積善館 建物。 積善館

積善館本館

積善館 建物

この記事の目次• 積善館は3つの建物からなります。 積善館は「本館」「山荘」「佳松亭」の3つの建物からなります。 3つの建物が山の斜面に建っていて新しいほどに斜面の上の方に建っています。 群馬県重要文化財「本館」は日本最古の湯宿建築 積善館の「本館」は元禄4年に建てられた、群馬県の重要文化財にも指定されている建物で、 日本最古の木造湯宿建築とされています。 こちらの本館では普通の旅館スタイルとは異なった 「湯治スタイル」を楽しむことができます。 湯治スタイルって? 昔は病気やけがの治療のために温泉のお湯につかったのですよ。 お 湯の 治療で「湯治」。 目的は「治療」なので、宿のようなおもてなしはありませんでした。 「湯治スタイル」ということで、本館では• 布団の上げ下ろしは自分自身• 食事はお弁当 という風になります。 ) 文豪たちに愛された「山荘」は群馬県近代遺産に登録 群馬県の近代遺産に登録されている桃山様式造りを取り入れた建物。 昭和初期に建てられ、柳原白蓮や文豪たちに愛されたそうです。 我々が宿泊するのはこの山荘です!! 一番新しい「佳松亭」は現代的な雰囲気の宿 山の一番高い場所にある新しい建物。 木々に囲まれ、しっとりと落ち着きのある現代的な温泉宿の雰囲気です。 チェックインは佳松亭のラウンジ「猩々」にて。 本館の帳場にてチェックインしたい旨を告げると佳松亭のラウンジに案内してくれます。 積善館は山の斜面に建てられており、 何度も増改築がされているので内部が非常に複雑なのです。 なので本館からラウンジまでけっこう歩くことになりました。 以下は館内図(公式サイトからお借りしました) 引用: 右側の赤い丸が本館玄関、左上の赤い丸がラウンジです。 階段登ったりエレベーター乗ったり…。 ラウンジに向かう途中で、『千と千尋の神隠し』を彷彿とさせるような 『浪漫のトンネル』と 『鏡の廊下』があります。 (上記案内図の青い丸をご参照ください。 ) ラウンジに向かう途中で出会った風景 さて、本館帳場から佳松亭に向かいます。 携帯電話の普及に伴い、公衆電話ボックスはなかなか見かけなくなりました。 きっとこのボックスは戦前から人と人とつないできたものなのでしょう。 古い木の階段を登っていくと、そこには…。 『浪漫のトンネル』 積善館と言えばココ!というくらい有名なスポット。 その名は 『浪漫のトンネル』 まさに異世界への入り口のような、あの向こう側に湯婆婆(ゆばーば)がいてもおかしくない。 そんな気持ちになります。 「いつか行きたいと思っていた場所に、今、私は確かにいるんだ…。 」 不思議な気持ちになりました。 『千と千尋の神隠し』は大好きなので、積善館の浪漫のトンネルを知って以来、ずーっと憧れの場所でした。 地下水が湧き出てくるので常に排水しているらしく、水が流れていました。 トンネルの奥にはエレベーターがあります。 『鏡の廊下』 ラウンジに続く『鏡の廊下』 両側に鏡が貼られた幻想的な雰囲気の廊下です。 ラウンジ『猩々』 チェックインはこちらにて。 このラウンジで夕食と朝食をいただくことになります。 チェックイン手続きを済ませたらお部屋に向かいます。 廊下に敷かれた赤いじゅうたんが歴史を感じさせます。 古いけれどもその古さが懐かしく、心地いい。 オススメ!館内歴史ツアーに参加しよう!! 積善館の亭主さん主催の 館内歴史ツアーが開催されています。 時間が許す限り参加してみてください!本当に素晴らしいんです。 基本は16時から開催されており、予約なしで参加できるそうですが、亭主さんおひとりでやられているので出張や体調不良の場合には開催されないことがあるそうです。 (2016年時点の情報です。 詳細は宿へお問い合わせください。 ) この日は参加者の数も多く、大賑わいでした。 亭主さんの明るい人柄で笑いのこぼれる素敵なツアーとなりました。 スライドを観ながら積善館の歴史を聞かせていただく。 まずはスライドで昔の積善館の写真を見せていただき、今の建物とどこか同じでどこが違っているのか解説してくださいました。 今はバスですいっと来れてしまいますが、昔は徒歩か人力車で人々が訪れていました。 それも中之条から道が開通してからのお話で、道が拓ける前はけもの道のような険しい道を歩いてくるしかなかったそうです。 かつて温泉は観光ではなく治療に訪れる場所でした。 「病やけがを治したい。 」切実な思いを抱えて訪れる場所だったのですね。 スライドの中にあった母親らしき年老いた女性を背負った若い女性の写真…。 なんだか胸が詰まるような思いがしました。 「お母さん、元気になってくださいね。 」 そんな娘さんの祈りの声が聞こえてくるような気がしました。 スライド上映と亭主さんのお話を聞かせていただいた後は館内を巡ります。 積善館はジブリのモデル?自称ではありません。 あ、そうそう。 亭主さんから言われたこと。 積善館が某ジブリアニメのモデルではないか、と言われ始めたのは テレビ番組がきっかけでスタジオジブリ、 積善館が公式に認めていることではないそうです。 決して積善館が勝手に言ってるわけではなく「売名行為」ではありません、とのことです。 (勘違いして批判する人もいるらしく、それは違います!と言っておられました 笑 ) ただ、 宮崎駿監督が実際に積善館に宿泊したことは紛れもない事実です。 亭主さんと宮崎監督の記念写真を見せていただきましたので、そこは間違いなし。 宮崎駿監督の中に刻まれたいくつもの光景が、まぜこぜになって練り込まれ、新しく生み出されたのものが「油屋」なのでしょう。 かつてはサムライさんも訪れました。 さて、話を戻します。 写真は本館にある 大浴場の前あたりです。 現代の物よりも低めの天井。 畳の廊下が続きます。 この柱。 昔は 馬でやってきた人が馬を繋いでおく場所だったとか。 柱が少し削れているのは縄の跡だそうです。 ここでそろばん叩いて事務処理をしていたそうです。 一般の人は上がれませんでした。 古い建物はそれ全体に何かが宿っているような気がしますね。 誰もいないのに、何かの気配が満ちているような…。 カオナシとか。 それはそれで怖いかな 笑 次回は大正ロマンあふれる、お部屋編です。 積善館の宿泊予約について 積善館は以下のサイトから宿泊予約ができます。 valuecommerce. valuecommerce. 各予約サイトのクーポン情報は以下をごらんください。

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積善館 山荘(1)

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草津温泉を後にして向かったのは、四万温泉です。 10年前も確か同じコースだったな~。 今回は沢渡温泉の日帰りを入れてみましたが。 宿泊は以前より泊まってみたかった「積善館」です。 3つの建物があるのですが、迷った結果「山荘」を選びました。 レトロとおしゃれがミックスしているのでいいかなと。 本館はさすがにかなり古くてトイレもついてないので及び腰してしまいましたね。 館内の案内図です。 手前が本館、真ん中が山荘、奥が佳松亭です。 すごい坂に建っているので、こんなつくりになっているんですね。 館内移動は結構大変でした。 山荘のチェックインは「佳松亭」の玄関と同じく奥の建物からはいります。 高級感がありますが、山荘に泊まるという感じがなく・・・ 渡り廊下やエレベータで移動してこちらのほうに行きます。 4Fから山荘につながっています。 ちなみに、写真や紹介で有名なのがこちらの本館です。 レトロな木造建物と赤い橋がシンボルです。 本館建物はこちらです。 実はこちらのご主人主催の館内歴史ツアーというのがあって、中をたっぷり拝見しました。 それでは次は泊まったお部屋の紹介です。

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積善館【群馬県 四万温泉】~四万温泉を代表とする文化財のお宿。建物と温泉もすごいが創作和会席もすごく美味い~

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積善館が 「千と千尋の神隠し」の 湯屋「油屋」のモデルと言われる理由 2008年7月26日 土 ~9月28日 日 まで、東京都現代美術館にて 「スタジオジブリ・レイアウト展」が開催されました。 これは、アニメーションの新たな魅力を発見する展覧会として、日本テレビが主催し、スタジオジブリの全面協力の元に開催されたものです。 そして、この「スタジオジブリ・レイアウト展」の開催前日の7月25日 金 の14:55~15:55に日本テレビより、宮崎駿特別番組として「スタジオジブリ・レイアウト展特番~宮崎監督130分独占インタビュー~宮崎アニメワクワクの秘密」という番組が放映されました。 その番組の中で、四万温泉積善館が「千と千尋の神隠し」の湯屋「油屋」のイメージモデルの一つとして紹介されました。 その番組中では他のイメージモデルとして、道後温泉の本館、東京の目黒雅叙園が紹介されました。 当館亭主もインタビューを受けて、番組に出演させて頂きました。 九代 市川 團十郎 明治20年頃来館 明治時代に活躍した歌舞伎役者。 屋号は成田屋。 五代目 尾上菊五郎、初代 市川左團次とともに、いわゆる「團菊左時代」を築いた。 落語家三遊亭圓朝と共に来館。 三遊亭 圓朝 明治20年頃来館 江戸時代から明治期に活躍した落語家。 江戸落語の大名跡であり、落語中興の祖。 歌舞伎役者市川團十郎 と共に来館。 岩手県出身。 明治25年衛生局長、明治31年台湾民政局長、大正12年山本内閣内相、帝都復興院総裁。 徳富 蘇峰 大正13年4月に来館 明治・大正・昭和の3つの時代にわたるジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。 政治家としても活躍をして戦前・戦中・戦後の日本に大きな影響をあたえた人物である。 中村 不折 大正3年8月来館 明治・大正期の画家、書家。 仏渡帰国後、太平洋画会所属。 書に関する中国の古文書を集め、書道博物館設立。 七代目 松本 幸四郎 昭和20年8月来館 歌舞伎俳優。 9代目団十朗の芸風をうけついだ。 オペラや翻訳物など新しい分野も開拓。 大東亜戦争中四万に疎開していた。 小室 翠雲 明治30年以後しばしば来館 明治・大正・昭和の3つの時代にわたるジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。 政治家としても活躍をして戦前・戦中・戦後の日本に大きな影響をあたえた人物である。 佐藤 紅緑 来館日未詳 明治・大正・昭和期の俳人、小説家。 青森県出身。 詩人サトーハチロー、作家佐藤愛子の父。 正岡子規に師事。 「俳句小史」。 少年倶楽部に「ああ玉杯に花うけて」を発表。 柳原 白蓮 昭和32年6月来館 以後数回来館 大正・昭和期の歌人。 東京都出身。 北小路資式と結婚、やがて離婚。 請われて九州の炭坑王伊東伝右エ門と再婚。 宮崎龍介との恋愛で話題をまき、情熱の歌人といわれた。 「踏絵」「幻の華」。 ことだま主宰。 片山 哲 来館日未詳 大正・昭和期の社会運動家、政治家。 和歌山県出身。 社会民衆党書記長。 無産運動に活躍。 敗戦後、社会党書記長、委員長。 1947年社会党首班内閣の首相。 1690年民主社会党結成、最高顧問。 里見 弴 来館日未詳 大正・昭和期の小説家。 神奈川県出身。 有島武郎、生馬の弟。 1910年「白樺」創刊に参加。 長編小説「多情佛心」「安城家の兄弟」が代表作。 土屋 文明 昭和20年11月来館 歌人。 群馬県出身。 伊藤佐千夫に師事。 昭和5年「アララギ」の編集発行人。 歌集「ふゆくさ」「住還集」「山谷集」など。 「万葉集私注」で芸術院賞受賞。 群馬県名誉県民。 小野 佐世男 来館日未詳 風俗画家、漫画家。 神奈川県出身。 女性画の第一人者。 ほら話が巧み。 「サルサル合戦」「女体戯話」などの画文集。 岸 信介 来館日未詳 政治家。 山口県出身。 昭和16年東条内閣の商工大臣。 昭和32年首相。 榎本 健一 昭和20年来館 昭和期の喜劇俳優。 東京都出身。 浅草オペラの喜劇第一人者。 エノケンと呼ばれ、舞台・映画で活躍。 丹羽 文雄 昭和29年11月来館 昭和期の小説家。 三重県出身。 「蛇と鳩」「親鸞」など有名。 日本文芸家協会理事長。 西本 一都 しばしば来館 逓信省各地方貯金局長を歴任。 昭和39年退官後、長野市に在住。 富安風生の高弟。 句風は堅実な写生に徹す。 俳誌「白魚火」主宰。 句集「景色」「瞽女」など。 服部 良一 昭和43年10月、48年8月来館 大阪府出身。 エマヌエル・メッテルに師事。 日本作曲家協会理事長。 昭和54年、勲三等瑞宝章。 「蘇州夜曲」「青い山脈」「東京ブギウギ」など多数のヒット曲を作曲。 中曽根 康弘 しばしば来館 政治家。 群馬県出身。 昭和22年、弱冠28歳で初当選。 昭和49年自民党幹事長。 昭和57年首相。

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