菊の紋ニュースとは。 紋々病

【名城と事件】二条城(下) 幕府終焉「葵」が「菊」の紋に (1/2ページ)

菊の紋ニュースとは

徳川家康没後、第2代将軍、秀忠、第3代将軍、家光も上洛時の宿舎として二条城(京都市中京区)を利用した。 その後は、将軍が上洛することはしばらくなく、二条城の歴史はいったん途絶えたことは前号で紹介した通りである。 再び二条城が表舞台に登場するのは、幕末の動乱期、朝廷の権威が高まってからだ。 第14代将軍、家茂(いえもち)は朝廷の要請に応えて、文久3(1863)年、将軍としては229年ぶりに上洛する。 慶応2(1866)年には第2次長州征伐のため再上洛するが、大坂城(大阪市)で病に倒れ、21歳という若さでこの世を去った。 その後を継いで第15代将軍となる慶喜(よしのぶ)は、二条城で将軍職を拝命した。 幕府の終焉(しゅうえん)の舞台となったのも二条城で、慶応3(67)年、慶喜は上洛中の40藩の重臣を招集し、二条城の大広間で大政奉還について諮問し、10月14日に明治天皇へ上奏文を提出した。 翌15日、天皇は参内した慶喜に大政奉還勅許の沙汰書を授け、大政奉還が成立した。 それ以後、二条城のあらゆるところに打ってあった葵(あおい)の紋は取り外され、十六花弁の菊の紋に取って代わられた。 現在、城全体が国の史跡となり、二ノ丸御殿が国宝となっている。 内部は遠侍(侍詰所)、式台(老中等上級武士の御所)、大広間、黒書院、白書院と続き、平屋造りではあるが、特に各室の障壁画が見事である。 鳥や虎といった鳥獣や、牡丹、檜、桜といった植物を題材にした画の数々は一日中眺めていても飽きないほどだ。 他にも、20数棟の建物などが重要文化財となっている。

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悠仁さまのハーレム異世界ラノベ執筆はデマ?ソース元「菊ノ紋ニュース」を調査

菊の紋ニュースとは

徳川家康没後、第2代将軍、秀忠、第3代将軍、家光も上洛時の宿舎として二条城(京都市中京区)を利用した。 その後は、将軍が上洛することはしばらくなく、二条城の歴史はいったん途絶えたことは前号で紹介した通りである。 再び二条城が表舞台に登場するのは、幕末の動乱期、朝廷の権威が高まってからだ。 第14代将軍、家茂(いえもち)は朝廷の要請に応えて、文久3(1863)年、将軍としては229年ぶりに上洛する。 慶応2(1866)年には第2次長州征伐のため再上洛するが、大坂城(大阪市)で病に倒れ、21歳という若さでこの世を去った。 その後を継いで第15代将軍となる慶喜(よしのぶ)は、二条城で将軍職を拝命した。 幕府の終焉(しゅうえん)の舞台となったのも二条城で、慶応3(67)年、慶喜は上洛中の40藩の重臣を招集し、二条城の大広間で大政奉還について諮問し、10月14日に明治天皇へ上奏文を提出した。 翌15日、天皇は参内した慶喜に大政奉還勅許の沙汰書を授け、大政奉還が成立した。 それ以後、二条城のあらゆるところに打ってあった葵(あおい)の紋は取り外され、十六花弁の菊の紋に取って代わられた。 現在、城全体が国の史跡となり、二ノ丸御殿が国宝となっている。 内部は遠侍(侍詰所)、式台(老中等上級武士の御所)、大広間、黒書院、白書院と続き、平屋造りではあるが、特に各室の障壁画が見事である。 鳥や虎といった鳥獣や、牡丹、檜、桜といった植物を題材にした画の数々は一日中眺めていても飽きないほどだ。 他にも、20数棟の建物などが重要文化財となっている。

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商標法 (商標登録を受けることができない商標) 第四条 次に掲げる商標については、前条の規定にかかわらず、商標登録を受けることができない。 一 国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標 使用してはダメってのは、戦前とかにはありましたが、現在は法律としての制限は無いハズ。 軽犯罪法が微妙ですが。 軽犯罪法 第一条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。 十五 官公職、位階勲等、学位その他法令により定められた称号若しくは外国におけるこれらに準ずるものを詐称し、又は資格がないのにかかわらず、法令により定められた制服若しくは勲章、記章その他の標章若しくはこれらに似せて作つた物を用いた者 そちらと別途、宮内庁から個別に注意されるとかって事はあるとか無いとか…。 A ベストアンサー kamesenninさんは、右翼が国民の統合の象徴である天皇、あるいは日本のイメージを負の方向へ持っていくと憂慮されていますが、はたして危惧すべきは右翼だけなのでしょうか。 やはり、右翼=ヤクザという考えは安直そのものではないのでしょうか。 右翼の起源・歴史も知り得ないのに(私もなんですが)、嫌悪・凶悪・ヤクザ・恐怖などの感情に囚われ、似たような菊の御紋を見ただけで天皇=右翼=ヤクザと連想する我々市民の無知こそ、真に憂慮すべきことと思います。 氾濫する情報を選別し、物事を一点だけに見ず、判断する柔軟性をもち得ることが、日本のイメージを高めることと思います。 わかりにくいかもしれませんが、とにかく我々の無知さを先に憂慮すべきだと思います。 右翼は二の次、参の次・・・・・・。 A ベストアンサー 古くは「日月紋」が皇室の紋章でしたが、現在では、 御大喪や即位礼で日像纛旛 にっしょうとうばん 、 月像纛旛 げっしょうとうばん と呼ばれる幟に用い るくらいで、皇室の紋という意識は薄れています。 やはり、世間一般では皇室の紋章としては菊花紋だと 思います。 鎌倉時代に後鳥羽上皇が好んで菊花紋を用いられ、 それが後代の天皇に引き継がれたために皇室の紋章 として定着していきましたが、具体的なデザインに ついては特に規定がなかったので、弁の数、花の中 心の円の大きさなどはまちまちでした。 明治元年の太政官布告で菊花紋の一般使用が禁止され、 翌年の布告では皇族が16葉の菊花紋の使用することを 禁じ、明治4年の布告で皇族共通の紋章として14葉一 重裏菊紋が制定されましたが、16葉の菊花紋について は細かいデザインは規定されないままでした。 菊花紋のデザインが厳格に規定されるのは大正15年の 皇室儀制令が制定されてからです。 神社仏閣については、明治7年と12年に官幣社、国幣 社への使用が許可され、13年には従前より伝統的に使 用している神社寺院に限って今後の使用も許可されま した。 武家で菊花紋を使用しているところがありますが、 賜紋のようです。 徳川家の葵の紋みたいに禁制が出て いたわけではないので、単にデザインとして用いてる 例もあるようです。 なお、現在では、菊花紋の使用についての法的制限は 商標法で登録商標に使用できないこと以外はありません。 古くは「日月紋」が皇室の紋章でしたが、現在では、 御大喪や即位礼で日像纛旛 にっしょうとうばん 、 月像纛旛 げっしょうとうばん と呼ばれる幟に用い るくらいで、皇室の紋という意識は薄れています。 やはり、世間一般では皇室の紋章としては菊花紋だと 思います。 鎌倉時代に後鳥羽上皇が好んで菊花紋を用いられ、 それが後代の天皇に引き継がれたために皇室の紋章 として定着していきましたが、具体的なデザインに ついては特に規定がなかったので、弁の数、花の中 心の円の大きさなどはまちま...

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