中村 俊輔。 「レジェンドが生まれるところ」 中村俊輔、歴史を作った左足の記憶

中村俊輔フォトブック 「NAKAMURA SHUNSUKE」 (WANIMAGAZINE MOOK (277))

中村 俊輔

15年間書き続けている11冊の「サッカーノート」 中村俊輔選手は、15年前から「サッカーノート」なるものつけている。 きっかけは桐光学園高校2年生のとき。 サッカー部でメンタルを専門としている豊田一成先生から「試合に勝つために強い気持ちをコントロールする」方法の一つとして薦められたことだった。 今回は、11冊にもなった「サッカーノート」のすべてを公開している。 中村選手の「サッカーノート」と拙書『東大合格生のノートはかならず美しい』で紹介した「東大ノート」とを比べてみる。 スポーツと勉強。 違うように見えて、実はノートを書くという行為には通じるものがあるのではないかと感じた。 まずは、中村選手の「サッカーノート」にはどんなことが書かれ、サッカー選手としての彼の人生にどのように寄り添ってきたのか。 「サッカーノート(さつかあのおと)」のキーワードに合わせて、7つのポイントから紐解いていきたい。 「サッカーノート」7つのポイント ポイント1 (さ) 最初のページには目標を書く 最初のページには、「短期(半年先)」、「中期(1年先)」、「長期(2年以上先)」と3段階に分けて目標を書いている。 大事なことは漠然とではなく、決意表明のつもりで書くこと。 それから5年を経た今年7月、彼はスペインのエスパニョールに移籍した。 驚くのは、ノートに書いてある目標のほとんどが達成されているということ。 それは彼が、目標を書くことから逃げず、書くことで自分を追い込んでいったからだ。 ポイント2 (つ) 辛いときこそ言葉を綴る 「試合に出られないのは、自分の力がないから。 ふてくされている時間、落ち込む時間があるなら、自分に足りないものは何か考えて、練習し、監督にアピールし試合に出て、結果を出す。 努力をしろ」 04年、セリエAのレッジーナで試合に出られずにいたときに書かれた言葉だ。 この時期ほど、メンタルに関する言葉ばかりを綴ったことはなかったという。 また、参考にしたのは、01年病気で一時前線から撤退していたときのこと。 何を考え、どんな風に過ごしていたのかを思い出すことで、目の前にある苦境の乗り越え方を見出していった。 中村選手は、行き詰まったときほどノートを見返すという。 辛いときに記したトレーニング法や言葉は、再度迷路に迷い込んだときの出口を教えてくれる地図となっている。

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中村俊輔、”魔法の左足”炸裂!オマーン戦で魅せた伝説の左足アウトサイドキック

中村 俊輔

横浜FCの元日本代表MF中村俊輔は、セルティック時代の2006-07シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で日本人史上初の決勝トーナメント進出という偉業を成し遂げた。 大会公式ツイッターは、名門マンチェスター・ユナイテッド戦で生まれた伝説の一撃をフラッシュバック。 海外ファンからも「CL史上最高のFK弾」「ユナイテッドの悪夢」と称賛している。 横浜マリノス(当時)でプロキャリアをスタートさせた中村は2002年に海外挑戦。 日本人史上4人目のセリエAプレーヤーとしてレッジーナで3年間プレーし、2005年にスコットランドへ渡った。 セルティックではリーグ優勝3回、2006-07シーズンには年間最優秀選手に輝くなどレジェンドとして語り継がれる活躍を見せたが、なかでも伝説として刻まれているのが2006年11月21日に行われたグループステージ第5節のユナイテッド戦(1-0)だ。 0-0で迎えた後半36分、セルティックは中央やや右のゴールから約30メートルの位置でFKを獲得。 キッカーを任された中村が左足を一閃すると、ボールは壁の上を越えて早く落ちる軌道でユナイテッドゴールへ。 対峙した元オランダ代表GKエドウィン・ファン・デル・サールの懸命の横っ飛びも及ばす、ゴール右上隅を鮮やかに射抜いてみせた。 この一撃が決勝点となり、中村は日本人選手として初めて決勝トーナメント進出を果たしている。 「シュンスケ・ナカムラが2006年のマンチェスター・ユナイテッド戦でこの素晴らしいフリーキックを解き放つ。 セルティックが決勝トーナメントに勝ち上がるのを助けたゴール」 CL公式ツイッターが映像付きで回顧すると、「CL史上最高のFK弾」「ユナイテッドの悪夢」「過小評価されているプレーヤー」「これぞセルティックのシーン」と海外ファンも称賛。 改めて、その一撃の価値の大きさを証明している。 Football ZONE web編集部.

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トルシエが語る中田英寿、中村俊輔、小野伸二。そして世界の扉を開けた森島寛晃

中村 俊輔

横浜FCの元日本代表MF中村俊輔は、セルティック時代の2006-07シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ(CL)で日本人史上初の決勝トーナメント進出という偉業を成し遂げた。 大会公式ツイッターは、名門マンチェスター・ユナイテッド戦で生まれた伝説の一撃をフラッシュバック。 海外ファンからも「CL史上最高のFK弾」「ユナイテッドの悪夢」と称賛している。 横浜マリノス(当時)でプロキャリアをスタートさせた中村は2002年に海外挑戦。 日本人史上4人目のセリエAプレーヤーとしてレッジーナで3年間プレーし、2005年にスコットランドへ渡った。 セルティックではリーグ優勝3回、2006-07シーズンには年間最優秀選手に輝くなどレジェンドとして語り継がれる活躍を見せたが、なかでも伝説として刻まれているのが2006年11月21日に行われたグループステージ第5節のユナイテッド戦(1-0)だ。 0-0で迎えた後半36分、セルティックは中央やや右のゴールから約30メートルの位置でFKを獲得。 キッカーを任された中村が左足を一閃すると、ボールは壁の上を越えて早く落ちる軌道でユナイテッドゴールへ。 対峙した元オランダ代表GKエドウィン・ファン・デル・サールの懸命の横っ飛びも及ばす、ゴール右上隅を鮮やかに射抜いてみせた。 この一撃が決勝点となり、中村は日本人選手として初めて決勝トーナメント進出を果たしている。 「シュンスケ・ナカムラが2006年のマンチェスター・ユナイテッド戦でこの素晴らしいフリーキックを解き放つ。 セルティックが決勝トーナメントに勝ち上がるのを助けたゴール」 CL公式ツイッターが映像付きで回顧すると、「CL史上最高のFK弾」「ユナイテッドの悪夢」「過小評価されているプレーヤー」「これぞセルティックのシーン」と海外ファンも称賛。 改めて、その一撃の価値の大きさを証明している。 Football ZONE web編集部.

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