乳がん ブログ あっ さん。 乳がん スピリチュアル

乳がん関連のツイートから

乳がん ブログ あっ さん

野菜や果物のクズ、生ゴミが微生物によって分解されて堆肥になり、再び私たちの食べ物の栄養になる。 植物が光合成で排出した酸素を私たちが呼吸して、体から出した二酸化炭素は次の光合成へと使われていく。 そんな世界の成り立ちを注意深く観察すると、すべては循環の中で生かされ、始まりも終わりも無いということ。 そして究極的には不必要なものなどは無いという事実にハッとさせられます。 とはいえ今あるこの姿で全く同じ設定で生きるという条件では、誰もがみんな生きる時間にリミットがあります。 みんな同じ方向、お墓に向かって歩んでいるのに、なにをそんなに焦って先を急ぐのですか。 私自身も常日頃、未来思考に押しつぶされそうになってしまう一人です。 14年間勤めた会社を辞めて、アメリカで学生に戻るためにキャリアストップ。 その後「本当に届けたい記事だけを書く」と覚悟を決めましたが、現在それで生活できているわけではなく、貯金を切り崩しながら暮らしています。 だから正直、先の事を考えて不安になってしまわずにはいられない日はありません。 親になっていたり、稼いでいる人と自分を比較して無価値観に苦しむことだって日常茶飯事です。 そこには私の甘さもあって、焦ったり、落ち込んでしまったりするのです。 過去の行いを後悔し続けたり、未来の不安にトラップされず、今を生きるのはなぜ難しいの? 苦しくなるとわかっているのに、どうして誰かと自分を比べてしまうんだろう? そんな問いを抱えながらの一時帰国中に、とても会いたい人がいました。 それは、 中島ナオさん。 ナオカケル株式会社の社長で、36歳の若さ。 輝きながら、今を生きている人です。 ナオさんは、「 」という、かぶるだけでその日の装いがグンとスタイリッシュになるヘッドウェアをデザイン・企画・販売しています。 親友の内田慈さん(女優)と。 着用は、「F」ライン ワインレッド(左)とライトパープル(右)。 そして仕事とは、生きるとは何かを伺ってきました。 乳がんステージ4で500円玉貯金を開け、起業。 コツコツと貯めてきた500玉貯金箱を開けてナオさんが起業したのは、2017年の末。 それは乳がんの転移がわかり、ステージ4と診断されてちょうど1年が経ったときでした。 発症したのは、2014年の3月。 31歳の頃でした。 すでにガンはリンパ節まで転移し、ステージ3C。 「5年で長生き」と言える状況であることを知りました。 そして翌月から抗がん剤治療開始、秋には手術。 診断されてからの数ヶ月間は、事態はどんどん進んでいくけれど自分の身に何が起こっているのかをきちんと受け入れられず、「ガン」のガの字が言えないときもありました。 若年性乳がんの告知。 想像を絶するような手術を体験し、抗がん剤治療を受けながらの受験を経て、2017年に東京学芸大学大学院 美術教育専攻を修了、教員免許(美術)を取得します。 そして同年9月より東京造形大学の後期学期に週に1度、非常勤講師として空間デザインを大学2年生の学生たちに教えているというナオさん。 ないないづくしの状態で受けた告知。 告知された当時は今よりもずっと、ないないづくしだったんです。 当然持っているものもたくさんあるのですが、世間でよしとされたり、あって当たり前とされるようなもの、たとえばお金とかパートナーとか子ども、社会的な立場とか、全く無かったんですね。 当然どれも望んですぐ手に入るものじゃない。 だから「これからそこへ頑張って向かっていこう」と思っていたときに診断を受けたんです。 有名だったり、肩書きがある人が病気になると、「Aさんがガンを患った」と言われますよね。 でも、何にもない私は「ガン患者」の先に立つものが無いんです。 告知されてからは常にその事実を突きつけられるようで。 「ガン」という言葉が持つマイナスの力と共に、何も成し遂げられていないということを痛感しました。 そこで、これから生きていくなかで「ガンの前に立つ何かを持とう」というのが目標のひとつとなったのです。 「死にたくない」から「死ねない」と思える機会をもらったという東京造形大学テキスタイル科 非常勤講師の仕事。 表参道のスパイラルホールで催された4年生の有志卒制展を見学するナオさん。 「すごいね」「強いですね」と言っていただけることもありますが、常に不安を抱いて、模索し続けながら歩んできました。 そうせざるを得なかったんです。 収入が無くなるという状況が目前にあって、医療費や生活費を捻出するためには働く必要があった。 当時はフルタイムの仕事をしていましたが治療と並行するのは難しく、やむを得ず休職。 が、独身で養ってくれる人は居ません。 治療を続けながら生きていくためには仕事をしない生活は思い描けませんでした。 そこで、毎日8時間の勤務が難しいのであれば、時間給を上げて自立できればと切実な思いで大学院へ進学したんです。 治療で脱毛に悩んできたからこそ、大学院時代に考案したヘッドウェア。 帽子やウィッグとひと味違って、髪が無い状態でもオシャレに着用できるものをとデザイン、そして肌にやさしいものをと素材にもこだわった。 それが「N HEAD WEAR」の原点となったのです。 「N HEAD WEAR」のサイトのモデルを今自分がやっているのも、資金がないなかでのスタートだったからですが、髪の毛がある人が被るだけだと説得力がないというのもあります。 名前や顔を出さずに、進めていくというのには限度があると思うんです。 社長、デザイナー、企画はもとより、「N HEAD WEAR」のサイトやパンフレットのモデルも務める。 ガンのイメージを変えるためにも、オシャレを楽しむ一人の女性として、なんら変わらないんだなというのを伝えたいんです。 だから、すごくお金持ちだったらまったく違った人生を歩んでいたのかもしれませんね。 パートナーがいて「目立つことをしないで」と言われたら、「N HEAD WEAR」も今のような形では実現しなかったのかもしれない。 養育者であった場合も自分のやりたいことや、やらなければいけないことの優先順位が変わっていたでしょう。 「ない」からこそ「ある」ものがある。 ナオさんは、非常勤講師の仕事を始める3か月前より日常や思いを綴るブログも開始。 「がんになって仕事や趣味を辞めたり諦めたりする人も多いと聞くなかで、あえて逆走したい」と表現・発信の場を設けました。 そこにはパラリンピックの父ルードヴィヒ・グッドマンの「失われたものを数えるな。 残っているものを最大限に生かせ」という言葉も。 脱毛に悩んだからこそ、大学院時代に考案したヘッドウェア。 髪の毛の無い頭をどうしたら素敵に見せられるかを考え続けた。 でもこれだけある意味好き勝手できるというのは、なんにもなくて自由だからでもあるということ。 たとえばこれが大企業の社長さんやお医者さんだったら発言できることにも制限があるのかもしれません。 責任や周りとの関係に縛られず発信できるのは、当事者であるということも含め、今の私だからできることだと思うんです。 また経済的に余裕があるわけではない私ができることなら、より多くの人にも届けられるのではと価格に対する自分なりの基準を持つこともできます。 どんなに健康に良くても、素敵でも、私にとって毎月支払う額が数万円などになると現実的ではないですから。 そこは製品をデザインするうえで念頭においています。 は、薬の種類や効果、治療の様子を細かく記録した闘病ブログとは少し趣が異なる。 葛藤のなかにユーモアや希望を見出すその姿勢に、筆者も何度も勇気付けられた。 それから副作用のこと。 毎日気にしていたらきりがないのであまりフォーカスしていないんですが、たとえば手術のために左手で重いものが持てません。 手足にはしびれがあったり、薬の副作用で更年期障害に近いような症状もあります。 旅行中に手に取ったお皿を落としてしまったときはさすがにショックでしたし、先日も階段を一気に登り終えたら足が動かなくなって両手両膝、おなかまでつくような酷い転びかたをしてしまったりもして。 ガンがわかってから、生活が大きく変わりました。 でも、これらはある年齢になったら多くの方が経験するもの。 私はその年代でしか体験できないものを今少し極端な形で体感している。 それは問題とされることを自分のものとして実感が伴う形で捉えられるということ。 そこを逆に活かしたいと思っています。 今は叶えたいことがたくさんあるんです。 「ガンになっても大丈夫」といえる社会をデザイン 実は彼女がデザインしているのは、ヘッドウェアにとどまりません。 それは、「ガンになっても大丈夫」といえる社会の実現。 ヘッドウェアは、そのためのひとつの形なのです。 たとえば今後、重い荷物を運べるうえに全体のコーディネートを素敵に見せられるキャリーバッグは? 左右の乳房を寄せてボリュームを出す、という価値観とは異なる形でバストの魅力を引き出せる下着とは? など。 ナオさんがデザインして現実化したプロダクトとともに投げかけたい社会への問いかけは、まだまだたくさんあるのです。 それは「当たり前だ」と見過ごしてきた社会常識や社会通念について、再び私たちが「それって本当?」と一緒に向き合えるとても重要なインビテーション。 「がんになったら何もできないのでは? というイメージを変えたい」との思いで企画されたプロジェクト「」。 ナオさんが着用しているのは、「N HEAD WEAR」の「A」ライン。 指でひとつひとつ丁寧に編んだニットキャップに、ボリュームを出すためのリボンをあしらってポップに。 オートクチュールラインで販売展開は、現在調整中です。 生活のなかでウィッグもヘッドウェアも並列としてあって選択肢が増える形になるといいなと思うんです。 それぞれのアイテムが適する場所や、その人がどんなふうに生活したいかでチョイスは変わりますから。 選択に対応できるものが社会にあるといい。 そう考えてデザインしています。 ヘッドウェアが最終的にはメガネのように、補うものだったものがみんなに親しまれるファッションアイテムになるといいなと思うんです。 髪があってもなくても楽しく装えるような。 戦後1946年に出版されたスタイルブックのなかで編集者の花森安治さんの「 おしゃれは明日の世界を作る力」という言葉があります。 アイテムだったり、デザインの力でそこを持ち上げられるなら、それを私の仕事にしていきたい。 抗がん剤で髪の毛が抜けて、まばらになって。 ステージ3のときの「この治療が終わったらまた元どおりのヘアスタイルになる」というときと、ステージ4で治療を受け続けている現在では状況が違うんです。 今後ずっと髪の毛がない状態かもしれません。 でもおしゃれで風に飛ばず、もみあげや後頭部も包んでくれて、毛が無いことが気にならないようにデザインされたヘッドウェアがある今は、毛が無いストレスはほぼ無いんですよ。 角度によって様々な表情が楽しめる、「F」ライン。 治療においても大切とされるQuality of Life(生活の質:より心地よく過ごせる毎日を目指す)のデザインという意味で、QOLデザインを行うナオさん。 「鏡が見られない」と切実に訴えるある患者のニュースを目にし「それは生活するうえで、本当に辛いこと。 QOLデザインやN HEAD WEARなど今やっている取り組みは、自分を好きで居続けるためにしていることかもしれません」。 京都の織物、西陣織を使った「Fライン」を着用していたときだったので本当に嬉しかったのだと言います。 たとえ何かがそれを邪魔したとしても毎日をワクワク過ごしてほしい。 そのために今の自分を、装う喜びをたくさんの人と共有していきたいんです。 私にとってそうだったように、それは希望につながるはずだから。 「F」ラインの素材である西陣織を織っていた機屋の廃業というピンチが。 他の機屋から同じ素材を「100枚以上からなら」織ってもらえると打診されますが、一時はその大きな数字に他のデザインや素材を検討し諦めかけたというナオさん。 しかし生地の魅力を届けたいとクラウドファンディングを窓口にした販売を実施。 目標金額の約4倍を達成した。 支援や寄付ではない形で、ガンともっと関われる企画を。 二人に一人がなる病気と言われていますから、思っていた以上に身近なんですね。 そこで突き詰めたみんなの願いは、「治る病気にしたい」ということしかないと思うんです。 そこに向かうムーブメントというか、支援とか寄付とかではない形でもっと多くの人が関われる動きや仕組みができないか。 そのために人が注目したり集まったりするものをデザインすれば、いろんな企業もビジネスの視点を持って関わってくれるんじゃないかと考えているんです。 社会という周りを含めて描く。 デザインをするときに、自分だけが前提の人はいないと思うんです。 社会という周りも含めて描いている。 ずっと私一人がかぶっていたら、すごく目立ってしまうじゃないですか(笑) ガンでもガンじゃなくても、より多くの人が「いいな」と何気なく着用できたときに、病気のイメージも変わっていくのではないか。 そこで、たった一人の人が被った姿をデザインするのではなく、その人が生活する社会全体を設計するという視点でいるんです。 N HEAD WEARは世界対がんデーの2月4日、事務局選定の24商品の中からLAVENDER RING AWARD第一回を受賞。 プロダクトデザイナーの宮沢晢さんからは、ガン患者向けの商品アプローチは多く前と同じようなものや隠したり、マイナスを0にすることに重点を置くというものが多いなか、「オシャレなファッション性、楽しい気持ちになるというモチベーションへの視点と感性的な魅力が段違いであった」と高い評価を受ける。 Lavender Ring HPより。 みんなに届けられることで、自分も生きやすくなる。 このままで生きにくいならその生活を変えていきたい。 このままで生きられないなら、その状況を少しずつでも変えていきたい。 問題を考えたときにやはり生きている以上、人や社会との接点はさけられないというナオさん。 避けたくもないですし。 そう考えると自分だけではなく、みんなにも届けられることを進めていくというのは、自分が生きやすくなるということでもあるんです。 私だけの見え方というのではなく、ガン患者の見え方をデザインしたい。 ガンという病気の印象を変えていきたい。 その過程の先には究極的に、今問題とされるものが問題でなくなるかもしれないんです。 ステージ4になってから、余命やあとどれぐらい生きるんだろう? という点にはあまり意識を向けていないというナオさん。 1年後の自分は描かない。 今を少しでもよくするために明日の自分を描きながら生きると言います。 もちろん死は、リアルに向き合う問題としてあります。 マイナスにもできるものだけど、今この状態だからこそ言えることや考えられることもすごく多くて。 たとえば今はまだ具体的ではありませんが、死を切実に考えながら、ふと、お葬式について考えることもあります。 一昨年に旧友のお父さまがガンで亡くなられたんです。 当事者ということもあって勝手にですけれど、どこかその方の立場になって周りの状況を見てしまうんですけど、お葬式もそうで。 すると、そこはその人を思う人がたくさん訪れる場で、家族写真なども飾ってあって。 集った人たちが思い出話を交わしたり、悲しいだけじゃないんですよね。 弔う場とは、共に過ごしてきた時間を振り返って、語り合って。 離れていた人も再びつながる場所だな、と。 そう考えたときに、私だったらそこに居たいな。 一体みんながどんな話をするんだろう、聞きたいな、そして感謝を伝えたいなって思ったんです。 取材(5月8日実施)の行われた週、自らが主催するお誕生日会を控えていたナオさん。 会いたい人には今の自分を伝えつつ、会える機会を積極的につくっておきたいと言います。 そして、そこからまたご縁がつながったりする。 死を改めて考えたときに、 生きるというのは人と会える。 行動できる。 死はそれができなくなることだと思います。 だから、今のうちにできるだけ人に会っておきたいと、ご縁を手繰り寄せるような意識でいます。 何かときがきたときに何もしていなかったら絶対に後悔するなと思うんです。 動いていなければ、やっとけばよかったなと。 病状や状況がガラッと変わる現実が避けられないからこそ、 今できることをするしかないんじゃないかなと思っています。 筆者も被らせていただきました。 たしかに髪があっても素敵! 一気におしゃれ感が増します。 頭をすっぽり包む一方で締め付けがない。 そんな「細かな機能を着用して体感してほしい」とインターネットに加えてリアルな販売展示場所もさらに増やしていきたいそう。 たとえば取材時の4月25日〜5月29日は、伊勢丹新宿店本店2Fグローバルクローゼットにて展示。 また毎週土曜日11時〜16時、TERAI craftmentでも展示中。 現在は受注生産。 告知を受けてから、今の自分にできる仕事を探してきたというナオさん。 「わけあり人材」という言葉があるけれど、彼女は自分のことを「わけがあること」前提で働いているのだと言います。 無理したい、頑張りたい。 と同時に、治療を続けながら穏やかな生活を送れることは大前提で、数年計画もできない。 そこには当然葛藤があり、悩んだ時期もあると言います。 大学での授業風景でも、デザインの世界では「絞ったり決めたりすることはとても大切」と学生たちに指導するナオさん。 周囲や自分の状況を見ながら選択に向かうためのプロセスを大切にしてきたからこそ、最終的に選んだものを納得し責任が持てるのだと言います。 そして最終的には、わけが気にならないような仕事をしていきたいというナオさんの決意も。 だから今後は頭に「ガン」がつくよりも、たとえばヘッドウェアのデザインの可愛らしさから興味を持ってもらい、「あ、そういう経緯だったんだ」と後付けで気づいてもらえるようなアイテムに育てながら、新たなデザインも生み出していきたいというナオさん。 それこそがガンという病気の持つイメージを変えることにつながるから。 今までやってきたことができなくなっても、他の人と比べると不得意なことがあっても、できることはまだまだたくさんある。 自分そのままを目一杯活かせることを仕事にする。 「生きるためにはガンをデザインするしかなかった」というナオさんからは、隠さない、比べない。 今ここにある最高の自分を表現することで、外側にある状況を転じて変えていこうという強い意志とそれを実現する力を感じました。 — あなたも「greenz people」に参加しませんか? — 編集者。 東京での薪割り暮らしをイラストとともに綴るブログ『東京マキワリ日記、ときどき山伏つき。 株式会社マガジンハウスに14年間勤務し、anan編集部に所属。 退職後に渡米し、カリフォルニア大学バークレー校心理学部ダチャー・ケトナー博士の研究室で学ぶ。 その後2年間のホームフリー生活をアメリカで送り、ウパヤ禅センター、タサハラ禅センター、エサレン研究所、アメリカ先住民ナバホ族居留地などで暮らす。 冷え性のコーヒー好き、グルテンアレルギー気味の焼き菓子ラバーです。

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猫飯診療所-乳がん再発の記録

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私の乳がん治療経過 私の治療経過はこちらです。 抗がん剤はやりましたが、放射線治療はやりませんでした。 日本女性で12人に1人は一生のうちで一度は乳がんになるといわれています。 最近では芸能人で乳がんになった方の声も多く聞かれるようになりました。 それだけ多い病気ということなんでしょうね。 矢方美紀さん• さくらももこさん• 矢方美紀• 生稲晃子さん• 北斗晶さん• 小林 麻央さん• 樹木希林さん• 藤山直美さん• だいたひかるさん• 麻倉未稀さん• 南果歩さん• 岡江久美子さん 年間9万人以上が乳がんと診断 現在では、生涯のうちに乳がんにかかる率が14人に1人と言われていて、 年間9万人以上が乳がんと診断されている状況です。 日本女性における乳がんの年齢調整罹患率・死亡率の推移 日本人に乳がんが増加した理由は、• 食の欧米化• 女性の社会進出に伴う生活習慣の変化• 夜型生活• アルコールの摂取• 子供の出産経験• 初潮年齢が早くなった• 閉経が遅くなった などのことが関係あるとされます。 乳がんが発覚した時 たいへん不謹慎かもしれませんが、私の乳がん体験を一言で言うなら 「面白かった!」です。 なにしろ初めてでしたからね、いろんな体験ができて物珍しいのが先行していました。 初期とは言えない段階の乳がんではありましたし、もちろん治療中、身体はしんどいときもありました。 けれど初めて体験する未知の体験の連続で、気分的には次は何が来るのだろう?と好奇心で一杯でした。 自分は病気にならないという思い込み 人は不思議なもので、それまで健康だったのだから 「自分は病気にならない」気がしてしまうのです。 私がそうでした。 理由もなく「自分は健康」と思い込んでいたものです。 私の場合はちょっと違って、「やっぱりね」でした。 っというのも、 うちの家系は癌体質100%だからといって、食生活・生活習慣にも気を使っていませんでした。 自分が病気になるとしたら間違いなく癌であろうと覚悟していたからです。 乳がんのタイプ 乳がんは他の癌に比べて進行が大変おそく、私のタイプだと10年以上もかけてひっそりと大きくなっていったようです。 一口に乳がんといっても人によってさまざまな種類があります。 その中で私の乳がんはホルモン受容体があるタイプ。 浸潤がんの段階になると、がん細胞が血管やリンパ管に侵入するようになり、体のほかの部位に広がっていきます。 乳がんはみな同じではないので 乳がんは人によってさまざまなので、皆同じではありません。 私と違うタイプの乳がんの方、私より状況が軽い方、重い方、そして現在進行形で戦っている方、ご家族の方、いろいろおられでしょう。 あくまでもこのブログは「私の体験記」、一つの例として読んでいただければ幸いです。 乳がんではない人は、このサイトを見ることはないと思いますが、他人事だと思わず、乳がんのことを考えてもらればと思います。 乳がんも早期発見がいちばん 言うまでもなく、他の病気と同じように、乳がんもまた早期発見早期治療が良いにこしたことありません。 30代の若い年齢でも乳がんはなります。 ピークは40代後半です。 コロナウイルスで病院に行くのも抵抗があるので、自宅で簡単にがん・生活習慣病・感染症・性感染症 STD の検査が 1万円前後できるので活用している人が増えています。 ちなみに、女性応援セットには、 「乳がん」予防・対策が自宅でできる「乳がん自己触診グローブ」がついているので、おすすめです。 それ以外にも• 胃がん検査セット ピロリ菌検査含む• カンジダ検査• HIV検査• 大腸がん検査• 子宮頸部がん検査• メタボリック症候群検査• 歯周病リスク検査• 腸内環境検査 などもあるので自分だけでなく、家族の検診用活用ください。 ブレストケアグラブ:乳房チェック 550円 なども購入可能です。 販売業者名 販売業者名:株式会社セルメスタ 所在地:〒130-8671 東京都墨田区石原4丁目25番12号 お支払い方法:クレジットカード / 代金引換便払い(日本郵便) >> URL: 治療を終えて 現在はすべての治療を終え、毎日飲んでいたホルモン治療の薬もなくなり、おかげ様で平穏な日々を送っています。 そんなときに始めたのが、このブログです。 専門知識はないので、 当時病院からいただいたパンフレットを見返してみて、かなり忘れていたことがあることに気づいたくらいなので、「ここがおかしい」とお気づきな点がございましたら、どうぞご指摘していただければと思っております。 ほぼ私の経験したことが元で書いてみました。 今現在、乳がんの治療をしている方、乳がんという病気を良く知らない方の参考になることがあるのかないのかわかりませんが、もしあれば嬉しいなと思っております。

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乳がんを経験した私が書いてみたブログ

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Contents• 【小林麻央 ブログで乳がん治療は太ることを告白】 まずは、小林麻央さんが自身のブログ KOKOROで告白した、乳がん治療で太ったことを綴った箇所をご覧いただきましょう。 『この1年間で11キロの体重変動がありました。 病気で、何故か人生で一番太った状態(むくみもあるのかな?)と一番痩せた状態を体験しています。 』 ・・・と、なんと11キロの変動を経験しているんですね。 と言っても、11キロの体重の 変動であって、11キロ太ったわけではありません。 間をとっても、5~6キロ太ったという意味なのでしょうか? それでも、11キロの体重変動は大きいと思います。 恐らくですが、この当時が一番太ったときではないでしょうか? まずは腹水写真と騒がれた時期・・・ そして、リハビリ中の時期です。 このころの小林麻央さんは、明らかに顏がふっくらしており、確実に太っています。 しかし、乳がんの治療は太ることもあれば、痩せることもあり、痩せた時はこんな感じでした。 ・・・いかがですか? まるで別人に見えるとまでは言いませんが、明らかに痩せています。 がん=激やせのイメージがありますが、乳がんの場合は太ることもあり得るんですね。 そのことを、小林麻央さんのブログで知ったように思います。 スポンサーリンク 【小林麻央 ブログで分かるほど、乳がんで太る理由はなぜ??】 私も年齢を重ねるにつれて、お腹周りが太くなってきており、ささやかな悩みです。 しかし私の場合は食生活と新陳代謝の低下、そして運動不足・・・と原因が明らかであり、反省しかありません(笑) しかし小林麻央さんの場合は乳がんで闘病中ですから、運動不足は仕方ないにしても、栄養バランスは相当気を遣っているはずですし、さすがに中年太りの年齢ではありません。 そう考えると、 小林麻央さんが投与してきた薬に太る原因があると考えるのが妥当でしょう。 そこで、乳がんで投与する薬と太ることの関係性を調べた結果、以下のことが判明しました。 おそらくですが、小林麻央さんがブログで分かるほど太った理由は、以下の点だと思われます。 ・・・の3つだと思われるのです。 つまり、乳がんの場合は他の臓器のガンとことなり、太りやすいということがご理解いただけたと思います。 末期がん=激やせで死・・・というのを、今までのお亡くなりになった芸能人で思い出すかもしれませんが、その方たちは 内臓の末期がんで亡くなっていたのです。 小林麻央さんの場合は乳がんで、内臓ではありません。 よって、小林麻央さんは乳がんに治療中にも関わらず、ブログで分かるほど太ったのです。 スポンサーリンク 【小林麻央 ブログを見る限り、激ヤセしているように見えるが・・・】 乳がんは太る・・・と書いたばかりですが、2017年4月現在のブログ KOKOROを見ると、小林麻央さんが痩せてきたように見えます。 しかしそれは私の勘違いではなく、小林麻央さん自身が告白しているのです。 『私は、ベスト体重プラス2キロを理想に考えています。 何かあると、すぐに減ってしまうので、闘える蓄えを常にもっておくためです。 』 しかし、私が先程書いたことと矛盾していることにお気づきになられたことでしょう・・・。 乳がんの治療は太る傾向にあります・・・しかし、小林麻央さんは痩せてきているのです。 内臓に転移しているため、当然食欲低下などが起こってしまい、結果痩せてしまうのです。 小林麻央さんが自ら告白した転移は、肺転移と骨転移、そして皮膚転移ですが、もしかしたら他の臓器への転移も起こっている可能性があります。 最近は痩せてきているように見えるので、免疫力の低下などとても心配です。 乳がんで闘病中の場合、実は体調管理が非常に重要で、太ったら太ったで栄養分をガン細胞が吸収してしまうので良くないのです。 しかし痩せたら痩せたで、回復するための免疫力が低下するため、それもダメなのです。 乳がんの治療には、本当に体重管理が大切だということをご理解いただけたのではないでしょうか? 2017年4月13日現在、数日の間を空けてブログ KOKOROを更新した小林麻央さん・・・。 激やせしているせいか?? ここ数日はブログ KOKOROに小林麻央さんの顔写真が掲載されていないのです。 激やせしている・・・そんな私の予感が的中しないことを願っています。 息切れと止まらない咳に悩まされている小林麻央さんが、少しでも回復しますように・・・。 最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 スポンサーリンク.

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