あの 頃 ペニー レイン と。 【ネタバレ・見どころ】『あの頃ペニー・レインと』夢と現実(リアル)の狭間で、もがきながら少年がたどり着いたものは・・・

【あの頃ペニー・レインと】「正直に、手厳しく」澄んだ瞳の少年が、駆け足で大人になる物語です。

あの 頃 ペニー レイン と

《あらすじ》 舞台は、70年代アメリカ。 姉の影響で音楽にのめり込むようになったウィリアム(パトリック・フィジット)が物語の主人公。 彼が地元紙に描いた記事を、『ローリング・ストーン』誌が注目し、ウィリアムが弱冠15才の少年とは知らずに原稿依頼することに…。 ブレイク寸前のバンド「スティル・ウォーター」の全米ツアーに同行取材することになったウィリアムは、ペニー・レインと名乗る少女(ケイト・ハドソン)との出会いや、バンドメンバーからの刺激を通して、少しずつ成長していく。 作品のおすすめポイント 衣装と音楽に痺れる映画、『あの頃のペニー・レインと』。 フワフワとしたブロンドのカーリーヘアにサングラス、花柄の刺繍やレース、フリンジ、ファーデニムなど70年代のヒッピーを彷彿とさせるボヘミアンスタイルがとても可愛いんです。 舞台設定(年代設定)の演出が細かなこの作品を観ていると、「あぁ…70年代へタイムスリップしたい。 ヴィンテージのアイテムが欲しい。 今すぐアメリカへ飛んで行きたい…」とファッション欲・トラベル欲がかき立てられ、途方に暮れることもしばしば。 そのくらい、とてつもなくロマンのある作品なのです。 そんな作品のロマンを形作るのは、音楽もしかり。 少年ウィリアムの視点で、さまざまなバンドに関わっていきながら、70年代の音楽(ロック)シーンを存分に味わうことができるんです。 BGMも弾む曲ばかりで、いい感じ! また、劇中の架空バンド「スティルウォーター」のライブツアーに同行しながら、ウィリアムの故郷であるカリフォルニア州サンディエゴ・アリゾナ州テンピ・カンザス州トピーカ・テネシー州グリーンビル・オハイオ州クリーブランド・ボストン・ニューヨークなど、 アメリカ国内のさまざまな場所を旅することができるのも、この映画の素敵なポイント。 ぜひ、ファッションと音楽のロマンあふれる本作を観てみてください。

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あの頃ペニー・レインと〜15歳で音楽ジャーナリズムの世界に飛び込んだ少年|TAP the SCENE|TAP the POP

あの 頃 ペニー レイン と

まず最初に、タイトルが悪い。 どっちも簡単な英単語ですが、直訳しちゃうと「ほとんど有名」になっちゃって 何が言いたいのか全くわかりません。 えいごって難しい。 実際には英語で 「ブレイク寸前」といった意味合いの使われ方をしているようです。 (ちょっと映画のタイトルっぽくするなら 『明日にはブレイク』なんてどうでしょう。 ) これ、『あの頃、ペニーレインと』と『明日にはブレイク』では、タイトルの意味合いがかなり変わってきますよね? 邦題だと、ペニーレインとの関係性、恋愛感情に重きを置いています。 事実、僕と嫁もタイトルから「ははぁ、これは恋愛映画だな」 「私、今日は恋愛映画が観たい!」と勘違いして、観てみたんです。 思いがけず面白い映画が見れたので結果オーライではありますが、このタイトルでは 「恋愛映画が観たい人」は観てくれても、そうでない人は敬遠してしまうのではないでしょうか? 少なくとも、嫁が観たいと言わなけりゃ、僕だって観なかったぞ! そして恋愛映画を期待した人の中には 「(恋愛映画としては)イマイチだったな…」という感想を持って映画館を後にした人も多かったはず…。 完全にターゲットがずれちゃってますね! もちろん、ペニーレインとの恋愛要素もそれはそれで重要な位置を占めていましたが、この映画が描きたかったのはそれだけではなかったはず! 初めての旅、 年上の大人たちと築いた友情、 ペニーレインとの恋愛、 記者として一人前に評価されること、 束縛の強かった母親からの自立。 これら全部ひっくるめて、この映画の魅力なんです。 …一応、バンドとしてのブレイクと主人公が一人の大人になる(まさにブレイク寸前)って意味をかけてみたり、「明日には」の部分にバンドやペニーレインの中途半端さと明日への希望をこめてみました。 自画自賛。 日本とアメリカの若者観の違い そしてもうひとつ、この映画が日本でそこまで受けなかった要因に、日本とアメリカの若者観の違いがあります。 これらのニュアンスを一語で表す単語があるんです。 ティーンエイジャーとは語尾に「-teen」がつく13~19歳の若者を指します。 そのまま解釈したら単なる年齢区分でしかないのですが(日本ではほとんど年齢区分として使われていますね)、実際には思春期・ 子供から大人に移り変わる微妙な時期というニュアンスで使われます。 また、アメリカではほとんどの州で 18歳から「成人」と見なされます。 つまり、ティーンエイジャーを経たら、すぐ次が成人・大人なんです。 ティーンエイジャーという単語には「何者でもなかった子供が、いろんな事にぶつかりながら、一人の大人になっていく時期」という意味が込められているんですね。 一方、 日本ではどうでしょう。 ティーンエイジャーと同様の単語はあるのでしょうか。 思春期? 未成年? 青年? 中高生? まず「未成年」は論外です。 0ー19歳をざっくり括っているだけで、 刑法上の用語でしかありません。 「青年」というのもしっくりきません。 たしかに17~19歳は青年と呼べるかもしれませんが、20代でも「青年」ですし、13~15歳は「青年」と呼ぶには若すぎる。 それが「青年」です。 一方「思春期」はどうでしょう。 異性への関心、衝動。 親への反発。 アイデンティティーの模索。 思春期独特の特徴は、ティーンエイジャーの特徴とほとんど一致するかと思います。 「思春期=反抗期」という解釈だったり「荒れたり色気づく時期あるよね~」と片付けられてしまうのです。 なにより日本では、 思春期を抜けても成人として扱われるわけじゃありません。 一般的に思春期は13~17歳。 成人は20歳。 「子供ってそういう時期あるよね。 まぁしばらくしたら落ち着いた子に戻るんだけど」としか思われていないのです。 あなたは思春期を抜けた子を大人と見なしていますか? やはり「思春期」もティーンエイジャーの概念とは似て非なるものなのです。 このように、 日本には「ティーンエイジャー」に該当する概念そのものがありません。 これは、単語がないというだけでなく、日本の若者に対する考え方を示唆しています。 多くの日本人は「成人=20歳」を区切りとして、子供と大人がきっぱりと分けているんです。 でも、これっておかしなことですよね。 みなさんも経験ないでしょうか? 10代の少年たちがどれだけエネルギーをぶつけようと、ただの「子供の反発」としてしか考えない社会。 20歳までは子供としか扱わおうとしない大人たち。 子供はどうやって大人になるのでしょうか? どうも日本の社会では、「成人の日を迎えたら勝手に大人になる」とでも思っている節があります。 (あるいは、成人の日から徐々に大人の階段を昇り出す、と。 遅いよ!!) ティーンエイジャーは、すでに大人になりかけているのです。 日本には、それを認める風潮に欠けています(断言) だからこんな素晴らしい「ティーンエイジャーの映画」を観ても、ただの「青春記」「美しい思い出」としか考えられないんです。 初めての旅、大人たちとの友情、恋愛、仕事、自立、 脱童貞。 この映画一本の中で、彼がどれだけ大人になったか! ティーンエイジャーの概念の理解、そして、 ティーンエイジャーへの温かいまなざしがないと、この映画の素晴らしさはわからないんです。 映画『リリィシュシュのすべて』の思い出。 日本でも ティーンエイジャーを描いた素晴らしい作品があります。 高校生の頃、同級生の熱い薦めをうけて、岩井俊二監督の『リリィシュシュのすべて』を映画館に観にいきました。 インターネット、恋愛、援助交際、いじめ、自殺、憧れのアーティストの初ライブ…。 彼らの 混沌とした高校生活は、僕ののほほんとした平穏な毎日とはかけ離れたものでした。 ところが、この映画は当時高校生だった僕のハートを鷲掴みにしました。 自分とは全く異なる境遇にも関わらず、彼らの抱えていた 「ティーンエイジャーの葛藤」が余りにも理解できてしまったからです。 いろいろと見解はあるでしょうが、彼らの悲劇は「ティーンエイジャーをこじらせてしまった」ところにもあるかもしれません。 ティーンエイジャーは大人になろうとする とても大きなエネルギーを持っています。 持て余してもいます。 それに 蓋をせず、上手に導き、見守ってあげるのが、周りの大人の務めではないでしょうか。 その点、映画『あの頃ペニー・レインと』では、ウィリアム少年の周りの大人たちの態度が素晴らしかったです! ロック評論家のレスターはウィリアムにしっかり向かい合ってアドバイスを与えていました。 ロックバンド・スティルレインのメンバーたちもウィリアムを一人のライターとして、自分たちと同等に扱っていました。 なんだかんだ辛口だったローリングストーン誌の編集部だって、15歳の彼を子供扱いせず、大人同様のレベルを求めていました。 あるいは、こういった環境に恵まれていたから、ウィリアムは「ティーンエイジャーをこじらせずに」済んだのかもしれません。 日米の若者感の違いといいつつ、想像の中で日本を卑下し、アメリカを美化しているかもしれません。 でも、日本のティーンエイジャーが、ウィリアムのような幸運をつかめるでしょうか…。 大人の中に混じり、一人前に扱ってもらい、友情を築き上げるなんてとても思えない。 現実味がないんです。 それこそが、日本でこの映画がヒットしなかった最大の原因ではないでしょうか。 気がつけば、自分も導く側。 責任は重いですね。。 おわり.

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「あの頃ペニー・レインと」という昔の映画がすごく良かったです。...

あの 頃 ペニー レイン と

ネタバレ! クリックして本文を読む 1969年。 サーファーショップが立ち並ぶ海沿いの街サンディエゴ。 離婚を原因として世間ズレするほど教育熱心な大学教授の母親。 その中で素直に育っているウィリアムは秀才で飛び級をして上級生のクラスに入り弁護士を目指す。 周りチビ扱いされるが喧嘩もせずおとなしい。 厳しく強い母親と反りの合わない姉のアニタは、母親から逃げるように彼と車でサンフランシスコへ旅立つ。 ウィリアムは姉の残した「ベッドの下で自由を見つけて」の言葉通り、ベッドの下にザ・フーのトミーと「ロウソクをつけて聴くと未来が見えるわ」という姉の手紙を見つけ、その通りロウソクをつけてレコードをかける。 少年の心に何かが始まる予感が生まれた。 1973年。 ウィリアムは15歳になった。 進学し周りより年下ながらもクラスで、それなりにうまくやっている。 クリームマガジンの伝説のロック記者レスターに「利益に走ったロックは終わりだ、ロックは危機に瀕している」と教えられ、ブラックサバスのライブの取材の仕事を得る。 母親に車でコンサート会場に送ってもらう。 会場裏口から取材だと言って入ろうとするが締め出され、あきらめかけたが、通りかかった前座バンド、スティルウォーターのメンバーに、彼らの新作の的確な解説をしてみせ、気に入られ、エネミーというニックネームで楽屋へのフリーパスをもらう。 ウィリアムはロックショーの舞台裏に感激する。 バンドのギタリストであるラッセルに「曲のセカンドバースの終わりにミスがある、でもそれが曲のツボになっていて、それがロックンロールなんだ」と教わる。 夜の駐車場で母親の車に戻る、それを上空から映しだす。 大人の世界を垣間見た夜だった。 数日後、ライオットハウスに出かけていく息子を見て母親は、成長とともにだんだん離れていくのを感じ、寂しく思う。 ローリングストーン誌から電話が入り、スティルウォーターのツアー同行記を3000字1000ドルで依頼される。 記者のレスターも母親も反対するがウィリアムは決意してツアーバスに乗り込む。 アリゾナ州キングモーターロッジに着く。 バンドメンバーはウィリアムがローリングストーン誌に記事を書くことに危機感を感じていた。 プールサイドでラッセルに「昔は聞こえたサウンドが、今はもう聞こえない」と告白される。 バンドツアーに同行しているウィリアムにとって見るもの全てが刺激的で異世界に迷い込んだようだった。 ラッセルがライブ中に感電し、電気管理ができてないないとマネージャーのディックがプロモーターと喧嘩して会場を引き上げる。 トピーカの町でバンドのTシャツが完成したと喜んだが、ルックスのいいラッセルを中心に売ろうとしているデザインにヴォーカルは腹を立てラッセルにバンドを辞めろと言う。 ラッセルとウィリアムはトピーカ住民のハウスパーティに誘われる。 LSDでラリったラッセルはバンドを辞めると言い「俺は輝く神だ」と叫んでプールに飛び込む。 次の日の朝、マネージャーのディックがラッセルを説得して連れ戻す。 バスの中でエルトンジョンのタイニーダンサーをメンバーで歌い仲直りする。 グリーンヴィルでウィリアムは童貞を失う。 その朝、ローリングストーン誌から追加の1000語を依頼される。 眩しく輝く音楽の世界だが、その裏側は酒と女とドラッグばかりの汚い世界だと知るウィリアムは、依頼されている記事がまとまらずホテルの廊下で1人泣く。 ウィリアムはもう家に帰りたかったが、ラッセルは中西部のロックの街クリーブランドに強引に連れて行き、そこでデヴィッドボウイを見かける。 ラッセルは電話で母親に「ウィリアムを堕落の道に落とさないで」と頼まれる。 業界通の大物マネージャが来て、言うことを聞けば君たちをビックなバンドにしてみせると言われる。 いつまでもロックをやってられないぞと言う大物マネージャーに、バンドメンバーは彼が必要だと言う。 ウィリアムは地元先輩記者レスターの「ロックは商業主義に負けた」という言葉を思い出す。 飛行機で移動しボストン、ニューヨークへ。 ウィリアムはついにバントとともにアメリカを西から東へ横断した。 ウィリアムはバンドにローリングストーン誌の表紙に決まったことを発表する。 母親はウィリアムの卒業式に1人で出席し悲しい思いをした。 移動のセスナ機で雷雨に見舞われ、緊急着陸となり、もう命が無いと感じたメンバーはみんな隠していたことを告白する。 機体は無事雷雨を切り抜けたが、打ち明け話を聞いたメンバーは白け、ウィリアムは空港で嘔吐する。 ラッセルに「自由に書け」と言われる。 ウィリアムはサンフランシスコのローリングストーン社に行く。 バンドを褒めてばかりの記事ではダメだと言われ、一晩待ってくれと言う。 先輩記者レスターに電話で相談し「偉大な芸術は罪悪感と憧れから生まれる」と教えられる。 ウィリアムは正直に見たことを記事として書いたが、ローリングストーン社はバンドにその内容を否定され、裏が取れなかったとして記事はボツとなった。 ウィリアムはあらためてラッセルにインタヴューし、「音楽の何を愛してる?」と聞き、ラッセル「すべてだ」と答える。 ラッセルはローリングストーン誌にウィリアムの書いた記事はすべて本当だと言い、ウィリアムの記事が掲載されることになる。 スティルウォーターは、ローリングストーン誌の表紙を飾り、ロックの魂を捨て商業的に成功し、ツアーバスで走り去った。 ウィリアムは空港で呆然としていたところを姉のアニタと再会し、2人で家に帰る。 スチュワーデスになり大人として成長した姉のアニタは、いつも心配してくれていた母親の気持ちを理解し、抱きしめ、許し合う。 母は子供2人と久しぶりに食事をし、心から安堵し、幸せな時間を過ごす。 ウィリアムはタクシーで帰る姉を見送り、いつまでも手を振った。 この経験を通して、美しいものに憧れていた純粋な少年時代が終わりを告げたことを感じた。 そして、大人への一歩を踏み出した。 夕暮れの中、さわやかな風が吹いていた。 総合65点 ( ストーリー:60点|キャスト:70点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:75点 ) ペニーレーンというからイギリスの話かと思ったらアメリカが舞台だった。 ペニーレーンが邦題になっているから、この名の女の子が重要な中心人物かと思っていたら、主人公の音楽界でのひと時の経験の話だった。 ちなみに原題は『Almost famous』で、恋愛映画を想定させるものではない。 それでそのひと時の話だが、とりとめもない日常の話で展開としてはそれほどはっきりとしたものはない。 ただ見るもの聞くもの全てが学校も家庭も上手くいっていない15歳の主人公にとっては異世界に迷い込んだかのようなもので刺激的で、それは視聴者にもほぼ同様だろう。 特にこの時代のアメリカの音楽界の裏側の実態が見れるのは面白かった。 全体に軽い滑稽な演出と演技であり、その中に個性的な登場人物と共に時々適度に真面目な場面を入れてくるので、メリハリもあって観やすい。 だけど物語性としてはしっかりとした流れがあるわけではなく、ペニーレーンとのことにしてもこれだけで終わりなのかと肩透かしだった。 調べてみると当時15歳だった監督の実体験を基にした話らしく、なるほど15歳でこんなことを体験すればその衝撃は凄いだろう。 自分もこんな体験があれば刺激的だし忘れられなくなるに違いない。 でも実話だからこそ物語の展開としては興味深いものではなく、その時その時の体験談程度に近いものになっているだけだった。 劇中で歌われるエルトン・ジョンのTiny Dancerはもっと新しい作品だと思い込んでいたが、こんな以前に制作されていたとは知らなかった。 全然古さを感じない名曲。 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved. 「ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷」 C 2018 Danger House Holding Co. , LLC. All rights reserved. 「ANNA アナ」 C 2019 SUMMIT ENTERTAINMENT,LLC. ALL RIGHTS RESERVED. 「ハリエット」 C 2019 Focus Features LLC.

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