うーん。 現在の時制では、 ふたりはいっしょにいるのでしょうか。 それともいないのでしょうか。 で、これ仮説なのですが、 「僕」が死んでしまっているとしたらどうでしょうか。 繰り返しですが、この歌詞の冒頭はずっとタ形で綴られていました。 それがなくなるのが、Bメロのこの部分です。 どうにもならない歯痒さが 一つづつゆっくりと僕の前で立ち止まる 立ち止まるのは「生」ですよ!! だからその目で僕を見ないで悲しくなるから 多分君は僕の中にもう映らない 「君」は、棺の中の主人公のことを見つめています。 「その目」っていうのは「君」が主人公を悼むような視線ってことになるでしょう。 主人公はしていて、動かなくなった自分の身体を見ています。 したら視覚がどうなるものなのか、私は詳しくないのでわかりませんが、視覚を司る視神経は肉体といっしょに動かなくなってしまっているはず。 ということは、の直後に魂が光を感じることができたとしても、そういう状態は長くは続かないのではないかというのが私の考えです。 「多分君は僕の中にもう映らない」は、そういう状況のことを指しているのではないでしょうか。 そうだとすると、前半で考えた図鑑と物語の切り替わりに、もうひとつの意味があるってことに気づきます。 図鑑と物語の境界線は、生と死との境界線でもあります。 物語として、どんどん展開するように描かれていた部分は、主人公が生きていたころの回想シーンです。 そして図鑑して描かれているのは、時が止まった主人公の死後のシーンです。 人を好きになる事 当り前の事なんだけど 僕がもう少しその事を知っていれば こんな事にはならなかったのかもね 「こんなこと」とは、つまりは死のことでは?って思いますよね? 答えは今も見つからないまま 繰り返しの渦の中また一歩踏み出すよ 「繰り返しの渦」とはつまり輪廻のようなものだな、って思いますよね? この歌詞の最後は、 忘れる事なんて出来ない僕が今日もここに居るから 君の影をいつもどこか探してる こう締めくくられています。 魂はずっと同じ場所にいて「君」のことを探しているのですね。 端的にいうと、そういう魂は地縛霊と呼ばれるものだったりしちゃうのかもしれませんが、生を越えて思い続けるだけの愛があるなんて、それって悪くないことなんじゃないかと、私は思うのです。 というわけで、ゆず『からっぽ』でした。 ゆず、難しかったです。 私が取り上げる曲には我ながらけっこう偏りがあって、男性Vo. ならバンドが多く、女性Vo. ならソロが多い傾向にある気がしています。 そして、よく取り上げる曲はよく読める曲でもあります。 逆に、男性のソロや女性のグループの曲って、概して私はうまく読めません。 そして わけても苦手なのが、男性の2人組です。 今まで とかやったことがありますが、どれもこれもすごく大変でした。 というわけでご多分に漏れずゆずも大変でしたが、一応カタチにはなったと思うのでよかったです。 今後も苦手がなくなるように努力していきたいと思います。

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