ありしこそ 意味。 後拾遺集秀歌選

忙中閑あり・徒然草。

ありしこそ 意味

カテ違いとは思いますが、回答しておきます。 「劣るまじけれ」の「まじけれ」 「おける」の「る」 「澄める」の「る」 「ものなれ」の「なれ」 「催し行はるる」の「るる」 「あらん」の「ん」 「なりぬるこそ」の「ぬる」 「事にて」の「に」 「ありしこそ」の「し」 「あはれなりしか」の「しか」 さて、冬枯(ふゆがれ)のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 汀(みぎは)の草に紅葉(もみぢ)の散り止(とどま)りて、霜いと白(しろ)うおける朝(あした)、遣水(やりみづ)より烟(けぶり)の立つこそをかしけれ。 年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。 すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日(はつか)余りの空こそ、心ぼそきものなれ。 御仏名(おぶつみやう)、荷前(のさき)の使(つかひ)立つなどぞ、あはれにやんごとなき。 公事ども繁く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるるさまぞ、いみじきや。 追儺(つゐな)より四方拝(しはうはい)に続くこそ面白けれ。 晦日(つごもり)の夜(よ)、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)過ぐるまで、人の、門(かど)叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくののしりて、足を空に惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。 亡き人のくる夜(よ)とて魂(たま)祭るわざは、このごろ都にはなきを、東(あづま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

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宇治拾遺物語『保昌と袴垂』(2)解説・品詞分解

ありしこそ 意味

【巻数】二十巻 【歌数】1218首(新編国歌大観による) 【勅宣】 【成立】応徳三年 1086 九月十六日完成奏上。 十月、奏覧。 翌寛治元年 1087 二月、再奏。 【撰者】 【主な歌人と収録歌数】 68首 39首 32首 31首 26首 【性格】第四勅撰和歌集。 『後拾遺』の名義は、本集仮名序に説くとおりである。 「に入らざる中ごろのをかしき言の葉、藻汐草かき集むべきよし」命を受けて編纂したのがこの集であった。 ・に載った歌人は除外し、後撰の選者たち 梨壺の五人 から、同時代の歌人までの作を集めている。 その間、およそ百三十年。 中心をなすのは、拾遺集が纏められる前後の時代に活躍した歌人たちである。 すなわち一条天皇代の後宮文化最盛期であり、和泉式部・赤染衛門を始めとする女房歌人の作が多く採用されたのは、必然のなりゆきであった。 和泉式部を筆頭に、真情の流露を大胆率直な詞遣いによって詠い上げた秀歌が見られ、三代集に慣れた目には新鮮な印象を与える。 見立て・比喩などに工夫を凝らした歌も目立ち、の破格とも言える歌も採られて、多彩な作風が楽しめる歌集である。 反面、趣向の面白さに引きずられて、調べが伴わない歌なども散見される。 全般的に「丈の高さ」 格調高さ に欠けることは、古来批判があった。 また、几帳面とも言えるほど詳しい詞書を付した歌が多く、散文的な関心の強さが窺える。 歌が詠まれた社会的乃至物語的な背景への目配りが行き届いているのである。 逆に言えば、歌それ自体の独立性、作品としての完結性に対する意識は弱くなっている。 後拾遺集において、古今的な技法はほぼ消費し尽くされたことが明らかとなり、和歌は新たな表現を求めて脱皮を始めたかのようである。 【定家八代抄に漏れた主な名歌】 薄墨にかくたまづさと見ゆるかな霞める空に帰るかりがね(津守国基) わがやどの梢の夏になるときは生駒の山ぞ見えずなりぬる(能因) 住む人もなき山里の秋の夜は月の光もさびしかりけり(藤原範永) 鳴けや鳴け蓬が杣のきりぎりすすぎゆく秋はげにぞかなしき(曾禰好忠) 木の葉散るやどは聞きわくことぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も(源頼実) 都をば霞とともにたちしかど秋風ぞふく白河の関(能因) 七重八重花はさけども山吹のみのひとつだになきぞあやしき(兼明親王) 物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれいづる魂かとぞみる(和泉式部) 【底本】『八代集 二』(奥村恒哉校注 東洋文庫) 【参照】岩波新日本古典文學大系『後拾遺和歌集』(校注 久保田淳・平田喜信。 底本は宮内庁書陵部本)。 以下、新大系本と略称。 今日かくなん思ほゆる」とてよみて侍りける 能因法師 0117 世の中を思ひすててし身なれども心よわしと花に見えける (0120) これを聞きて、太政大臣、「いとあはれなり」と言ひて、 被物 かづけもの などして侍りけるとなん言ひ伝へたる。 註:新大系本、第五句「花に見えぬる」。 内の 大臣 おほいまうちぎみ の家にて、人々酒たうべて歌よみ侍りけるに、「遥かに山桜を望む」といふ心をよめる 0120 高砂の尾上の桜咲きにけり 外山 とやま の霞たたずもあらなん (0098) 巻第二(春下) 0首 巻第三(夏) 9首 題しらず 曾禰好忠 0169 榊とる卯月になれば神山の楢の葉柏もとつ葉もなし (0206)* 正子内親王の絵合せし侍りけるに、かねの草子に書き侍りける 0175 見わたせば波のしがらみかけてけり卯の花咲ける玉川の里 (0201) 祐子内親王家に歌合など果てて後、人々同じ題をよみ侍りける 宇治前太政大臣 0192 有明の月だにあれやほととぎすただ一声のゆく方も見ん (0241) 註:新大系本の詞書は「祐子内親王家に歌合し侍りけるに、歌合など果てて後、人々同じ題をよみ侍りけるに」。 作者は藤原 頼通 よりみち。 早苗をよめる 曾禰好忠 0204 御田屋守 みたやもり けふは五月になりにけり急げや早苗老いもこそすれ (0215) 宇治前太政大臣家に卅講ののち、歌合し侍りけるに、五月雨をよめる 相模 0206 さみだれは 美豆 みづ の 御牧 みまき の 真菰草 まこもぐさ 刈りほす 暇 ひま もあらじとぞ思ふ (0224) 花橘をよめる 0214 さみだれの空なつかしく匂ふかな花橘に風や吹くらん (0225) 題しらず 0219 夏刈の玉江の蘆を踏みしだき群れゐる鳥のたつ空ぞなき (0235) 曾禰好忠 0220 夏衣 立田 たつた 河原の柳かげ涼みにきつつ馴らすころかな (0253) 俊綱朝臣のもとにて晩涼如秋といふ心をよみ侍りける 源頼綱 0231 夏山の楢の葉そよぐ夕暮はことしも秋の心地こそすれ (0254) 巻第四(秋上) 6首 秋立つ日よめる 0236 浅茅原 あさぢはら 玉まく 葛 くず の裏風のうらがなしかる秋は来にけり (0275) 扇の歌よみ侍りけるに 0237 おほかたの秋くるからに身に近く慣らす扇の風ぞかはれる (0277) 註:新大系本、第五句「風ぞ涼 すず しき」。 後冷泉院御時、后の宮の歌合によめる 0276 さ夜ふかく旅の空にて鳴く雁はおのが羽風や夜寒なるらん (0377) 草むらの露をよみ侍りける 藤原範永朝臣 0304 今朝来つる野原の露に我ぬれぬうつりやしぬる萩が花 摺 ず り (0330) 山里の霧をよめる 0324 明けぬるか川瀬の霧の絶え絶えに 遠方 をちかた 人の袖の見ゆるは (0389) 註:新大系本、第三句「絶え間より」。 題しらず 0333 さびしさに宿を立ち出でてながむればいづくも同じ秋の夕暮 (0405)* 巻第五(秋下) 3首 山家秋風といふ心をよめる 大宮越前 0340 山里の 賤 しづ の松垣ひまをあらみいたくな吹きそ木がらしの風 (0507) 上東門院、菊合させ給ひけるに、左の 頭 とう つかまつるとてよめる 0349 目もかれず見つつ暮らさん白菊の花よりのちの花しなければ (0433) 永承四年内裏歌合によめる 能因法師 0366 嵐吹くみむろの山のもみぢ葉は立田の川の錦なりけり (0480) 巻第六(冬) 8首 承保三年十月、今上、御狩のついでに、大井川に 行幸 みゆき せさせ給ふによませ給へる 御製 0379 大井川ふるき流れを尋ね来て嵐の山の紅葉をぞ見る (0483) 註:詞書の「今上」は。 作者も同じ。 桂の山庄にて、時雨のいたう降り侍りければよめる 藤原兼房朝臣 0380 あはれにもたえず音する時雨かな 訪 と ふべき人も 訪 と はぬすみかを (0494) 註:新大系本、第五句「とはぬ住 す みかに」。 永承四年内裏の歌合に千鳥をよみ侍りける 相模 0389 難波潟朝みつ潮にたつ千鳥浦づたひする声ぞ聞こゆる (0534) 註:新大系本、第五句「声 こゑ きこゆなり」。 題しらず 0390 さびしさに 煙 けぶり をだにも絶たじとて柴折りくぶる冬の山里 (0510) 永承四年内裏の歌合に初雪をよめる 相模 0401 都にも初雪ふれば小野山の真木の 炭竈 すみがま 焼 た きまさるらん (0546) 題しらず 0406 朝ぼらけ雪ふる空を見わたせば山の端ごとに月ぞ残れる (0568) 註:新大系本、第二句「雪 ゆき 降 ふ る里 さと を」。 道雅三位の八条の家の障子に、山里の雪の 朝 あした 、まらうど門にある所をよめる 源頼家朝臣 0412 山里は雪こそ深くなりにけれ訪はでも年の暮れにけるかな (0569) 題しらず 0419 さ夜更くるままに 汀 みぎは や氷るらん遠ざかりゆく志賀の浦波 (0538) 巻第七(賀) 4首 後一条院生まれさせ給ひて、七夜に人々まゐりあひて、女房さかづき出だせと侍りければ 紫式部 0433 めづらしき光さしそふさかづきはもちながらこそ千代もめぐらめ (0603) 三条院、 親王 みこ の宮と申しける時、 帯刀陣 たちはきのぢん の歌合によめる 0449 君が代は千代にひとたびゐる塵の白雲かかる山となるまで (0587) 承暦二年内裏歌合によみ侍りける 0450 君が代は尽きじとぞ思ふ神風や 御裳濯川 みもすそがは の澄まん限りは (0588)* 同じ歌合によめる 式部大輔 資業 すけなり 0453 君が代は白玉椿八千代にもなにか数へん限りなければ (0589) 註:「同じ歌合」は永承四年内裏歌合をさす。 巻第八(別) 3首 遠江守為憲、まかり下りけるに、ある所より扇つかはしけるによめる 0465 別れての四とせの春の春ごとに花の都を思ひおこせよ (0752) 人の遠き所にまかりけるに 0470 誰 たれ が世も我が世も知らぬ世の中に待つほどいかがあらんとすらん (0766) 筑紫にまかりけるむすめに 藤原 節信 ときのぶ 0494 帰りては誰を見んとか思ふらん老いて久しき人はありやは (0755) 巻第九(羇旅) 2首 熊野の道にて、御心地例ならず 思 おぼ されけるに、 海士 あま の塩焼きけるを御覧じて 御製 0503 旅の空よはの 煙 けぶり とのぼりなばあまの 藻塩火 もしほび たくかとや見ん (0808) 越後より上りけるに、 姨捨山 おばすてやま の麓に月 明 あか かりければ 0533 これやこの月見るたびに思ひやる姨捨山の麓なりけり (0813) 註:新大系本、第五句「麓 ふもと なりける」。 巻第十(哀傷) 9首 一条院の御時、皇后宮かくれ給ひて後、御帳の 帷子 かたびら の紐に結びつけられたる文を見つけたれば、内にも御覧ぜさせよとおぼし顔に、歌三つ書き付けられたりける中に 0536 夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙のいとどゆかしき (0657) 註:一条天皇の皇后、の辞世の歌。 新大系本、第五句「色 いろ ぞゆかしき」。 物言ふ女の侍りけるころにまかれりけるに、「 昨夜 よべ 亡くなりにき」と言ひ侍りければよめる 0538 ありしこそ限りなりけれ逢ふことをなど後の世と契らざりけん (0658) 円融院の法皇うせ給ひて、紫野に御葬送侍りける夜、一とせこの所にて 子日 ねのひ せさせ給ひしことなど思ひ出でてよみ侍りける 0541 紫の雲のかけても思ひきや春の霞になして見んとは (0653) 大納言行成 0542 遅れじと常のみゆきは急ぎしを 煙 けぶり にそはぬ旅のかなしさ (0654) 長保二年十二月に皇后宮うせさせ給ひて、葬送の夜、雪の降りて侍りければ、よませ給ふける 御製 0543 野辺までに心ひとつは通へども我がみゆきとは知らずやありけん (0659) 註:新大系本、第五句「知 し らずやあるらん」。 小式部内侍亡くなりて、 孫 むまご どもの侍りけるを見て、よみ侍りける 和泉式部 0568 とどめおきて誰をあはれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり (0664) 敦道親王におくれてよみ侍りける 0573 今はただそよそのことと思ひ出でて忘るばかりの憂き事もがな (0665) 同じ頃、尼にならむと思ひてよみ侍りける 0574 捨てはてんと思ふさへこそ悲しけれ君になれにし我が身と思へば (0666) 0600 着て馴れし衣の袖もかわかぬに別れし秋になりにけるかな (0667) この歌、みまかりて後、あくる年の秋、いもうとの夢に少将義孝が歌とて見え侍りける。 註:藤原義孝が亡くなった翌年秋、彼の妹の夢に義孝が顕れて詠んだ歌。 巻第十一(恋一) 7首 東宮と申しける時、故内侍の 督 かみ のもとに初めてつかはしける 御製 0604 ほのかにも知らせてしがな春霞かすみのうちに思ふ心を (0847) はじめたる人につかはしける 叡覚法師 0605 木の葉散る山の下水うづもれて流れもやらぬ物をこそ思へ (0974) 題しらず 馬内侍 0606 いかなれば知らぬに生ふる浮き 蓴 ぬなは 苦しや心人知れずのみ (0975) 女に初めてつかはしける 0612 かくとだにえやは伊吹のさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを (0848) 返り事せぬ人の、 異人 ことひと には遣ると聞きて 0626 しほたるる我が身のかたはつれなくてこと浦にこそ 煙 けぶり 立つなれ (0900) 註:新大系本、第五句「けぶり立 た ちけれ」。 題しらず 和泉式部 0635 下消ゆる雪間の草のめづらしく我が思ふ人に逢ひ見てしがな (0849) 公資 きみより 朝臣に相具して侍りけるに、中納言定頼忍びて訪れけるを、暇なきさまにや見けん、絶え間がちにおとなひ侍りければ 相模 0640 逢ふことのなきよりかねてつらければさてあらましに濡るる袖かな (1016) 巻第十二(恋二) 14首 実範朝臣のむすめのもとに通ひそめて、 朝 あした につかはしける 0665 いにしへの人さへ今朝はつらきかな明くればなどか帰りそめけん (1048) 女のもとより帰りてつかはしける 0669 君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな (1049) 女のもとより雪降り侍りける日帰りてつかはしける 藤原道信朝臣 0671 帰るさの道やは変はる変はらねど解くるにまどふ今朝の淡雪 (1044) 0672 明けぬれば暮るるものとは知りながらなほ恨めしき朝ぼらけかな (1045)* ある人のもとに泊りて侍りけるに、昼はさらに見苦しとて出で侍らざりければ、よめる 0673 ちかの浦に波よせかへる心地してひるまなくても暮らしつるかな (1068) 註:新大系本、第二句「波 なみ 寄 よ せまさる」。 題しらず 0676 たまさかに行き逢ふさかの関守は夜を通さぬぞわびしかりける (1059) 男の「待て」と言ひおこせて侍りける返り事によみ侍りける 相模 0678 頼むるを頼むべきにはあらねども待つとはなくて待たれもやせん (1076) 時々物言ふ男、「暮れゆくばかり」と言ひて侍りければ、よめる 0679 ながめつつ事あり顔に暮らしてもかならず夢に見えばこそあらめ (1077) 中関白、少将に侍りける時、はらからなる人に物言ひわたり侍りけり、頼めてまうで来ざりけるつとめて、女に代りてよめる 赤染衛門 0680 やすらはで寝なましものをさ夜更けてかたぶくまでの月を見しかな (1078) 語らひ侍りける女の、こと人に物言ふと聞きてつかはしける 藤原実方朝臣 0706 浦風になびきにけりな里の海人の焚く藻のけぶり心よわさは (1316) 清少納言、人に知らせで絶えぬ中にて侍りけるに、久しう訪れ侍らざりければ、よそよそにて物など言ひ侍りけり、女さしよりて「忘れにけり」など言ひ侍りければ、よめる 0707 忘れずよまた忘れずよ瓦屋の下焚くけぶり下むすびつつ (1400) 註:新大系本、第五句「下 した むせびつゝ」。 かれがれになる男の、「おぼつかなく」など言ひたりけるによめる 0709 有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする (1401) 右大将道綱久しう音せで、「など恨みぬぞ」と言ひて侍りければ、むすめに代りて 赤染衛門 0710 恨むともいまは見えじと思ふこそせめてつらさのあまりなりけれ (1402) 七月七日、二条院の御方にたてまつらせ給ひける 後冷泉院御製 0714 逢ふことはたなばたつめに貸しつれど渡らまほしき 鵲 かささぎ の橋 (1189) 巻第十三(恋三) 12首 陽明門院、皇后宮と申しける時、久しく内に参らせ給はざりければ、五月五日、内よりたてまつらせ給ひける 御製 0715 あやめ草かけし袂のねを絶えて更にこひぢにまよふ頃かな (1305) 註:新大系本、第五句「まどふころかな」。 中納言定頼がもとにつかはしける 0735 はるばると野中に見ゆる忘れ水絶えま絶えまを歎く頃かな (1156) 題しらず 大納言忠家 0736 いかばかりうれしからまし面影に見ゆるばかりの逢ふ夜なりせば (1157) 男ありける女を忍びに物言ふ人侍りけり、ひまなき様を見てかれがれになり侍りければ、女の言ひつかはしける よみ人しらず 0737 我が宿の軒のしのぶに事寄せてやがても茂る忘れ草かな (1396) 伊勢の斎宮わたりよりのぼりて侍りける人に、忍びて通ひける事をおほやけも聞こしめして、守り 女 め など付けさせ給ひて、忍びにも通はずなりにければ、よみ侍りける 0748 逢坂は東路とこそ聞きしかど心づくしの関にぞありける (1108) 0749 榊葉のゆふしでかけしそのかみにおし返してもわたる頃かな (1110) 註:新大系本、第五句「似 に たるころかな」。 0750 今はただ思ひ絶えなんとばかりを人づてならで言ふよしもがな (1111)* また同じ所に結びつさせ侍りける 0751 みちのくの 緒絶 をだえ の橋やこれならんふみみふまずみ心まどはす (1112) 題しらず 和泉式部 0755 黒髪のみだれて知らずうちふせばまづ掻きやりし人ぞ恋しき (1415) 註:新大系本、第二句「みだれも知 し らず」。 心地例ならず侍りける頃、人のもとにつかはしける 0763 あらざらむこの世のほかの思ひ出に今一たびの逢ふこともがな (1386)* 心変はりたる人のもとにつかはしける 0765 契りしにあらぬつらさも逢ふことのなきにはえこそ恨みざりけれ (1385) 題しらず 0766 忘れなんそれも恨みず思ふらん恋ふらんとだに思ひおこせよ (1393) 註:「西宮前左大臣」は。 新大系本、第五句「思 おもひ おこせば」。 巻第十四(恋四) 17首 心変はりて侍りける女に、人に代りて 0770 契りきな 互 かたみ に袖をしぼりつつ末の松山波こさじとは (1315)* 中納言定頼がもとにつかはしける 公円法師母 0771 蘆の根のうき身の程と知りぬればうらみぬ袖も波は立ちけり (1404) 題しらず 曾禰好忠 0775 あぢきなし我が身にまさる物やあると恋せし人をもどきしものを (1406) 相模 0795 我が袖を秋の草葉にくらべばやいづれか露の置きはまさると (1281) 二月ばかりに人のもとにつかはしける 藤原道信朝臣 0798 つれづれと思へば長き春の日にたのむこととはながめをぞする (1252) 題しらず 和泉式部 0800 たぐひなく憂き身なりけり思ひ知る人だにあらば問ひこそはせめ (1409) 0803 我が恋は益田の池の浮き 蓴 ぬなは くるしくてのみ年を 経 ふ るかな (1348) 中納言定頼がもとにつかはしける 大和宣旨 0809 恋しさを忍びもあへず空蝉のうつし心もなくなりにけり (1183) 註:新大系本、第二句「忍 しの びもあへぬ」。 題しらず 相模 0814 焼くとのみ枕のしたにしほたれてけぶり絶えせぬ床の浦かな (1194) 註:新大系本、第二句「枕 まくら のうへに」。 第五句「床 とこ のうちかな」。 永承六年内裏歌合に 0815 うらみ侘び乾さぬ袖だにあるものを恋にくちなん名こそ惜しけれ (1334)* 題しらず 0816 神な月夜はの時雨にことよせて片敷く袖を乾しぞわづらふ (1297) 和泉式部 0817 さまざまに思ふ心はあるものをおしひたすらに濡るる袖かな (1333) 0820 人の身も恋にはかへつ夏虫のあらはに燃ゆと見えぬばかりぞ (1260) 0821 かるもかき臥す 猪 ゐ の 床 とこ のいを安みさこそ寝ざらめかからずもがな (1337) 永承四年内裏歌合によめる 相模 0825 いつとなく心空なる我が恋や富士の高嶺にかかる白雲 (1350) 題しらず 源重之 0827 松島や雄島の磯にあさりせし海人の袖こそかくは濡れしか (1324) 盛少将 さかりのせうしやう 0828 かぎりぞと思ふにつきぬ涙かなおさふる袖も朽ちぬばかりに (1447) 巻第十五(雑一) 7首 連夜に月を見るといふ心をよみ侍りける 源頼家朝臣 0838 敷妙の枕のちりや積もるらん月のさかりはいこそ寝られね (1624) 斉信民部卿のむすめに住みわたり侍りけるに、かの女身まかりにければ、法住寺といふ所に籠り居て侍りけるに、月を見て 0855 もろともにながめし人も我もなき宿にはひとり月やすむらん (0696) 註:新大系本、第四・五句「宿には月 つき やひとりすむらん」。 例ならずおはしまして、位など去らんとおぼしめしける頃、月の 明 あか かりけるを御覧じて 御製 0860 心にもあらで憂き世にながらへば恋しかるべき夜はの月かな (1604) 来んと言ひつつ来ざりける人のもとに、月の明かりければつかはしける 小弁 0862 なほざりの空だのめせであはれにも待つにかならず出づる月かな (1622) 返し 小式部 0863 たのめずは待たでぬる夜ぞ重ねまし誰ゆゑか見る有明の月 (1623) 月のおぼろなりける夜、入道摂政まうで来て物語し侍りけるに、たのもしげなきことなど言ひ侍りければ、よめる 0870 くもる夜の月と我が身の行末とおぼつかなさはいづれまされり (1619) 五月五日、六条前斎院に物語合し侍りけるに、小弁遅く出だすとて、方の人々とめて、次の物語を出だし侍りければ、宇治の前太政大臣、「かの小弁が物語は見どころなどやあらん」とて、こと物語をとどめて待ち侍りければ、「岩垣沼」といふ物語を出だすとて、よみ侍りける 小弁 0875 引き捨つる岩垣沼の 菖蒲 あやめ 草思ひ知らずも今日に逢ふかな (1474) 巻第十六(雑二) 4首 年ごろ住み侍りける女を、男思ひはなれて、物の具など運び侍りければ、女のよめる よみ人しらず 0928 歎かじなつひにすまじき別れかはこれはある世にと思ふばかりを (0762) 註:新大系本、第五句「思 おも ふ許 ばかり ぞ」。 大納言行成、物語などし侍りけるに、内の御物忌に籠ればとて、急ぎ帰りて、つとめて「鳥の声に催されて」と言ひおこせて侍りければ、「夜深かりける鳥の声は函谷関の事にや」と言ひにつかはしたりけるを、立ち返り、「これは逢坂の関に侍り」とあれば、よみ侍りける 0939 夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ (1653) 註:新大系本、第二句「鳥 とり のそらねに」。 門遅く 開 あ くとて、帰りにける人のもとにつかはしける 和泉式部 0967 長しとて明けずやはあらん秋の夜は待てかし真木の戸ばかりをだに (1087) 「内より出でば、かならず告げなん」など契りける人の、音もせで里に出でにければ、つかはしける 藤原道信朝臣 0968 天の原はるかにわたる月だにも出づるは人に知られこそすれ (1621) 註:新大系本、第五句「知 し らせこそすれ」。 巻第十七(雑三) 10首 後朱雀院の御時、年ごろ 夜居 よゐ つかうまつりけるに、後冷泉院、位につかせ給ひて、又夜居にまゐりてのち、上東門院にたてまつり侍りける 天台座主明快 0977 雲のうへに光隠れし夕べより幾夜といふに月を見つらん (0698) 註:新大系本、第五句「月 つき を見 み るらん」。 蔵人にて 冠 かうぶり 給はりけるによめる 源 経任 つねたう 0978 かぎりあれば天の羽衣ぬぎかへて 降 お りぞわづらふ雲の 梯 かけはし (1468) 同じ御時、蔵人にて侍りけるに、世の中かはりて、前蔵人にて侍りけるを、当時に臨時祭の舞人にまかり入りて、試楽日よめる 橘俊宗 0981 思ひきや衣の色はみどりにて三代まで竹をかざすべしとは (1470) 註:詞書「同じ御時」は後冷泉天皇代。 新大系本、第二句「ころもの色 いろ を」。 小一条院、春宮と聞こえける時、思はずに位下り給ひけるに、 火焼屋 ひたきや などこほちさわぐを見てよみ侍る 堀河の女御 0990 雲居まで立ちのぼるべき 煙 けぶり かと見えし思ひのほかにもあるかな (1471) 註:新大系本、第四句「見 み しは思 おも ひの」。 同院、高松の女御に住み移り給ひて、絶え絶えになり給ひての頃、松風心すごく吹きけるを聞きて 0991 松風は色やみどりに吹きつらん物思ふ人の身にぞしみぬる (1472) 註:新大系本、第四句「身にぞしみける」。 二条 前大臣 さきのおほいまうちぎみ 、日頃患ひて、おこたりて後、「など問はざりつるぞ」と言ひ侍りければよめる 1001 死ぬばかり歎きにこそは歎きしか生きてとふべき身にしあらねば (1486) 世の中騒がしき頃、久しう音せぬ人のもとにつかはしける 伊勢大輔 1004 なき数に思ひなしてや訪はざらんまだ有明の月待つものを (1516) 京より具して侍りける女を、筑紫にまかり下りて後、こと女に思ひ付きて、思ひ出でずなりにけり、女頼りなくて京にのぼるべきすべもなく侍りける程に、わづらふ事ありて死なんとしける折、男のもとに言ひつかはしける よみ人しらず 1006 問へかしな幾世もあらじ露の身をしばしも言の葉にやかかると (1517) 或人云、この女、 経衡 つねひら 筑前守にて侍りける時、供にまかり下れりける人の 女 め になんありける、かくて 女 をんな なくなりにければ、経衡のちに聞きつけて、「心憂かりける 武士 もののふ の心かな」とて、男追ひ 上 のぼ せられにけり。 世の中常なく侍りける頃よめる 和泉式部 1007 物をのみ思ひしほどにはかなくて浅茅が末に世はなりにけり (1552) 1008 偲ぶべき人もなき身はある折にあはれあはれと言ひやおかまし (1556) 巻第十八(雑四) 1首 延久五年三月に住吉にまゐらせ給ひて、帰さによませ給ひける 民部卿経信 1063 沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづ枝をあらふ白波 (1451)* 註:詞書は1062番の後三条院御製にかかるため、敬語が用いられている。 巻第十九(雑五) 0首 巻第二十(雑六) 0首 更新日:平成17-03-03 最終更新日:平成22-02-28 ||.

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徒然草第19段

ありしこそ 意味

お詫びの印に… お手玉の起源ですが、似たような遊びは古くはトルコ・ギリシャ・インドにもありますが、日本の場合は奈良時代には伝来していると考えられ、法隆寺の宝物に「石名取玉」という、六角形の水晶玉が伝わります。 一説には聖徳太子の遊具であるともされます。 平安期には「いしなご(石投ご)」という遊びが女児で行われていました。 これは、地上に石をまいて、その中の一つを空中に投げ上げて、落ちない先に、ほかの石を拾っていっしょに手に受けて、早く拾い尽くすという遊びです。 西行法師の歌にも 「石なごのたまの落ちくるほどなさに過ぐる月日はかはりやはする」『聞書集』 と詠まれます。 このように石または貝殻・骨などで遊んでいたものが、江戸時代になってから小袋型の「お手玉」が考案されました。 お手玉という名称も江戸のものでしたが、明治以降に全国的に広まり、それまでの石投ごは姿を消します。 現在では兵庫県養父市大屋町に「石なんご」として現存しています。 年玉の歴史は分権的にははっきりしないほど古くから行われた儀式と思われます。 というのが、現在のように金銭を贈るという意味ではなく、神の力の宿ったものを授けるという儀式だからです。 まずは、年玉の本義、ひいては正月の意義から説明します。 「盆と正月が一緒に来たようだ」という俚諺のあるように、盆と正月は共に祖霊が家に帰ってくる日です。 盆(夏)は天災や疫病など災いが多い時期であるだけに、その祖霊も荒ぶる御霊であると。 そして荒ぶる御霊であるが故に鎮魂儀礼を必要とする、「災いをもたらす祖霊」であるといえます。 日本に仏教が伝わった時に、日本人は仏教の持つ「滅罪の力」に着目しました。 つまり、仏を信仰すると罪が滅びると捉え、その滅罪の力によって荒ぶる御霊が鎮まり、災いが生じなくなるとして…。 ここに仏教が鎮魂儀礼を担うことにより日本へ、そして民衆へと根付くための土台が築かれます。 夏に行われる先祖祭りが、「盆」という仏教的色彩を強く帯びた鎮魂の日として定着します。 そのことによって逆に古代から続く「先祖祭り」としての意識が残りました。 それは、素麺や瓜のお供え物に象徴される「麦や野菜の収穫祭」。 対して正月(春)は穏やかな気候によるためか、その祖霊も和らぐ御魂である。 もはや鎮魂を必要としない、「幸いをもたらす祖霊」です。 その故に、先祖であるという意識が時代を重ねるごとに希薄になります。 『徒然草』第十九段にも、 「年の名残も心ぼそけれ。 亡き人のくる夜とて魂祭るわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」 とあり、当時ですら都では正月が先祖祭りであるとの意識が薄くなっていました。 やはりそれは、鎮魂儀礼を必要としない(危機感が生じにくい)ことにも要因ではないでしょうか。 ただ、餅に象徴される「米の収穫祭」であったことは現代でも息づいています。 時間の単位である「年(ネン)」を「とし」と訓じますが、この「とし」という言葉はもともとは穀物、それも特に稲を意味します。 日本人にとって「年」とは稲が実ることです。 ですから正月の餅は単なる食べ物ではない。 まさしく「とし」であり、その形が丸く作られることは「たましい」の象徴です。 丸い物を「たま」といいますが、霊的存在を「丸」で象徴するのもこれと同様です。 丸い餅、つまり鏡餅は神へのお供えであると同時に穀物霊・祖霊、つまり「としだま(年玉)」です。 神の力が備わった食べ物、いや神そのものともいえる食べ物を口にすることによって、われわれは新たなる力が得られる。 そんな神の力の宿る物を振る舞う、つまり「年玉」を授けることが、時代が下がるにつれ行為そのものを年玉と言うようになりました。 ですから時代・地域によっては神に供えた若水・白米を、あるいは神域の石を年玉と呼ぶこともあります。

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